大羊の御前と跳ねる害虫
ステルギオス王とリュサンドロス君、二人に連れて行かれた先は雲の前としか言えない場所であった。これが雲ではなく、古代雲羊大帝だとわかっているのだが、雲にしか見えないのである。
それに正直に言って他の場所との違いがわからない。二人が嘘をついているとは思わないが、本当にここで良いのか疑わずにはいられなかった。
「魔王殿、大羊様がこちらに気付かれたぞ」
「気付いた?どういう…こと…!?」
「グオッ!?」
「クルルッ!?」
まるで大したことではないかのようにステルギオス王が言った瞬間、古代雲羊大帝が大きく形を変えていくではないか。その一部がズイとこちらに向かって伸びたので、私だけではなくカルとリンも驚愕していた。
思わず身構えたものの、変形した古代雲羊大帝は私達に思ったよりも遠いところで止まった。もっと近付いてくると思っていたので肩透かしを食らった気分で…あれは何だ?
「何だ?雲、ではなくて羊毛の切れ間から何か黒いモノが見えたような…?」
「おお。見えたか」
「あれはね、大羊様のお鼻だよ!」
雲のような羊毛の切れ間から黒い何かが見えた気がする。それは古代雲羊大帝の鼻先だったらしい。つまり古代雲羊大帝は私達の匂いを嗅いでいるようだ。
しばらくその姿勢で固定されてから、古代雲羊大帝は再びその姿を変えて…いや、戻していく。あの、これはどう解釈すれば良いのだろうか?
「うむうむ。大羊様は問題なしと判断されたようだ」
「そっ、そうなのか?」
「そうだよ!」
どうやら古代雲羊大帝は嗅覚で我々を問題なしと判断したらしい。本当にそれで良いのかと思わないでもないが、これで太鼓判を押されたなら私にとって都合が良い。これ以上突っ込む必要はあるまい。
「ちなみに、問題ありだったらどうなっていたんだ?」
「それは無論、塵も残さずに吹き飛ばされておったろう」
「大羊様はとっても強いんだよ!」
…当たり前のようにとても恐ろしいことを言われたぞ。流石は太古の時代から生きる超巨大生物。レベル100のプレイヤー一人程度ならば軽く消し飛ばせるようだ。幸いにも私は即死しない能力を有しているが…本気なら普通に即死させてきそうな気もするな。
ただ、これで雲上国でゲイハを必要以上に恐れている者達も納得してもらえることだろう。ヒヤリとした甲斐があったというモノである。
こうして魔王国と雲上国の国交は正式に締結された。しかし、本当に忙しいのはここからである。やらなければならないことが山積みだ。魔王という神輿に乗っている私は逃げることは出来ない。帰ったら楽しくも地味な作業を始めなければ。
「ところで数日は滞在するのだろう?魔王殿達が滞在するための家を用意してあるぞ」
「それは助かる。トンボ返りをするには雲上国は魅力が多すぎるからな」
雲上国への訪問において、私達は滞在の期限を決めていない。場合によってはすぐに帰還することになっていたのだが、ここはステルギオス王の好意に甘えることにしよう。そして雲上国に戻ったら雲上国の産物や不足しがちな物資についてより詳しく見て回るのだ。
私達は連れ立って行きとは異なるルートで帰還する。すると眼下に広がる古代雲羊大帝の羊毛の隙間から戦闘する音が聞こえてきた。
「おそらくウチの連中だろう。血の気の多いことだ」
「頼もしいではないか!カッカッカ!」
下から聞こえる声に聞き覚えがあったことから、下で戦っているのは魔王国の者達だろう。早速、害虫駆除という名の探索に出ているらしい。何とも手が早いことだ。
何と戦っているのか気になったのだが、その答えはすぐにわかった。音が途切れたかと思えば、眼下からゲイハよりも大きな何かが跳び上がって来るではないか。
それは雲上国の家屋と同じくらいに大きなノミだった。そのノミは私達の頭上を越えて再び羊毛の中へと入っていく。おいおい、まさかとは思うが…
「あれが巨大蚤なのか?」
「おう、その通りよ。言うておらなんだか?あれらは我らが見上げるほどに大きいのだ」
そう言えば大きさについて聞いてはいなかった。ただノミとダニはとても小さいので『巨大』と言っても知れていると思っていた。大きくても大型犬ほどだろうと高をくくっていたのである。
だが、実際には古代雲羊大帝のスケールで考えなければならないらしい。まさか全高が二十メートル以上あるとは思わなかったぞ。
成虫でこれということは、幼虫もまたとてつもなく大きいのだろう。ひょっとしたらウロコスキーを超える大きさなのかもしれない。いや、普通に気持ち悪いな?
