編集長・ミツヒ子
カキアゲの密航が判明した後、イザームによって提示された条件を伝えるべくカキアゲは『ノンフィクション』のオフィス…と彼らが呼ぶ隠れ家に帰還する。そこはとある森にある大樹、その幹にあるうろであった。
そんなカキアゲはオフィスに戻った際、彼はカモメに寄生していた。寄生昆虫の姿のままでは貧弱ということもあり、最寄りの港まで『コントラ商会』の商船で送り届けた後でセバスチャンが生け捕りにして提供したのである。カモメで森まで行かなければならないことに不平を鳴らしていたが、コンラートは完全に無視を決め込んでいた。
「あら。おかえりなさい、カキアゲ君。姿が変わっているけれど、何かあったのかしら?」
「編集長!」
記者である自分に対する態度ではないだろうと憤慨しながらオフィスに帰ったカキアゲを出迎えたのはスラリとした長身の女性である。彼女はクラン『ノンフィクション』のリーダーにして編集長であった。
ミツヒ子というプレイヤー名の彼女はどう見ても人間の女性にしか見えない。だが、実際には彼女もまた魔物である。その擬態は見抜くことは非常に困難なほど完成されていた。
「聞いて下さい!実は…」
不満を溜め込んでいたカキアゲは、まるで自分が被害者であったかのように出来事とイザームからの要求を語った。実際には密航した上で反省する素振りすら見せず、さらにデマの拡散を仄めかして恫喝したり暴言を繰り返したりしたのだが…彼にとってこれは加害に当たらないようだ。
話を最後まで聞いていたミツヒ子だったが、話が終わった時には思わず両手で顔を覆っていた。自分の預かり知らぬところで、部下がとんでもないことを仕出かしたのだと知ってしまったからである。
「はぁ〜…なるほどね」
「どうします、編集長?徹底的に調べ上げ…」
「馬鹿なことを言わないように。『コントラ商会』はウチの雑誌を置いてくれているお得意様よ?どうして喧嘩を売るって発想になるの、全く…ふぅ〜」
ゴシップ雑誌である『ノンフィクション』であるが、彼女らだけで広い範囲に売買するのは不可能だ。そこでいくつかの商会に卸す形をとっているのだが、その内の一つが『コントラ商会』なのだ。
『コントラ商会』にとっては無数に取り扱う商品の一つに過ぎず、コンラートに至っては実は取り扱っていることを忘れていた。もしそれを覚えていたならば、デマの拡散を匂わせる恫喝に対して取り扱いを止めると脅し返していたことだろう。
だが、『ノンフィクション』にとって『コントラ商会』は雑誌を仕入れてくれる大事な取引先だ。そこへ敵対行動と思える行為を行っただけにとどまらず、会長であるコンラート本人を脅した。ミツヒ子が頭を抱えるのも無理はなかった。
正直に言えばカキアゲを殴り飛ばしたい気分だったミツヒ子だが、大きく深呼吸するだけでなんとか堪えた。今はカキアゲを叱っている場合ではないし、彼は何を言おうと自分を正当化して反省しないタイプだと知っている。無駄な時間を彼に割く余裕はなかったのだ。
ミツヒ子はすぐに行動を開始した。まず第一に高級な紙に直筆で手紙を認めると、カキアゲをとんぼ返りさせてこれを届けさせたのである。カキアゲは自分はメッセンジャーではないと文句を言っていたが、有無を言わせずに送り出した。
カキアゲは知らないが、手紙の内容は謝罪文と交渉の席には必ず出席する旨である。手紙を読んだことでコンラートは『ノンフィクション』を扱っていることを思い出しつつ、この文章は非常に丁寧だったこともあってイザーム達に引き合わせる前に自分が会ってみることにした。
コンラートは同じく上質な紙に返事の手紙を認めて、文句を言いながら待っていたカキアゲに渡す。そこには謝罪を受け取ったことに加えて、とある場所にしばらく滞在するから都合が良い日に訪ねて欲しいとも書かれていた。
その場所は多くの住民が住む街だったのだが、翌日になると編集長は早速その街に入った。無論、編集長もまた魔物プレイヤーだが堂々と街に入ることが可能だった。
「ここかな。ごめんください」
「ミツヒ子様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
コンラートが指定した建物を訪ねると、出迎えてくれたのはそこの使用人として雇われている住民であった。ミツヒ子はこのまま交渉が始まるのだと思っていたものの、彼女の想像通りにはならなかった。というのも、まだコンラートがログインしていなかったのだ。
「申し訳ございません。コンラート様がいらっしゃるまで、どうぞおくつろぎ下さい」
「あ、ああ。ありがとうございます」
気合いを入れて臨んでいたこともあり、ミツヒ子は肩透かしを食らってしまう。これはコンラートが仕掛けたことではないのだが、ミツヒ子にとっては出鼻をくじかれた形になっていた。
ただ、使用人達はそんな状況でも丁寧に編集長をもてなした。しかもちゃんと味のする、しかも美味しい超高級品の飲み物とお菓子が当たり前のように出されている。客間の家具を【鑑定】してみれば全てレア度は全て『R』以上、品質に至っては全てが『優』なのだ。改めて『コントラ商会』の財力は半端ではないことを見せつけられていた。
