大羊の御前へ
ステルギオス王とリュサンドロス君による雲上国案内はとても参考になった。最初に連れて行かれたのは雲上国の特産品である毛織物の工場であった。
この工場は全て手作業で行われている。糸を紡ぎから織るところまで、完全なる手作業なのだ。以前にテレビか何かで見たペルシャ絨毯の製作作業を見ているようだった。
特に古代雲羊大帝の羊毛を扱えるのは熟練の職人、その中でも一握りの人物だけらしい。そのごく一部の中にエウロペ妃が含まれているようだ。
次に案内されたのは、雲上国の農場だった。雲上国でも農業は行われているのだが、その外見は独特であった。育てているのは野菜だそうだが、全てが風船のようにフワフワと浮かんでいたのだ。
古代雲羊大帝の羊毛を土代わりに育っているからか、農作物も影響を受けているらしい。ただ、流石に羊毛のようにひとりでに浮かぶこともないようだ。実際に一つもぎ取って渡された野菜がこれだった。
ーーーーーーーーーー
天空特大トマト 品質:良 レア度:R
高高度という環境でのみ生育するトマト、その中でも特に大きな品種。
古代雲羊大帝の上で育てられたことで浮遊する力を持っている。
ーーーーーーーーーー
デカい。野菜も当然のように巨人サイズだ。トマトなのに大玉スイカ並みの大きさがあるぞ。両手で持たないと抱えられないトマトなんて初めて見た。
大きさはともかく、どうやら雲上国で栽培されている農作物は全て浮遊する効果があるらしい。雲上国産の食材は普通に調理する食後、身体が浮かんでしまうそうだ。
ただ、日常生活で浮かんでいても役立つことは少ない。それどころか浮かぶ必要がない時に浮かぶのは鬱陶しいらしく、彼らは日常的に調理法を工夫して浮かぶ効果を消しているようだ。
宴会で饗された料理も浮かばないように工夫した調理法で作られたらしい。もしも工夫されていなければ食べた皆があの空間でプカプカと浮かんでいたのか…想像すると結構シュールで面白い光景だな。
しかしながら、我々からすればこの浮遊する効果も非常に興味深い。農作物も輸入品目に入れるべきだろう。いや、彼らにとって通常の農作物は需要がありそうではないか?同じ重さの地上の食材と取引することも提案してみようか。
「次は外へ行こう。大羊様にご挨拶へうかがおうぞ」
「一緒に行こう!」
「…わかった」
国内を見回った後、今から二人は私を大羊様…すなわち古代雲羊大帝と面通しさせるつもりらしい。唐突過ぎて驚いたが、これから度々背中を訪れることになる相手だ。なるべく早く顔合わせしておいた方が良い。私は二人についていくことに決めた。
二人は普段着のまま、護衛を付けずに雲羊に乗って向かうらしい。ならば私もカルかリンに乗って行こう…かと思ったのだが、ここでステルギオス王からゲイハに乗るようにと指定された。
「ゲイハでなければならないのか?」
「うむ。魔王殿を信じておらぬ訳ではない。だが、伝承のこともある。あれが本当に安全だと同胞達に知らしめて欲しいのだ」
ゲイハが復活した時、すぐに雲上国から戦士が飛んで来たのは記憶に新しい。それだけゲイハが死んだ時に残した怨念は彼らの間で恐れられて来たのだろう。実際に触れたプレイヤーを乗っ取ろうとしたこともあるほどだし、強ち彼らの恐怖は的外れとは言えなかった。
偶然が重なったことで大人しくなっているが、本来は災厄を振りまく悪霊になっていたはず。そんなゲイハを恐れてしまう気持ちは理解できるので突っぱねるつもりはなかった。
「グオオゥ!」
「クルルッ!」
「フォォォン」
こうしてゲイハの頭骨の上に立つことになった私だったが、その左右を挟み込むようにしてカルとリンもついてきていた。どうやら自分達を差し置いて私を乗せているゲイハに嫉妬しているらしい。いやぁ、人気者は辛いぜ。
冗談はさておき、カルとリンが両脇を固めた状態で私達は大空をゆっくりと飛行する。だが雲上国から少し離れると様子が変わってきた。
雲上国とその周辺は天巨人の農場があることもあって古代雲羊大帝の羊毛が踏み固められている。しかしそこから離れると羊毛がまるで鬱蒼と茂る巨人サイズの樹海のように広がっているのだ。
