ノックスの戦い 宮殿の中で
「…どうやらアタリを引いたのは僕達みたいだ」
「流石ルーク、やっぱ持ってんねぇ」
宮殿の門を潜った先へ足を踏み入れたのは、勇者という異名を持つルーク率いるパーティー『聖火と剣』であった。七分の一を当てたと思っている彼らは宮殿を探索するべく歩き始めた。
無論、初めて訪れる場所で気を抜くような愚行を犯す彼らではない。斥候職のメグが中核となってしっかりと警戒しつつ、慎重に歩を進めていた。
「随分と豪華な内装ですね」
「全部迷宮の一部扱いみたいだね。明らかに持ち上げられそうな壺が机にくっついてるよ」
「持って帰るのは許さないってこと?ケチなのね」
「攻略すれば自由に出来るんじゃない?」
宮殿の内装は煌びやかであり、彼らがかつて訪れた王国の宮殿に勝るとも劣らない。それだけでもこの宮殿が相当な財力を持つ者が築いたのは間違いなかった。
しばらく探索した彼らだったが、奇妙なことに宮殿内で何かに襲われることはなかった。同時に何らかの罠が発動することもない。明らかに重要な施設であるというのに、まるで無防備なのだ。
「ここは中庭、か?」
「うっわ!趣味悪っ!」
結局、何かが起きることもなく彼らは中庭にたどり着いた。その空間は異様である。中央にある噴水から吹き出しているのは血液であるし、生えている植物も禍々しい雰囲気を漂わせているからだ。
特に最も太く、最も背が高い樹木は異形の一言に尽きる。樹皮は鱗のような形状で、所々に真紅の宝珠を思わせる塊が付着していた。見上げれば一本の樹木であるのに枝には複数の種類の実が成っているではないか。
「気持ち悪い…何これ?」
「紅珠龍鱗賢樹だって。言葉がわかるくらい頭が良い木みたい」
「え。じゃあさっきの言葉も聞こえてたんじゃ…うわぁっ!?」
イザームが毎日欠かさず水やりを続けている賢樹こと紅珠龍鱗賢樹は、ルーク達の会話をきちんと聞いていた。中庭のことを悪趣味と言われ、さらに自分のことを気持ち悪いとまで罵倒される。知性も感情も持ち合わせている賢樹は静かに怒っていたのだ。
賢樹は油断していたルーク達の頭上から枝を揺らして木の実を雨のように降らせる。金属のように硬い殻の木の実がバラバラと降ってくるのだからたまったものではない。彼らは慌てて賢樹の下から逃げ出した。
「早く後ろに逃げ、っと?」
重戦士のキクノは大盾を構えて皆が逃げ出すまで木の実を防ぎ続ける。硬質な音が続いていたのだが、賢樹は一本の枝を大きくしならせるとグルグルと大きく回して遠心力を乗せてこれまでよりも大きな灰色の実を高速で投擲した。
キクノはそれを大盾で受け止める。賢樹は武技などを習得している訳ではないので、本職の重戦士であれば受け止められて当然の速度でしか投げられなかったのである。
重い衝撃を覚悟していたのだが、投擲された大きな実は大盾に直撃すると同時に潰れて内部の赤黒い液体を撒き散らした。薬めいた刺激臭のする中身に眉を顰めながら、顔にも飛び散った液体を拭いつつ彼女も仲間達を追って中庭の外に出た。
「酷い目にあった!」
「悪口を言ったのは私達ですけどね」
「それはそう…キクノ!?」
中庭から外に出たルーク達だったが、最後まで自分達を守っていたキクノが前のめりに倒れてしまう。仲間達は慌てて彼女に駆け寄った。
うつ伏せになった彼女を仰向けにすると、その肌には明らかに異常な赤黒い筋が浮かび上がっている。こうなるとパーティーの治癒などを担当する神官である蓮華の出番だった。
「これは…呪いです。それもかなり強力な。すぐに癒しますね」
キクノに現れた異常の正体を蓮華は看破する。彼女の言うようにキクノに掛けられた呪いは相当に強力であり、彼女のような高位の神官でなければ解呪すらも難しいほどだった。
ただし、蓮華であっても解呪は容易なことではない。相当な量の魔力を消耗し、何とか完全な解呪に成功した。
「た、助かったよ!いきなり身動き取れなくなってさ!」
「ふぅ、無事で良かったです」
「何があったの?」
「多分、最後に飛んできた木の実の中身だと思う」
そもそもキクノは何故呪われたのか?その答えはキクノの推測通り、賢樹が投擲した灰色の木の実が原因だった。
賢樹には四種類の実がなる。魔王国でも高級食品として出回っている『賢樹の紅実』。不死を癒やす成分を含む『賢樹の黒実』。一時的に龍にも匹敵するステータスを得られる『龍血実』。そして中身に触れた者を必ず呪う『怨臓灰実』であった。
全体の一パーセントにも満たない数しか取れない『怨臓灰実』は希少な分、とても強力な呪いを有していた。しかもその呪いは深淵の液体を賢樹が取り込んだことで強化されている。元は実を摂取した者を呪うはずが、飛び散った中身に触れるだけでも呪われるようになっていたのだ。