コンラートがまだログインしていなかったというのは事実だが、このもてなしはコンラートの策である。圧倒的な財力を見せつけることで、自分とその関係者に手を出すことの危険性を示そうとしたのだ。
この策の恐ろしいところは、策だとわかっていても抗えない点である。実際、編集長もコンラートの狙いについて察しはついている。だが、それでもなお『コントラ商会』を敵に回すべきではないと確信していた。
客間の身体を優しく包みこんでくれる柔らかなソファーに高級な飲み物とお菓子。このままコンラートが来なくても良いのではないかと本末転倒なことをミツヒ子が考え始めたまさにその時、コンラートがログインしたと使用人が伝えに来た。
使用人に案内された先は応接室であり、そこは客間と同じく高級品の家具で統一されている。しかし、それに加えて一目で高品質だとわかる芸術品が飾られていた。下品にならない絶妙な数と配置であり、優れたセンスの持ち主がプロデュースしたのは間違いなかった。
「やあ、遅れてごめんね」
「いえ、早く来すぎた私の落ち度です。謝罪される必要はありません」
応接室の椅子に座っていたコンラートだが、笑顔で立ち上がるとミツヒ子を歓迎する。コンラートとは対照的に、ミツヒ子は努めてポーカーフェイスを作っていた。
変わらぬ笑顔のままコンラートはミツヒ子に椅子に座るよう促した。彼女は失礼しますと一言声を掛けてからコンラートの対面にある椅子に腰をおろした。
「いやぁ、呼び出したのはこっちなんだけどね。まさか次の日に来てくれるとは思わなかったよ」
「謝罪に伺うのですから当然です。この度は我が『ノンフィクション』の記者がご迷惑をお掛けしたこと、心より謝罪いたします。誠に申し訳ありませんでした」
ミツヒ子は椅子から立ち上がると深々と頭を下げる。コンラートは謝罪に込められた誠意が十分に伝わったので、カキアゲの無礼な態度と悪質な行いについては許すつもりになっていた。
「わかった。今回は多目に見よう。でも、次はない。わかるよね?」
「もちろんです。言って聞かせます」
カキアゲの性格上、言って聞かせるのが難しいことはわかっている。だが、それをやるのがクランのリーダーとしての…編集長としての自分の役割だと己を鼓舞していた。
可能かどうかはわからないが、ミツヒ子が口約束で終わらせるつもりはないのだとコンラートは見て取った。この人物ならば大丈夫だろう。彼は笑みを深めながら自分用の飲み物を口に運んで喉を湿らせた。
「さてさて、謝罪の話はここで終わり。今度は別の話をしようじゃないか」
「別の話、ですか」
「そう警戒しないで欲しいな。無理を言うつもりはないからね。大前提として嘘偽りなく答えてもらいたい。君達は魔物プレイヤーのジャーナリスト集団だと聞いてるけれど、自分達以外の魔物プレイヤーのクランと繋がりはあるかい?」
コンラートからの問いに対し、ミツヒ子は何と答えるべきか逡巡する。事実を述べるなら、彼女らは魔物プレイヤーの複数のクランと繋がりがあった。
情報収集に長ける『ノンフィクション』だが、その一点に特化しているせいで戦闘力は低くなりがちだ。しかしスクープを追うには危険地帯に行かねばならないこともある。その時は護衛が必要なのだが、人類プレイヤー相手では自分達の強みがバレてしまう。
そこで役立つのが魔物プレイヤーだ。街でしか得られないアイテムを報酬として戦闘向きな者達を雇い、危険地帯を切り抜ける。『ノンフィクション』にとっては良きビジネスパートナーであった。
だからこそ、ミツヒ子は正直に話すべきか迷ってしまう。いくら負い目があるとしても、ホイホイと協力者について話すことに強い抵抗感を抱いたのだ。
イザーム達の働きで魔物プレイヤーの人口は確かに増えている。しかし全体から見れば少数派であり、それ故に知り合えた場合の彼らの結束は固くなる傾向が強かった。それはミツヒ子にも言えることなのだが、迷った姿を見せた相手が悪かった。
「ああ、言わなくても良いよ。その反応で大体わかったからね」
相手はプレイヤーの中でも最も稼いでいる商人、コンラートである。彼はミツヒ子が迷った瞬間に大体の事情を察してしまった。迷ったことそのものがヒントになってしまったのだ。
ミツヒ子は悔しさから歯噛みしたい気持ちだったが、これ以上表情だけで読まれたくはない。彼女は無表情を作りながら、何のことでしょうととぼけてみせた。
「まあ話くらい聞いてちょうだいよ。魔物プレイヤーっていうのは不便なものだって話は知ってる。君達もきっと人里離れた場所に隠れ家を構えているんだろうね」
「…」
「じゃあ仮に、だよ?昼だろうと夜だろうと、堂々と魔物プレイヤーが闊歩出来る街があるとしたら…君達はどうする?」
「…そんな場所が実在する、と?」
「質問に質問で返すのはどうかと思うけどね。確かめたければ少しだけ遠出しても問題ない日を教えてくれるかい?その日に面白い場所へ連れて行ってあげよう」
微笑みを絶やさずにコンラートはミツヒ子にそう言った。彼女は半信半疑ではあったものの、仮にそんな場所が実在するのならば願ったり叶ったりである。これは調査だと自分に言い聞かせながら、彼女はスケジュール上確実に大丈夫な日時をコンラートに教えるのだった。
次回は9月19日に投稿予定です。




