ノックスの戦い 墜落・裏
王国軍の象徴である『傲慢』の墜落。このことに『Amazonas』のメンバーが大きな貢献を果たしたのは間違いない。彼女らの働きがなければ、『傲慢』はまだ空を我が物顔で浮かんでいたことだろう。
ただし『傲慢』の動力はそう簡単に破壊されるほどヤワな作りではなかった。アルテミスの放った矢は確かに動力に突き刺さり、爆発して一部の破壊に成功した。
だが、それだけだ。動力はどこかで爆発しようとも誘爆するような構造になっていない。不沈の浮遊要塞であり続けるために、一部が壊れた程度では問題ない設計だったのだ。
しかしながら、現に『傲慢』の動力は浮かび続けることすら難しい状態になっている。この矛盾はどうして起こったのだろうか?
「うぃ〜、クシャミが出たぜ」
『傲慢』がゆっくりと沈んでいる頃、ヴェトゥス浮遊島の上空で一人の少年が鼻を啜るような仕草をしていた。彼の形の良い鼻からは鼻水など垂れてはおらず、寒さで震えている様子もない。まるで、くしゃみが出たというアリバイが必要であるかのような振る舞いであった。
ただの少年が空中に浮遊出来るはずはなく、ましてやここはヴェトゥス浮遊島の上空である。無知な者か余程の愚か者でなければ、そんな場所で飛ぶはずがなかった。
「冷えてきたし、そろそろ帰るか」
「下手な演技ですのね」
少年はビクリと肩を震わせる。そして背後を振り返る…前に、声の主の女性は後ろから少年を抱き締めた。その抱擁は包み込むような優しさであったが、同時に腕に込められた力は凄まじい。決して離さないという意思表示であろうか。
逃げることを諦めた少年は、開き直って力を抜いて身体を女性に預ける。すると女性は嬉しそうに、クスリと笑った。
「誰も咎めませんのに」
「いやいや、そりゃないだろ」
「いいえ?アールルが介入しましたので、多少の介入は許されますわ」
「…何をやってんだ、あの女神は」
基本的に女神はFSWの世界全体の維持を行っているので、運営に致命的な案件が起きない限り動くことはない。プレイヤー同士の争いごとの仲裁ですら天使に任せるのが当たり前なのだ。
当然ながら、今ティンブリカ大陸で行われているアルトスノム魔王国とリヒテスブルク王国の戦争も女神が介入するような事態ではない。ましてやどちらかに助力するなどもってのほかだった。
しかしながら、『光と秩序の女神』アールルはそのタブーを犯した。魔王国の宮殿の扉を開けた時、ランダムで選ばれるはずの内部へ侵入するパーティーをお気に入りのルーク達に操作したのだ。
アールルは気付かれないように行ったつもりなのだろうが、同格の女神には隠蔽など通じない。他の女神達はこの戦争が終わり次第、アールルを糾弾するつもりであった。
ただし、では自分も介入するのかと問われればそんなつもりはなかった。批難されるべきアールルと同じことをすれば自分も同じ穴の狢になってしまうからだ。そして同時に女神が地上の揉めごとへ感情のまま介入し合ったという悪しき前例を作ることを嫌がったのである。
「お姉様は魔王国の方々を信じているから絶対に手を出さないとおっしゃったわ」
「チッ、そうかよ」
一方で女神ほどではないが、強大な力を持つ者達も実害がない限りは積極的な介入を禁じられている。魔王国の勢力圏に住むフェルフェニールも、わざと自分の財物を傷付けさせるという手段を取ったのだ。
アルマーデルクスも彼らに助力したかったが、その名目がなかった。それもそのはず、王国側には彼を怒らせるどころか接触したプレイヤーすらいなかったからである。
「だからってクシャミで誤魔化すのは強引じゃないかしら?」
「うぐっ…」
そう、浮遊していた少年ことアルマーデルクスは小賢しい方法で介入したのである。浮遊島の上空で成り行きをずっと見守っていた彼は、『傲慢』が大きく爆発した瞬間にクシャミに見せかけて一瞬だけ龍息吹を放ったのである。
一瞬とは言え龍神の龍息吹だ。その射程距離と威力は常識の埒外にある。遠く離れた『傲慢』の動力室に直撃し、浮遊不可能な状態に陥ったのだ。
「まあ、クシャミと一緒に龍息吹が出ただけだって言い張られたら誰も反論出来ないわ。前例があるし」
「あー…まあ…うん。そうするつもりだったんだけどよぉ…」
