大海原での防衛戦
イザームがアルマーデルクスの下を訪れている頃。とある船団が大海原を航行していた。一見すると自衛のために武装しただけの商船の船団に見えるだろう。
だが船の知識がある者達が観察すれば、その認識が誤りであることがわかる。船体は頑丈な木材によって形作られ、大きめの波に揺られてうっすらと海面から見えるのは衝角という突撃して敵船の船底に穴を空けるための部位である。
また、船上で働く水夫は全員が腰から剣を下げている。水夫とはその重労働故に屈強な者が多いが、見る人が見れば彼らは水夫の服装をしているだけの戦士にしか見えないだろう。
そしてその感想は正しい。何故なら水夫達は単なる水夫ではない。リヒテスブルク王国海軍の水兵なのだから。そう、これらの船は全て商船に偽装した軍艦なのである。
「提督、目的地まではまだかかるのか」
船団の中央部には旗艦が陣取っているのだが、その船上で指揮を執る人物に話し掛けたのは、船乗りとは到底思えないほど着飾った男性だった。その男性は化粧で隠しているようだが、明らかに顔色が悪い。原因は船酔いであり、それだけでも船上生活に慣れていないのは明白であった。
船団のトップに君臨する提督に向かって高圧的な言い方をする男性に、水兵達は強い怒りを感じていた。船を一つの家族とするなら、船団は一つの一族。そして船団の提督とは一族の族長だ。その族長に向かって無礼な態度を取ることは水兵達の反感を買う行為でしかない。水兵達に慕われているからこそ、その怒りはより大きくなっていた。
「昨日も申し上げましたが、距離を考えれば数日で到着する距離ではありません。気長にお待ち下さい」
水兵達が我慢しているのはひとえに提督が我慢しているからだ。このことからも団結力が強い、統率された船団だということがわかるだろう。船上にいてそれがわからないのは身なりの良い男性だけだった。
商船に偽装し、さらに船乗りではない者まで乗せている彼らは国王からの勅命によって動いていた。その勅命とは無論、ティンブリカ大陸までの航路の開拓である。
古代兵器『傲慢』に記録されていた世界地図によって、ティンブリカ大陸という未知の大陸の存在を知った。だが、その情報が国内の貴族達に漏れてしまった。貴族達は新たな土地を得るべく動き出しており、それに先んじて王家が所有するために急いで王家直属の軍を動かしたのだ。
同行している身なりの良い男性は国王の側近の貴族の子息である。発見の功績を与えて箔を付けるのが目的であり、提督達からすれば気を使う必要があるのに功績だけは掻っ攫って行く相手なのだ。提督が不満を表に出さないのは驚異的な辛抱強さと言えよう。
このようにリヒテスブルク王国は強大な国家ではあるが、一枚岩ではなく、さらに王は側近の意向を完全には無視出来ない。野心家で強欲と噂される王の権力地盤は決して安定しているとは言い難かった。
なればこそ、ティンブリカ大陸は王家が主導で制圧し、王家の手で各家へ分割されねばならない。そうすることで王家の権威と力を誇示するのだ。
そのためには他の誰よりも早く大陸へ到着する必要がある。『傲慢』ならば飛んでいけるものの、ようやく浮かべるまでに修復しただけで長期に渡る航行は難しい。そこで軍を動かして海路から先遣隊を派遣したのだ。
「陛下より賜った機会、逃す訳にはいかん。一刻も早く未知の大陸に到着せねばならんのだ」
「はっ!」
提督は苛立つ貴族の子息に覇気のある返答をしながらも、三角帽の陰から冷めた目を向けていた。この任務自体が不本意でしかなく、実直な提督は命令に従っているだけに過ぎないのだ。
彼にとって自分の役割とは王国の敵と戦うこと、そして国と民を守ることだ。未知の大陸を発見し、そこに何らかの勢力がいて王国による統治を拒んだ時こそ彼らの出番。その前段階である未知の大陸を探索することでは断じてなかった。
「提督!海中から異音がすると報告がありました!」
「よろしい。縮帆。総員、戦闘配備。海兵隊を出撃。手旗信号で艦隊全体へ伝達せよ」
ただ、気が乗らない任務だからと言って手を抜くこともない。部下からの報告を受け、提督は素早く指示を出す。水兵達は慌てることなく提督の命令に従い、行動を開始した。
命令を出してから一分と立たずに船内からゾロゾロと現れたのは、特殊な武装を装備した一団だ。身体の線が浮かびあがるダイビングスーツめいたインナーの上から鱗状に魔物の皮を加工した鎧を装着し、頭部には目を保護するゴーグルのみ。主武装は槍で統一されていて、腰には短刀を下げていた。
