ノックスの戦い 深淵の覇王
魔王国に仕掛けられていた転移罠で飛ばされた先は地獄だけではない。あるプレイヤー達はここがどこなのか全くわからない場所に転移させられていた。
「どこだよ、ここ…」
「暗すぎだろ。今明かりを…は?え?つかないんだけど?」
自分の目の前すらも見えない暗闇に閉ざされていては何も出来ない。そこでプレイヤー達は魔道具を取り出して周囲を照らそうとした。
だが、全員の魔道具が作動することはなかった。本来ならば光属性の魔術の輝きが周囲を明るく照らしてくれるはずが、その光は闇に吸い込まれるようにして消えてしまったのである。
「いや、え?どういうこと?」
「壊れた?全員が?転移罠のせいか?」
「待てよ…光球。やっぱりか。ここは光属性が無効化されるっぽいぞ」
洞察力に優れたプレイヤーはこの空間の…アビスの特異性にいち早く気が付いた。光属性が力を失うのなら、別の方法で光源を作り出せば良い。幸いにも魔石を使う魔道具は高価であり、ほとんどの者達が手に入る前には燃料式のランタンや松明を買ったことがある。インベントリの底から久々に引っ張り出して火を灯した。
「明るくなったけど…黒い海?」
「何、ここ?広くね?端が見えないんだけど?」
明かりを付けることで光源を確保出来たものの、そうして見えるようになった周囲の景色は彼らを困惑させた。彼らが立っているのは横倒しになったビルだと思われる。外壁には無数のヒビが入っていて、風化の度合いから考えて壊れたのはずっと前のことだろう。
ただ、そのビルは真っ暗な液体の上に浮かんでいた。このビルも液体も、そしてこの場所そのものがどこなのかもわからない。何もかもわからず、困惑していないプレイヤーは一人もいなかった。
「と、とりあえず出口を探そう。水の上を歩ける装備は持ってるよな?」
「流石に持ってない人はいないんじゃない?」
「怪しいのは真ん中にある穴か…ん?」
ここにいるのは熟練のプレイヤーということもあり、水場の探索のために水上を歩行するアイテムは誰もが持っている。出口についてのヒントなど皆無であるが、脱出するためには動くしかない。彼らは探索を開始するべくビルから踏み出そうとして…その足を止めた。
彼らが足を止めたのは、それまで何もいなかった黒い水面に立つ獣の姿が目に入ったからだ。犬や狼を彷彿とさせる獣はプレイヤー達の方をジッと見つめている。警戒するように唸ることもなければ、背を向けて去ることもない。ただ静かに観察していたのだ。
「不気味だな、あれ」
「追っ払うか!」
「ちょっ!無視すりゃいいじゃな…!?」
ジッと観察されるというのはストレスが溜まるモノ。さっさといなくなれという意思をこめて、プレイヤーの一人が魔術を放つ。追い払うだけのつもりではあるが、そのためには力を見せ付ける必要がある。故に彼はそこそこの威力がある魔術を放った。
ただし、その獣が行ったのは常軌を逸した行動であった。獣は口を大きく開けると、その魔術そのものを食べてしまったのだ。そして美味いとでも言うかのように舌で口の周囲を舐めていた。
「なあ…アレ、ヤバそうじゃね?」
「近付いて来てるんですが?」
「お前が余計なちょっかいかけるからだぞ!」
「はぁ!?俺のせいかよ!」
「内輪揉めしてる場合か!こっちに来るのなら倒してから出口を探すだけだろ!」
「とりあえず【鑑定】してみる………は?」
追い払うためとは言え、手を出したせいで目を付けられたのは間違いない。責任を追及しようとする者達もいたが、今の状況では建設的とは言い難い。ある者は倒すことに集中するように説得し、またある者は戦力を測るためにも【鑑定】を行った。
ただ、【鑑定】したことが良いことだったのかどうかは賛否が分かれるところだろう。何故なら、【鑑定】した者は攻略に関するヒントを得るどころか絶望せずにはいられなかったのだから。
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種族:深淵凶狼覇王 Lv100
職業:凶覇王 Lv10
称号:女神に挑む者
能力:【体力超強化】
【筋力超強化】
【防御力超強化】
【器用超強化】
【知力超強化】
【精神超強化】
【凶牙術】
【火炎魔術】
【暗黒魔術】
【虚無魔術】
【???】
【???】
【???】
【超高速再生】
【???】
【???】
【???】
【???】
【???】
【???】
【術技補食】
【???】
【???】
【???】
【???】