巨大蚤がアレということは、巨大壁蝨もまた同じように大きいのだろうか?その疑問にはリュサンドロス君が尋ねる前に教えてくれた。
「巨大壁蝨はね、雲羊くらい大きいんだ。雲羊みたいにフワフワしてないけど。ねー?」
「メェェ〜」
やはり巨大壁蝨もまた尋常でなく大きいようだ。地面に張り付く小山のような魔物の体力はそれだけで膨大だと思われる。それも吸血によって回復し続けていてダメージを受ければ受けるほど防御力が上がっていく…これは効率的な戦い方を研究しなければ倒せないだろう。
色々と試してみるしかないか…?いや、天巨人は長年巨大蚤と巨大壁蝨を駆除して来たはず。ステルギオス王は倒し方を知っているのではないだろうか?
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言う。ここは他プレイヤーを代表して聞いてみるとしよう。
「天巨人達はどうやって倒しているんだ?」
「うむ?巨大蚤は逃さないように拘束してから倒しておる。巨大壁蝨は死ぬまで殴り続けるだけぞ」
うーん、普通。とても有効な手段だとは思うが、それ以上にあまり参考にはならない。前者は天巨人のサイズでなければ不可能な手段だし、後者はひたすら時間がかかる。プレイヤーが効率よく倒す方法とは言えなかった。
これは試行錯誤を繰り返して最適解を見つけていく必要がありそうだ。まあ、この試行錯誤そのものが楽しいことは否定出来ないので地道に見付けるしかないだろう。
何はともあれ雲上国に私達は雲上国に帰還した。そんな私達を待ち構えている人物がいる。それはミツヒ子であった。
「天巨人王陛下、リュサンドロス殿下。私は『ノンフィクション』のミツヒ子と申します。不躾なお願いとは存じますが、取材を申し込んでもよろしいでしょうか?」
ジャーナリストであるミツヒ子にとって、他国の王と王子というのは最高の取材対象であろう。彼女は良識のある記者ではあるが、この機会を逃すほど消極的でもないらしいな。
「構わんぞ。なあ、リュサンドロスよ」
「うん!お話しようよ!」
彼女が丁寧な言い方をしたこともあり、ステルギオス王とリュサンドロス君は取材に快諾した。元々天巨人は大らかな性格だし、ミツヒ子も謙虚な雰囲気だったことが幸いしたらしい。
さて、それでは私はどうするか。アイリスは鉄屑扱いされている浮遊艦のチェックに向かっているはずだし、『モノマネ一座』は雲上国の人々にもショーを見せている。そして他のプレイヤーは害虫駆除に向かった…これは一人で動かなければならないのだろうか?
「魔王殿はどうする?」
「そうだな、私は…」
「イザームも一緒にお話しよう!」
予定がなかった私だが、リュサンドロス君が同行するように言ってくれた。チラリとミツヒ子の方を窺うと、彼女は了承するように頷いている。
ならば取材の場に私も参加させてもらうとしよう。私は乗っていたゲイハと同行してくれたカルとリンを労ってから三人と共に移動するのだった。
次回は12月8日に投稿予定です。




