深淵大決戦 その三
複数の部隊を運用しての包囲戦はこちらの練度が高いこともあるだろうが、エリステルが狂乱していることもあって優勢に進んでいる。確かに直撃すれば瀕死になるかも知れないが、既に仲間達は慣れ始めたのか大きなダメージを喰らうことすらも少なくなっていた。
すると援護が役目である千足魔隊と妖人隊の仕事がなくなるようにも思える。だが、こういう場合に備えて彼らには別の武器も渡していた。
「喰ラエィ!」
「ふんっ!」
彼らは深淵の海から身体の一部だけを出すと、投擲用の武器を投げている。槍や手斧など投擲に適した形状をしていて、着弾すると同時に爆発したり電撃を放ったりしていた。
これらはどれも使い捨てだが、だからこそ安価でも強力な武器に仕上がるらしい。千足魔隊と妖人隊の与えるダメージは着実にエリステルを削っていた。
「あァ……あああァァァァァ!鬱陶しいィィ!かくなる上はァァァッ!」
「「「うわあああっ!?」」」
「風圧!?第二形態と言ったところか!」
削られ続ける現状に我慢の限界が訪れたらしい。エリステルは絶叫しながら奴の身体を隠している翼の内、さらなる二枚が広げられる。その際に凄まじい風圧が発生し、周囲にいた仲間達が吹き飛ばされた。
仲間達は急いで陣形を組み直している間、エリステルは獣のように唸るばかりで攻撃してくることはない。そのお陰で奴をじっくりと観察することが出来た。
計四枚の翼が広げられたことになるが、エリステルの頭部はまだ隠されていて見ることは出来ない。その代わりと言って良いのかはわからないが、翼によって隠されていた下半身が露わになった。
「脚は増えていないようだが…やはり侵食はされているようだな」
エリステルの脚部だが、腕のように三本に増えているということはなかった。ただし、全く深淵の影響を受けていないという訳では断じてない。むしろある意味で腕よりも酷いことになっているようだった。
エリステルの両腕は籠手などで守られてはいない。だが、脚部は右脚だけ金属製らしき防具を装備している。露出している左脚だが、まるで鳥の後ろ脚のようになっていた。
全体がゴツゴツした表皮に覆われており、皮膚の色は付け根から半ばまでが白色で、そこから爪先までが黒色だ。指の本数は五本のままだが、親指部分が真後ろに伸びている形状だった。肉屋で売っているモミジ…鶏の足を思い出す。煮込むと美味いんだよな、あれ。
ただし、爪先から生えている鉤爪は猛禽類のように太く、それでいて鋭い。あんな鉤爪で掴まれたら、捕まる前に身体がバラバラになってしまいそうだ。
では防具に守られている右脚は無事なのか、と問われればそんなことは断じてない。脚の付け根や膝、足首といった関節からは軽液がボタボタと滴っている。関節部分から漏れているのは軽液だけではない。表面がツルツルとした、イソギンチャクを思わせる灰色の触手までも生えているのである。
この触手はニュルニュルと動いており、常に伸び縮みしているようだ。右脚から触手が生えているとは、場合によっては右脚の方が侵食されている可能性もあり得る。【異形ノ天使】という能力になるほどだ。最悪を想定しておいた方が良いだろう。
左右で異なる異形の脚にも驚かされたが、まだ頭部から上半身までを覆う翼は真っ黒だったことにも驚いた。今広げられている四枚は白色と黒色が混じり合っていたが、こちらは黒一色なのである。
ただ、目を凝らして観察すると羽根が黒く染まっているのではないことに気が付いた。というのも、どうやら奴の翼は全体が軽液が染み込んでいるようなのだ。水に浸けたタオルのように限界まで軽液を蓄えているのか、ポタポタと軽液が垂れていた。
「あ…あ…あは…アハハハハ!ヒイィィィアァァァァ!」
「完全にイカレやがったなァ!」
「何笑ってんすか、アニキ!?」
これまで微小に震えていただけのエリステルだったが、急に高笑いし始めたかと思いきや急にこれまで以上の激しさで暴れ始めたのである。四枚の長大な翼と未だに形を保っている剣をデタラメに振り回していた。
ただし、注意すべきは翼と剣だけではない。何故なら今回はようやく露出した異形の両脚も使っているからだ。
「うわっ!?盾が!?」
「ぐっ!?右脚は伸びるのか!」
嬉しくないことに私の予想はある程度当たってしまった。エリステルの左脚の鉤爪は盾隊の持つ盾を貫いているし、右脚は鞭のようにしなりながら伸びたのである。
どうやらエリステルの右脚は灰色の触手が生えているどことか、灰色の触手の集合体だったらしい。右脚は複雑な軌道を描き、盾隊を背後から襲い掛かる。
