深淵大決戦 その四
ユラユラちゃんと深淵凶狼覇王が出現し、肉眼で見える距離で争い始めた。深淵凶狼覇王だけであればまだ気付かなかったかも知れないが、ユラユラちゃんがいては気付かない方が難しいというもの。誰もが近くで始まった怪獣大戦争に驚愕せずにはいられなかった。
ただ、この状況でこれまで通りでいられる者が一体だけ存在する。そう、エリステルである。半狂乱で暴れているからこそ、周囲が全く見えていないようなのだ。この驚愕したかどうかという差が、盾隊に大きな被害を齎してしまった。
「キイィィィ!アアアァァァァ!」
「しまっ!?」
「ぐはっ!?」
集中が途切れたことで盾隊の一部がエリステルの翼を受け損ねたらしい。全員ではないのは流石だが、あれではダメージを受けた者達が治療のために退避すると支えるのが難しくなるだろう。
ここは私達が動くべきだ。私は魔術隊に指示すると、防壁系の魔術を使わせる。こんなこともあろうかと、防壁系の魔術を何重にも発動させる訓練をきっちり行っていた。訓練の成果を見せる時であろう。
「ギガァ!?」
エリステルにとって、魔術の防壁など薄紙も同然かもしれない。だが、塵も積もれば山となる。重ねた防壁は狂乱するエリステルの一撃を確かに受け止めた。
私達の工夫は防壁を愚直に重ねるだけではない。検証と練習の結果、私達は防壁系の魔術を射出するオリジナル魔術を編み出すに至ったのだ。
「押し返せ!」
シールドバッシュが連打されるような形となったことで、エリステルは押し返されている。ダメージは微々たるものだろうが、前進しようとするエリステルを少しずつ後退させているこの状態は遊撃隊にとって絶好の機会であった。
ジゴロウ達は仰け反り続けているエリステルに背後から接近すると総攻撃を仕掛ける。前後から挟撃されるのはいくら狂乱していても鬱陶しいのか、エリステルは毎度のごとく回転して兄弟達を追い払った。
「馬鹿の一つ覚えってねぇ!」
ただ、回転して追い払うというお決まりのパターンを逆にアン達は利用する。彼女らは両端が鉤爪になっているロープを投擲したのだ。
投擲されたロープはエリステル自身の回転によって全身に絡み付き、全身の自由が奪われてしまう。追い払うための行為によって自分の首を絞めた形になっていた。
「オッシャァ!突っ込…止まれェ!」
「何…ぐえぇぇっ!?」
「ぎゃあああああっ!?」
さらに追撃をしようとした遊撃隊だったが、珍しくジゴロウが焦ったように静止する。チンピラのように脊髄反射でジゴロウの命令に従える者達はともかく、他の者達…特に少し離れた場所にいた機動隊は反応が遅れてしまう。
その一瞬が彼らの明暗を分けた。次の瞬間、上空から巨大な何かが振ってきたのである。それはエリステルに直撃したのだが、あまりにも大きかったせいで近付きつつあった者達が巻き込まれて押し潰されたのだ。
振ってきたモノは何か?それはユラユラちゃんの触腕の一本だった。深淵凶狼覇王によって千切られた触腕がここまで飛んで来たのだろう。十メートルをゆうに超える長さの触腕を千切るだけでも凄まじいのに、それがここまで飛んで来るとは…あの大きさで信じられないパワーの持ち主のようだ。
「治療、急げ!」
「何人カヤラレタゾ!」
触腕によって押し潰された者達からは残念ながら死に戻りする者が現れたらしい。地獄や深淵でログアウトすることは可能だが、死に戻りした場合は地上からやり直しだ。彼らが急いで深淵を目指したとしても、たどり着くには長い時間がかかるだろう。
一方でまだ生き残っているが重傷を負った仲間達は急いで治療されていた。ただ、その傷の治りは非常に遅い。どうやらユラユラちゃんの触腕には多種多様な状態異常を引き起こす毒があり、その中には回復を阻害する効果も含まれているようなのだ。怪獣大戦争の余波で最初の犠牲者が出るとは思わなかった。
私達にも被害は出たものの、千切れてもなお回復阻害の効果がある触腕はエリステルにも効果を及ぼす。私達よりは遥かに高い抵抗力を持つようだが、同格たるユラユラちゃんの毒には耐えきれないようだった。
「あぐうぅぅ…痛い…痛いィィィィィ!」