巨人にとっての樹海、すなわち古代雲羊大帝の羊毛は全長が百メートル以上もある。一本一本も太く、基本的に直径が一メートル前後あるらしい。
直径一メートルなんて、仮に樹木であってもかなり太い方ではないか。それは織物に使える羊毛は厳選しなければならないはずだ。
その奥からは謎の唸り声や悲鳴などが聞こえてくる。上からでは羊毛の隙間は見えないが、聞いていた通りにこの中には一つの生態系が築かれているようだ。
「信じていなかった訳ではないが、本当に多くの魔物が住んでいるのだな」
「うむ。近頃は数が増えすぎておる。魔王国の風来者達には魔物の駆除を依頼することになろう」
「素材は全取りで構わんのだな?それなら嬉々として突っ込んでいくだろうよ」
「うむ。買い取ることもあると思うがな」
風来者ことプレイヤーにとって、新たな魔物がいるとの情報は新たな素材との出会いを意味する。しかも素材とは別に報酬まで用意してもらえるとなれば、我先にと雲上国を訪れるのは間違いなかった。
しかし、一体どんな魔物が潜んでいるのだろうか?ネタバレを嫌がる者もいるが、私は事前に情報を集めてリスクを低減しておきたい。ついでに二人に聞いておくか。
「それで、倒して欲しいのはどんな魔物なんだ?依頼する時にはわかることなのだろうが……」
「うむ。大羊様にとって最大にして最悪の天敵。それは…」
「巨大蚤と巨大壁蝨っていう悪い虫だよ!」
ステルギオス王がもったいぶった言い回しをしている間に、リュサンドロス君が正体を言ってしまった。答えを言いたかったのだろう、ステルギオス王は少し悲しそうだ。
だが、リュサンドロス君はちゃんと覚えていることを自慢するように胸を張っている。これでは怒ることも出来ないではないか。仕方がないので、私はリュサンドロス君に頷いてからその二種類の虫についてステルギオス王からより詳しい話を聞くことにした。
「ノミとダニ…古代雲羊大帝様の生き血を啜っているのか?」
「その通りだ。あれらは他の獲物には目もくれず、大羊様の生き血を啜っておるのだ」
ノミとダニ。リアルでも野生生物や家畜、愛玩動物、はたまた人間に至るまであらゆる動物にとって厄介な寄生生物である。生物の肌に噛み付いて生き血を吸血し、時には疫病を媒介することもある厄介者だ。
ちなみに、ノミは完全変態する昆虫で幼虫はイモムシのような見た目で普通に気持ちが悪い。そんな幼虫も倒さなければならないのだろうか…?
「ところで、その二種の特徴を教えてくれるだろうか?」
「うむ。巨大蚤は硬い外骨格に守られた魔物だ。ただでさえ硬いのに、危うくなれば跳ねて逃げ出す。幼虫は我らを見ると逃げ出すぞ」
「卵は美味しいんだ!宴会にも出してたんだよ!」
「そ、そうか…」
魔物の卵、それも虫系魔物の卵が宴会の料理に含まれていたと知ってしまった。私は食べていないし昆虫食にも忌避感はないのだが、食べていた者達の中にはそうではない者もいることだろう。これは早めに教えるべきだな。どうせ卵の納品依頼もあるだろうから。
巨大蚤の特徴は硬い上にすばしっこく、形勢不利と見るや躊躇なく逃げるようだ。生存に全振りしている駆除対象、ということか。何とも面倒な相手だ。
「巨大壁蝨は何をされようが動くことはほぼない。その場でずっと噛み付き続け、血を啜り続ける。そして傷を負うとさらに血を啜って傷を高速で癒やすのだ」
「血を吸えば吸うほど防御力が上がっちゃうんだ」
巨大壁蝨は常軌を逸した耐久力で耐え続ける魔物のようだ。大火力で一気に叩き潰すのが良いだろう。
それにしても駆除依頼を出される二種類の魔物は両方ともとにかく面倒くさい相手のようだ。だからこそ外国の者に依頼を出すのだろう。
「おお、もうすぐ大羊様の御前だ」
「久しぶりだね!」
そうして駆除対象についての話を聞いている間に古代雲羊大帝のご尊顔の前に到達するらしい。私は慌てて服装に乱れがないか確認するのだった。
次回は12月4日に投稿予定です。