アルマーデルクスの妻でもある『闇と快楽の女神』マリアが言うように、実は彼が意図せずして龍息吹を放った前例が幾度かあった。無論、それはまだ彼が未熟で若かった時の失敗である。だが、その事実を盾に偶然だと言い張ることも出来るのだ。
ただ、アルマーデルクスにとっては自分の黒歴史を自ら引き合いに出す形になる。それは彼の自尊心を傷付けるのだが、自分が気に入っている者達を助けるためだと甘んじるしかなかった。
「ところで、あれが落ちたってことは勝ったってことなのかしら?」
「違うぜ、マリア。あれがどうなろうが、少なくともイザームの小僧にとっちゃ勝敗に関係ねぇ」
「あら、そうなの?」
「おう。あーっと、リヒテスブルク王国だっけ?あの国にとっては負けも負け。大負けだ。何たって、あれの力に頼ってやりたい放題してたんだからよ」
リヒテスブルク王国にとって、『傲慢』は王太子の力の象徴となっていた。『傲慢』があるからこそ、王太子の暴挙に人々は逆らえなかった。『傲慢』があるからこそ、諸侯や周辺諸国は従うしかなかったのだ。
その『傲慢』を失うということは、『傲慢』によって蓋をしていた全ての不満が噴出することを意味する。王太子にとって、どれだけ犠牲を払おうとも、ティンブリカ大陸へ植民に失敗しようとも、『傲慢』だけは健在のままでなければならなかったのだ。
多数の犠牲や植民の失敗は人々の目に失政として映ることだろう。批難の声は必ず上がるし、失政の犠牲になった者達の憎悪は膨れ上がる。反乱の機運が再び高まることだろう。
だが、『傲慢』さえあれば力によって押さえ付けられる。『傲慢』があるのだから反乱しようと無駄だ。それぞれがそう考えることで歪な形で均衡が保たれるはずだった。つまり、王国にとっての唯一の敗北条件が『傲慢』を破壊されることだったのである。
「中に潜入した連中も大暴れしてるから、きっとふんぞり返ってる奴等は良くて生け捕り。悪けりゃ今頃ぶっ殺されてんだろ」
「そうなるのね。じゃあ魔王国の敗北条件は何なのかしら?」
「それも単純な話だ。魔王国側は『ノックス』が落とされたら負け、言い換えりゃ迷宮を攻略されたら負けだ」
魔王国側の敗北条件は『ノックス』の陥落。すなわち迷宮が攻略されることである。『ノックス』を迷宮とすることで、力技では決して壊れない鉄壁の防御力を手に入れた。これは最高の『傲慢』対策と言えよう。
しかしこの策は迷宮を攻略されるというリスクが伴っていることを忘れてはならない。仮に攻略されてしまえば、迷宮としての機能を全て失ってしまうのだ。
「ま、アレが落ちた以上、王国の敗北は確定だ。帰る方法もねぇんだから、いつか死に絶えるさ」
「そうなるでしょうね」
『傲慢』は破壊され、海上に浮かんでいた戦艦も壊滅状態。『ノックス』を迷宮に変えた際に魔物プレイヤー達は別の場所にベッドを設置している。仮に『ノックス』を陥落させたとしても、ティンブリカ大陸に残った王国の残党は彼らが知らない場所からやって来る魔物プレイヤー達に駆逐されてしまうことだろう。
今の時点で王国側は詰んでいるのだ。それを理解している者は『傲慢』が墜落した時点で諦めるか、最後まで抗うか、自棄になるかである。そして理解していなかったとしても『傲慢』が墜落するという光景そのものが王国側の心をへし折ることだろう。
「ただ…落ちたのを知らねぇ連中は普段通りに戦うだろうぜ」
「落ちたのを知らない?ああ、迷宮のボスとエリアボスにいる彼らね」
マリアの答えにアルマーデルクスは頷いた。確かに墜落する『傲慢』を見ていた者は心が折れるだろう。だが、それは見えている者に限っての話。見ていなければ心が折れることはない。そして迷宮に突入した者達でもボスのいる宮殿に侵入した者達や、エリアボスとの戦いに集中せざるを得ない者達は墜落したことそのものを知らないのだ。
彼らは自分達が戦うことで王国側の勝利に繋がると信じている。普段以上に高いモチベーションであるとも言えた。モチベーションの高さはパフォーマンスの高さに直結する。彼らは普段以上の力を発揮してもおかしくはなかった。
「共倒れになるか、完勝するか。お前さんの双肩にかかってるぜ。気張れよ」
「じゃあ帰りましょうか。これ以上の介入は許さないわよ」
「…へーい」
マリアに抱き締められたまま、アルマーデルクスは大人しく戻って行く。哀愁はあれど龍神の威厳などまるで感じられない姿を見る者は当事者の他にはいないのだった。
次回は8月12日に投稿予定です。