「中庭にどんな木を植えてんのさ…」
「どうする?燃やしとく?」
「止めておこう。魔物扱いじゃなくて単なる樹木なんだ。燃やせるかどうか不明だし、中庭に入らないのなら無害だと思う」
「それに…燃やしたせいでもっとキツい呪いが撒き散らされるかもよ?」
「今は攻略優先」
ルーク達が賢樹に対してとった選択は『触らぬ神に祟りなし』であった。中庭から出た時点で賢樹は枝を動かしてはいるが攻撃はして来ない。中庭が射程距離だということなのだろう。ならば中庭に入らなければ問題はないのだ。
念の為に賢樹を焼くか伐採するという選択もあるが、傷付けたことでさらに強力な呪いが付与されられては蓮華の魔力が尽きてしまう。ただでさえ呪いのせいで消耗させられたのだ。これ以上、宮殿の奥で待つであろう存在との決戦前に消耗したくはなかった。
「わかったって…みんなで一斉に否定しなくてもいいじゃん」
「責めるつもりはないよ。さあ、行こう」
こうしてルーク達が中庭を通り過ぎた頃、『エビタイ』に残っていた王国の兵士達は戦々恐々としていた。彼らはこれまでの戦闘における傷病兵とその護衛の兵士だ。『ノックス』を速やかに制圧するべく、彼らの治療などは後回しにされていたのである。
そんな兵士達が何故に恐れ慄いているのか?距離が離れているので彼らには地上での戦いの趨勢はわからない。だが、巨大な『傲慢』と浮遊戦艦の艦隊が激しく砲撃戦を行っているのは嫌でも目に入っていた。
「何だよ…何なんだよ!」
「『傲慢』が…沈む…!?」
「お、終わりだ…」
観戦していた彼らは戦艦が一隻墜落し始めた時、兵士達は喝采を叫んだ。だが、次の瞬間にマキシマ達の自爆攻撃によって『傲慢』が大爆発を起こして動きを止めたことで士気は一気に下がってしまう。
一度盛り上がった分、下がった時の落差は大きかった。パニックになる者や絶望で膝から崩れ落ちる者などが続出し始めた。実際には『傲慢』はまだ健在なのだが、大爆発と共に内部から黒煙が上がっているのを見て不安にならない者はいなかった。
「騒ぐな!あの『傲慢』がそう簡単に堕ちるものガハッ!?」
「え?」
「は?」
動揺する兵士達を指揮官達は抑えようと声を張り上げる。だが、そんな指揮官の一人の身体を背後から一本の槍が貫いた。背中から胸板まで貫通した槍の穂先からは血液が、石突の先からは水が滴っていた。
致命傷を負った指揮官は前のめりに倒れ込む。兵士達が槍が飛んできた先を追うと、そこには水路から上半身だけを覗かせている魔物がいた。
「早急に片付けるぞ!我に続けぇ!」
「「「グオオオオオオッ!!!」」」
「リッ、蜥蜴人!?」
「いや、違う!背中に翼が!?」
水路から現れたのは半龍人達だった。水路の底でじっと息を殺して気配を消していた彼らの任務は二つ。一つは『エビタイ』に残っているだろう王国軍の殲滅と、一部のプレイヤーが設置したベッドの破壊。そしてその後、陸戦部隊に合流して挟撃することだった。
何故彼らがこのタイミングで動いたのか?それは空中での戦いに大きな変化が訪れたからである。戦場にほど近い水路の底に隠れていた半龍人達は、『エビタイ』の兵士とは違ってその目でヨーキヴァルが『Amazonas』と『仮面戦団』を『傲慢』に突入させたのをハッキリと目撃していたのだ。
二つのクランは必ず『傲慢』内のベッドを使用不可能にすると信じられている。だが、『エビタイ』にベッドを用意している用心深いプレイヤーがいることは『ノンフィクション』からの情報で掴んでいた。そこで『エビタイ』のベッドも破壊する必要が出て来た。
元々、後方の『エビタイ』を潰すのは半龍人達の役割だった。そこで彼らにベッドの破壊という仕事が追加されたのである。
「こっ、こいつら!強っ…ぎゃああああああ!?」
「も、もう嫌だ!」
「うわああああっ!?」
「慈悲などいらん!速やかに皆殺しにするぞ!」
「仕事はこれだけではないのでな!」
ただでさえ弱っている傷病兵の方が多く、指揮官は不意打ちによって大半が討ち取られている。兵士をまとめ上げて反撃することも、統率された動きで一時撤退することも出来ない。そして半龍人は一人一人がかなりの使い手だという事実が加われば、もうそこは草刈り場の様相を呈していた。
『エビタイ』はあっという間に静かになる。元々、半龍人達の方が土地勘があるのだ。建物が崩れて探すべき範囲が縮小していることも、この早さの一因と言えよう。
前線の知らないところで、後方の『エビタイ』は再び無人の街と化す。その上で半龍人達はベッドがありそうな場所を徹底的に破壊する。こうして『エビタイ』がさらに原型を留めなくなったことを代償に、プレイヤーのリスポーン地点の一つが消失するのだった。
次回は8月5日に投稿予定です。




