ノックスの戦い 魔王VS勇者 その八
「ハァ…ハァ…ぐっ!」
イザームの頭部を消し飛ばしたルークだったが、彼は急に飛行状態を維持出来なくなったのか床へと落下していく。踏み付けて天井に固定されていたイザームの身体もまた、ルークと共に落下した。
水面に立てる装飾品を装備していたルークは水面に着地したのだが、飛ぶことを前提としていたイザームの身体は軽液に勢い良く墜落したことで大きな水飛沫を上げる。そんなイザームには目もくれず、ルークは水面の上で自分の状態がわからず混乱していた。
「身体が…?視界も…どうして…?状態異常は、効かないのに…?」
ルークが落下した理由。それは身体が上手く動かなくなったからである。全く動かせない訳ではないものの、身体の感覚が酷く重たい。まるで全身に重りをぶら下げたまま水中にいるかのようだったのだ。
彼はその原因が何なのか察しはついている。最期にイザームが使った『秘術』、【聖者を憎む腐焔】。未だに全身に纏わりついて一向に消えないこの炎が原因だ、と。
そしてルークの予想は正鵠を射ていた。【聖者を憎む腐焔】という『秘術』は、業という隠しステータスが善に傾いている者…すなわち善人プレイを行ってきた者であればあるほど大きな効果を発揮する一風変わったモノだった。
勇者とまで呼称され、アールルにも贔屓にされるルークは善行を積んでいる。困った人を助け、悪人を捕まえ、人々に感謝されてこその勇者と呼ばれるのだ。ある意味、善人プレイの極致である彼にとって最悪の『秘術』であった。
ちなみに、ルークの『奥義』である【破邪光輝刃】は真逆の、すなわち業が悪に傾いている者にのみ強力な効果を発揮する。魔王と勇者、彼らが使った『秘技』と『奥義』は己と対極に位置する者を屠るためのモノという本質的に同じ効果だったのだ。
あえて違いを挙げるとするなら、魔王が求めたのは持続的な効果であり、勇者が求めたのは一撃必殺の威力だったことか。ルークの【破邪光輝刃】はすでに効果は切れているのに対して、イザームの【聖者を憎む腐焔】は未だにルークを蝕み続けているのだから。
今、ルークに起きているのは継続的な大ダメージに加えて全身の麻痺、ステータスの大幅な低下、魔力の減少、視界と平衡感覚の異常と多岐にわたる。彼が苦しんでいる原因がこれまで積み重ねて来た善行のせいというのは皮肉でしかないだろう。
「うぐっ…」
「ルーク!?あうっ!」
「助けに行きたいけどっ!」
「グオオオオオオッ!!!ガアアアアアアッ!!!」
それでも蓮華の『秘術』による強化のお陰でふらつきながらも立ち上がれるものの、ルークは立つのがやっとという状態だ。しかしながら、まだボス戦は終わっていない。魔王イザームを倒しただけでは終わらないようだ。
彼はローズと藍菜に加勢するべく一歩歩み出そうとしたものの、すぐに転んで倒れてしまう。ルークが弱っているのは明らかであり、むしろローズと藍菜の方が彼を救いに行きたくなっていた。
しかしながら、それを許さないのがカルナグトゥールである。彼はこれまでとは比較にならないほどに激怒していた。全身の鱗は逆だっていて、その隙間からは黒い炎が漏れ出しているのだ。
「暴れ過ぎっ!」
「差し込む、隙すら、ないなんて!」
激怒したカルナグトゥールの暴れぶりは凄まじいの一言に尽きる。彼は絶え間なく爪牙によってローズを攻め立て、同時に炎を撒き散らして藍菜にも魔術を放つ隙を与えない。激怒して暴れているのも間違いないのだろうが、同時に確実に二人を仕留める冷静さも保っていた。
カルナグトゥールの猛攻を凌ぐしかない二人だったが、凌げる時間はあと僅かであることを自覚していた。だからこそ焦らずにはいられない。しかしながら、その凌げる時間は唐突に終わりを告げた。
「え、お札?えっ…あっ…」
「藍菜!?どうして!?」
上からヒラヒラと舞い降りたお札が藍菜に触れた瞬間、彼女の動きは明らかに鈍った。その瞬間を見逃すカルナグトゥールではない。黒い炎を纏わせた尻尾の横薙ぎによって、藍菜を横一文字に両断したのである。
彼女に何が起こったのか?端的に言えば原因はイザームにあった。彼はルークによって頭部を消し飛ばされる直前に、左手で懐に忍ばせた残りの札をバラ撒いていたのだ。
その効果は全て解呪であった。何故これほど極端な札を用意していたのかと言えば、イザームが札に期待していたのは相手の裏を描くための手段であったからだ。
初手で見せた誘雷針の札によって、ルーク達の意識に札は攻撃か攻撃の補助に使うモノと刷り込んだ。そして機を見て攻撃使う、と見せかけて魔術や【付与術】の効果を打ち消してやろうと目論んでいたのである。
ルークの剣から逃れられないと判断した瞬間、彼はなるべく広がるように札を投げていた。狙えないので無駄になる可能性の方が高かったものの、そんなことは織り込み済み。上手く行けば儲け物、やらないよりはずっと良い。そんな感覚で投げていたのだ。