彼らは王国の海兵隊である。現実の海兵とは主に上陸作戦などで戦う部隊なのだが、魔物が蔓延る海における海兵隊は海中での戦闘も行う精鋭部隊だ。彼らは提督に敬礼した後、次々と海へと飛び込んでいった。
旗艦だけでなく、艦隊の他の船からも海兵達が海中へ飛び込んでいく。そして大半の水兵達は腰の剣をいつでも抜けるように備え、一部の魔術が使える者達は杖を手に持っていた。
精鋭である海兵隊だけでなく、水兵達も高い練度を誇っている。そのような船団だからこそカレらは任務に不満を持ってしまい、だからこそ国王が探索に対する本気度がうかがえた。
「水球が三発。敵襲…?海賊か」
「かっ、海賊だと!?」
海兵隊が海に飛び込んでから程なくして、海中から三発連続で水球が飛び出して来た。これは海兵隊からの合図であり、回数によって海中に何がいたのかを示すことが出来る。一発なら『大型生物の接近』、二発なら『魔物の襲撃』、そして三発が意味するのは『敵襲』だった。
ここは既存のあらゆる大陸からも離れた洋上であり、周辺に小島くらいしか見当たらない。こんな海域にどこかの海軍がいるのはまずあり得なかった。それ故に周辺の小島を根城にする海賊による襲撃だと断定したのである。
貴族の子息は狼狽えているが、提督は全く動じていなかった。この船団は商船に偽装しているものの、実際には軍船だ。ほとんど抵抗などないと思っているのかもしれないが、それは大いなる過りなのだ。
水中から仕掛けて来る海賊は珍しく、例外なく精強と言える。しかしこちらには水中で最も輝く海兵隊がいるのだ。むしろ襲撃してきた海賊に同情を禁じ得ないほどである。自分達の運のなさを呪え、と提督は内心で同情すると同時に嘲笑していた。
ドゴッ!
敵を侮っていた提督だったが、自分の予想が大間違いだと気付いたのは旗艦が大きく揺れた時であった。貴族の子息などは衝撃によって立っていられずに転げ、提督や水兵達も急な揺れで姿勢を崩さずにはいられなかった。
「何が起きた!?」
「せっ、船底に何かが衝突した模様!浸水しています!」
「すぐに塞げ!」
浸水とは船舶を生き物に例えるなら、出血しているようなモノ。液体の出入は正反対であるが、放置しておけばジワジワと死に向かってしまうという点では全くの同一であった。
すぐに塞ぐように指示しつつも、提督は海兵隊の不手際に困惑していた。海賊が相当な手練れだったとしても、海兵隊の守りを抜けて船、それも旗艦に直接攻撃を行うなど想定外にも程があった。
可能性としては二つ。一つは海賊の数が相当な数がいる可能性。船団と言っても商船の船団に見せかける都合上、船の数は決して多くない。自然と海兵の数も少なくなり、数で押されれば精鋭であっても防ぎ切るのは困難であろう。提督は十中八九、こちらだと考えていた。
「だっ、大丈夫なのだろうな!?」
「そのために戦っております。船内へ避難して下さ…ぐっ!」
ただ、もう一つ可能性がある。それは襲撃している海賊の戦力が海兵隊を上回っているという可能性である。仮にそうだとすれば海兵隊は討ち取られ、船は沈められてしまうかもしれない。
提督の不安を煽るように船に再び大きな衝撃が走る。船内に逃げ込もうとしていた貴族の子息は再び転げてしまう。しかも今回はちょうど階段を降りようとしていたこともあり、階段を転がり落ちてしまった。
打ち所が悪ければ死んでしまうだろうが、そんなことに気を払っている余裕は提督にはない。何故なら、海面の様子をうかがっていた水兵の悲鳴が聞こえてきたからだ。
「どうし…っ!」
「ハァイ。はじめまして」
水兵達が悲鳴を上げた理由は、数人の水兵が物言わぬ骸と化して倒れていたからだ。それを行なったのは船縁に立つ人物であり…提督には見覚えがあった。
「『蒼鱗海賊団』の頭目、風来者のアンだったな。この辺りに潜んでいたのか」
「そういうことにしておこうかね。じゃ…さっさと海の藻屑になってくれるかい?」
「そうはさせん。総員、抜刀!」
「「「はっ!」」」
「行くよ、野郎共!」
「「「ヒャッハー!」」」
提督が己も抜刀しながら徹底抗戦の構えを取ると同時に、船縁に鈎縄を掛けて十人ほどの海賊が現れる。大海原の上で海軍と海賊の戦いが始まるのだった。
次回は3月21日に投稿予定です。