ユラユラちゃんの毒に犯された苦痛から、エリステルは悲鳴を上げていた。毒だけでなく上空から降ってきた触腕が直撃したことで、広げていた翼の内の一枚がへし折れている。痛みで絶叫するのも当然であった。
こちらにも被害は出たものの、ユラユラちゃんのお陰でチャンスが生まれたのもまた事実。今を逃してはならないとばかりに私達は再び攻撃を開始した。
「ガッハッハ!準備ってのは裏切らねぇもんだな、おい!」
この時、豪快な笑い声と轟音と共に戦車隊が放ったのは徹甲刺突弾という特殊弾頭だ。これは徹甲榴弾のように爆発はせず、鋭い先端で突き刺して刺突ダメージを与えるという刺突に特化した代物だった。
単純な貫通力で徹甲榴弾に勝っているというのも特徴の一つだが、それ以上に特筆するべきは先端にかえしが付いていることである。一度突き刺さればそう簡単には抜けない形状なのだ。
この徹甲刺突弾を今発射した理由。それはユラユラちゃんの触腕をエリステルに縫い付けるためだった。徹甲刺突弾はユラユラちゃんの触腕を貫通し、先端は折れた翼の付け根に深々と突き刺さっている。あれだけ深いとそう簡単に抜けないだろう。
エリステルは奇声を上げて暴れ、ユラユラちゃんの触腕を外そうとしている。だが食い込んだ徹甲刺突弾が抜けることはなく、奴の動きは徒労に終わった。
「…目に見えて体力が減っているじゃないか。私達の攻撃よりも、触れているだけのユラユラちゃんの触腕の方がダメージを稼いでいるのは複雑だな」
「グオォ?」
全体を俯瞰しながら指揮している私は自分達の攻撃よりも、攻撃にすらなっていないユラユラちゃんの触腕が蝕む速度が勝っているのだ。複雑な気分にならずにはいられなかった。
ただし、このユラユラちゃんによるボーナスタイムは長くは続かないだろう。何故なら突き刺さっている徹甲刺突弾が既に溶け始めているからだ。どうやらユラユラちゃんの体液には酸も含まれていて、金属を溶かしてしまうらしい。ユラユラちゃん頼りに削り切るというのは期待してはならないようだ。
「うおおっ!」
「魔術隊に負担をかけさせんなよ!」
一方で朗報もある。このタイミングでエリステルの不意打ち気味な一撃から前衛組が復帰した。これで私達は再び攻撃に集中することが可能になる。私達は弓隊とタイミングを合わせて魔術を放った。
先に倒れた盾隊に続き、今度は死に戻りを免れた遊撃隊や機動隊の者達も復帰していく。戦線を立て直すことに成功した。誰もがそう思ったことだろう。
「グオオオオオオッ!ガオオオオオッ!」
「クルルッ!クルオォォォッ!」
「カルにリンも!?急にどうし…嘘だろう!?」
安堵しかけた私だったが、その前にカルとリンが悲鳴を上げるように吠えだした。こんなことは今までなかったこともあり、私は尋常ではない事態が発生していると察して周囲を見回す。
すると、一つの異変に気付いてしまった。それはユラユラちゃんと戦っている深淵凶狼覇王が、何故か口を限界まで開いていることだった。
ただ口を開いているだけならば、ユラユラちゃんと戦うためだと思ったことだろう。だが、その口の間には深淵の闇を凝縮したかのような漆黒の球体が浮かんでおり、そこから同じく漆黒の電撃が四方八方に散っている。それはまるで漏電するかのようであり…エネルギーが限界まで凝縮されているのだと私は直感してしまった。
「全員、伏せろおおおおぉぉぉっ!!!」
「「「っ!?」」」
直感に従って伏せろと指示するのと、深淵凶狼覇王の口から漆黒のビームが放たれたのはほぼ同時であった。三大領主では特に小さい深淵凶狼覇王から放たれたビームは、その体格に見合った細さである。
だが、籠められていたエネルギーは膨大と言う他に表現する言葉がなかった。そのビームはユラユラちゃんの触腕を一瞬で蒸発させる威力だったのだから。
だが、それで終わらないから私が慌てたのだ。深淵凶狼覇王はビームを放ちながら、その頭をよりにもよって左右に振ったのである。
ビームは勢い良く薙ぎ払われ、軽液を巻き込んで爆発を起こす。その爆風は乗っているカルを吹き飛ばすほどの風圧であり、私は振り落とされないように耐えることしか出来ないのだった。
次回は8月6日に投稿予定です。