イザームの悪足掻きに気付いていた者はカルナグトゥールだけである。ルークは自分の振り上げた剣の輝きで札を投げる瞬間を見逃し、ローズと藍菜はカルナグトゥールとの戦いで一杯一杯であった。ずっと視界の端でイザームの様子を窺っていたカルナグトゥールだけが、札をバラ撒いたことに気付いていたのである。
主人の頭部を消し飛ばされて激怒せずにはいられなかったカルナグトゥールだが、主人の行為を無駄に終わらせないために冷静さを失う訳には行かなかった。怒りのままに暴れながらも、自分を足止めしていた憎い人間を札の落下地点まで押し込んだのである。
狭い部屋で戦うという関係上、少しでも回避力を上昇させるために全員が敏捷のステータスを強化されていた。それが解呪によっていきなり解除されたのだ。
まだ効果が続くはずの【付与術】が解除されたことで、藍菜は急に速度が落ちてしまう。彼女は突然のことに理解が追い付かず、カルナグトゥールに倒されてしまったのだ。
「あ、藍菜…!」
「こぉんのぉぉぉぉ!」
未だに身体を蝕む【聖者を憎む腐焔】のせいで、ルークは光の粒子となって消えていく藍菜を呆然と見ることしか出来なかった。逆にローズは怒りの咆哮と共に槍を手にカルナグトゥールへと突撃した。
ことここに至って、ローズは守りを完全に捨てている。普通であれば前のめりになりすぎているのだが、実は彼女がカルナグトゥールを相手に一人で戦って勝つつもりであるなら唯一の勝ち筋とまで言えた。
「グオォォォ!?」
「ハアアアアアアアッ!」
ローズの槍にはイザームが予想した通り、硬い鱗や甲殻の耐久力を削る効果があった。攻撃を当てれば当てるほど敵の防御力を下げていき、最後には柔らかくなった部分に必殺の一撃を叩き込む。これが基本的な戦い方なのだ。
これまではカルナグトゥールの巨体と戦闘技術、そして何よりも守るべき藍菜という仲間がいたことで守勢に回らざるを得なかった。だが、藍菜が消えた上に唯一残っている仲間であるルークも瀕死。余りにも絶望的な状況だ。
このボス戦を勝つには自分が単騎でカルナグトゥールを討つしかない。彼女は捨て鉢になったのではなく、あくまでも勝利のために防御を捨てたのである。
ローズにとって勝つための最善手なのは間違いないのだが、彼女の事情を知らないカルナグトゥールにとってここで攻めに転じて来るというのは想定外だった。さらに理屈は分からずともローズの槍が自分の鱗を砕くことも知っている。藍菜を討ったことで少しだけ気が晴れてしまったカルナグトゥールは爪による防御を選択してしまったのだ。
ローズの目論見を潰すのなら、カルナグトゥールもまた防御をかなぐり捨てて暴れ続けるべきであった。総合的なステータスにおいて、ボス化しているカルナグトゥールはローズを圧倒している。そもそも一対一なのに前のめりになっているプレイヤーを相手にするのなら、ゴリ押ししているだけで倒せるはずなのだ。
ゴリ押しして叩き潰すという発想に至らないのは、カルナグトゥールが高い戦闘技術を身に着けているからだ。怒りに我を忘れていても最低限の冷静さを保てる彼は、ダメージを最小限に抑えるべきという基本に忠実な動きを取ってしまったのである。
「でぇいやぁぁぁぁ!」
「グォォッ…ガアアアアアッ!」
縦横無尽に槍を振るうローズによって幾度か鱗を貫かれたところでカルナグトゥールは咆哮を上げた。この咆哮はリスクを恐れて萎縮していた自分への叱咤であり、多少の手傷は飲み込んでローズを倒すという決意の現れであった。
そしてこの変化はローズにとって死刑宣告にも等しい。同じタイミングで攻撃し合った場合、いくらローズの方が相性が良いと言ってもステータスの差を埋めるほどではない。プレイヤーとボスのステータスの差は残酷なほどに大きいのだ。
ローズはカルナグトゥールを攻め続けるが、カルナグトゥールは急所だけを守りながらも苛烈な反撃に出る。槍と爪が互いの身体を穿ち、互いの体力を削って行った。
「グオオオッ!」
「かはっ…!」
激しい削り合いの結末は唐突に訪れた。懸念していたように、蓮華の【付与術】の効果が遂に切れてしまったのである。ただでさえ大きかったステータスの差を少しでも埋めていた【付与術】による強化を失っては勝てるはずもない。動きが鈍ったローズはカルナグトゥールの爪によって深々と斬り裂かれた。
カルナグトゥールはトドメとばかりに逆の前脚を振り上げる。この時点でローズは己の生存を諦めた。しかしながら、彼女はボス戦の勝利だけは諦めていなかった。
「ぐっ…ハハッ!」
「グオッ!?」
ローズはカルナグトゥールにトドメを差される直前に、カルナグトゥールの後ろ脚目掛けて持っていた槍を投擲したのだ。ローズの身体を爪が貫いたのと同時に、投擲した槍もまたカルナグトゥールの後ろ脚を穿つ。消えゆくローズの顔には不思議と会心の笑みが浮かんでいるのだった。
次回は9月25日に投稿予定です。