【???】
【???】
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彼らが遭遇した獣こそ、かつては深淵の三大領主と称された深淵の王の一角。『アルトスノム魔王国』の総力を結集して何とか撃破した濁白堕熾天使のエリステルと同格の、深淵どころか世界全体で見ても最上位に君臨する怪物。それこそが深淵凶狼覇王であった。
無論、【鑑定】した者が深淵凶狼覇王の実力を正確に知ることは出来なかった。情報のほとんどが【???】となっていて読めないのだから当然だ。
「こいつは、無理だ!【鑑定】で見えない部分が多過ぎる!」
しかしながら、大半の能力が【鑑定】で理解不能という時点で相手が自分達よりも圧倒的に格上であることだけは分かる。危機感を抱かずにいられるほど能天気な者はいなかった。
どうやら自分達は虎の尾を踏んだらしい。ただ、熟練のプレイヤーならば圧倒的な格上と遭遇したことがある者はいる。そして、そういう場合の逃走手段を用意している者も当然いた。
「獣型ならこいつだ!」
「逃げるならとっとと行こうぜ!」
数人のプレイヤーが取り出したのは強烈な臭いを発生させる獣除けであった。嗅覚のあるほぼ全ての魔物に有効だとされている。強力な魔物ほど嗅覚も鋭く、それ故に臭いに近付くのを嫌がって去っていくのだ。
投擲された獣除けは空中で爆発すると、プレイヤーにとっても鼻を押さえたくなるような臭いが辺り一面に広がった。顔を顰めずにはいられない臭いではあるが、これで逃げられると思えば安いモノであろう。
「ウォン」
「うわああああっ!?」
「そんなのアリかよぉ!?」
ただし、そんな小細工は『覇王』と称される種族にまで至った相手に通用しなかった。やったことは単純明快、軽く吠えただけ。だがそれだけで十分であった。
それだけで発生した突風によって獣除けの臭いは全て吹き飛ばされてしまう。風圧によって仰け反るプレイヤー達を見て、深淵凶狼覇王の口の端は嘲笑うように吊り上がっていた。
深淵凶狼覇王の心情を代弁するならば、新しい玩具を見付けたと言ったところか。彼は強過ぎるが故に、遊び相手を見付けることにも苦労する。深淵冥帝海月のユラユラちゃんが相手ならばギリギリの死闘を楽しめるものの、お互いの手口を知り過ぎていた。
目の前にいるのは弱者である。本気の一撃を叩き込めれば瀕死になる程度の遊び相手としては不適切な者達でしかない。だが、その弱者の集団がコソコソと準備をして自分と同格の相手を倒したのも事実。弱者の知恵と工夫を侮れないと知ったのだ。
ならば己を高めるため、目の前の弱者のやり方を学んでやろう。そのために生かさず殺さず、逃げられる希望を見せて弱者の手口を見せてもらおう。深淵の頂点に君臨する覇王は、頂点に君臨してなお強さに貪欲であった。
「…………どうする?」
「ワカラナイ。ダガ、陛下ノ望ミハ叶ッテイルノデハナイカ?」
深淵凶狼覇王にプレイヤー達が追い回される光景を深淵の海の中から眺めていたのは妖人と千足魔達である。彼らの任務は魔王国から支給された兵器を使ってプレイヤー達を海中から牽制し続けることだった。
ただ、ここでイレギュラーな事態が起きた。それは言うまでもなく深淵凶狼覇王が登場したことである。絶対に関わってはならない怪物を前に海中で息を潜めていたのだが、信じられないことに海上のプレイヤー達は手を出してしまったのである。
このままでは一瞬で皆殺しにされてしまうのではないか?彼らは焦ったのだが、その予想とは裏腹に深淵凶狼覇王は致命傷になるような攻撃を行わない。代わりに執拗にプレイヤーを追い回してその反応を見て遊んでいるようだった。
「放置は出来んぞ」
「追ウシカアルマイ…無論、近付キ過ギナイ距離デナ」
「ああ。あれに巻き込まれてはたまらん」
妖人も千足魔も律儀なことに、この状況でも魔王国からの依頼である足止めが出来ているのかを確かめようとしていた。ただし、巻き込まれれば待っているのは絶対的な死。魔王国からの依頼でも大前提は『生命を大事に』である。生命を無為に散らすつもりは毛頭なかった。
意図せずして深淵では逃げるプレイヤー達と追いかけ回す深淵凶狼覇王、そしてこの様子を遠目から観察する妖人と千足魔達という不思議な構図が出来上がっている。その場の誰にとっても不測の事態であるのに、魔王国の目的だけは達成されるという非常に奇妙な状態になっているのだった。
次回は7月15日に投稿予定です。