そういうモノだとわかった今は防げているが、最初の一撃はまともに食らった者達がいた。すぐに千足魔隊が運んでくれたが、これからは怪我人も増えることだろう。治癒隊には頑張って貰わなければなるまい。
「それにしても、半狂乱になっているからかエリステルの動きが激しい。ママ?」
「ええ。拘束系の矢か武技を使うわよ!」
意図を一瞬で汲み取ったママは素早く指示を飛ばし、弓隊はそれに従って即座に準備を整える。私の麾下にある魔術隊もそれぞれに使う魔術を選定し、弓隊の準備が整うのを待っていた。
待った時間はほんの数秒ほど。私とママは自分の部隊の準備が整ったことを目配せで確認し合うと、全く同じタイミングで全く同じことを叫んでいた。
「「撃てぇぇぇぇっ!」」
私達の号令と同時に大量の魔術と矢が放たれた。それらは全て敵を拘束する効果を有している。縄に鎖、蛇や人の腕などを象った魔術がエリステルを縛り上げ、同じく縄や鎖が装着された矢や影の位置を固定する矢などが動きを止めていた。
エリステルの剛力によって既にいくつもの拘束具が引き千切られているので、長くは保たないだろう。だが、動きを封じたことが重要だ。この好機を見逃すような間抜けは遊撃隊にも機動隊にも戦車隊にも存在しなかった。
「撃てぇい!」
「突っ込めェ!」
「突撃よ〜」
戦車隊の主砲が火を吹き、その爆炎を突っ切って遊撃隊と機動隊がエリステルに殺到する。攻撃に特化した彼らが好き放題に殴ったなら、短い時間であってもエリステルの体力を大きく削ることに成功した。
このボーナスタイムはそう長くは続かない。拘束から逃れたエリステルは、その場で高速回転することで風圧を発生させながら刃のような羽根を乱射する。遊撃隊は素早く盾隊や戦車隊の陰に飛び込み、機動隊は脱兎のごとく離脱していた。
「キイイィィィ…」
「撃ちます!」
回転を止めたエリステルが奇声を上げながら何かしようとした瞬間、基地内からその奇声を塗り潰すほどの音が轟いた。深淵全体に響き渡ったのではないかと思わせるこの音の正体は、防衛兵器の一つである臼砲であった。
高く打ち上げられた大型の砲弾は、ほぼ真上からエリステルに直撃する。特製の砲弾が炸裂し、流石のエリステルも体勢を崩しているようだ。良いタイミングだ、リャナルメ!
「畳み掛け…」
「へ、陛下!」
「緊急事態デス!」
再び訪れた絶好の好機に魔術の集中砲火を浴びせよう。そう思った矢先、妖人と千足魔のコンビが私を慌てた様子で呼び掛ける。緊急事態だって?一体何があったと言うんだ?
「何があった!?」
「ヤツが…ヤツが来てます!」
「深淵凶狼覇王デス!」
「…何だと!?」
深淵凶狼覇王。深淵の三大領主の一角。エリステルやユラユラちゃんと同格の怪物。それがすぐそこに来ている。彼らはそう言ったのだ。
信じられないことを聞いたからか、私は何を言っているのか理解出来なかった。いや、脳が理解を拒んだと言った方が正しいかもしれない。想定外、という言葉では足りないほどの報告だったのである。
だが、呆けてばかりもいられない。私が二人の指差す方に目を凝らすと、そこにはゆっくりと歩きながら近付く一匹の狼の姿があった。
ニヤリ
その狼は特別に大きい訳でも、変わった身体的特徴がある訳でもない。それこそ、見た目だけならばファースの街の近くにいた普通の狼と変わらなかった。
だが、私と目が合った瞬間に浮かべた邪悪な笑みはただの狼ではないことを如実に物語っている。私の背筋にはゾクリと怖気が走り、ジゴロウでもないのにあれが…本物の深淵凶狼覇王なのだと直感させられるだけの迫力があった。
「三大領主が二…何だと!?」
よもや三つ巴の戦闘が始まるのではないか。そんな絶望で目の前が真っ暗になりそうだったのは一瞬のこと。深淵凶狼覇王は笑みを消して横に跳ぶ。その瞬間に下から海面を貫いて巨大な塔が…いや、触腕が現れたのだ。
様々な海洋生物の頭部が集まった、巨大な触腕。そんな異形が二つと存在するはずもない。あれは紛れもなく深淵冥帝海月のユラユラちゃん。三大領主、最後の一角であった。
ユラユラちゃんは何十本もの触腕を出現させると、それを深淵凶狼覇王に向かって伸ばす。深淵凶狼覇王は目で追えない速度で回避しつつ、その爪牙で引き千切っていた。
しかしユラユラちゃんもさるもの。千切れた触腕は一瞬で繋がって深淵凶狼覇王を追い掛け続ける。三大領主の二体は私達のすぐ側で激突し始めた。
深淵最強の三大領主、その全てが勢揃いしたことになる。エリステルとの戦いは、始まり方だけでなく状況もまた想定外のものになっていくのだった。
次回は8月2日に投稿予定です。




