深淵大決戦　その一

　ルビーに指示した後、私は城壁の上まで飛行する。そこでは弓隊と魔術隊の面々がずらりと並んでいた。

　最初の訓練時は射撃隊としていたが、これを弓隊と魔術隊に分けているのはその方が都合が良かったからである。魔術隊の指揮は私が、弓隊の指揮はママが行うことに決まっていた。

「ママ、どうだ？」

「まだ射程圏外ね。でも大きいから肉眼で見えるわよ」

　ママが指差す方向に目を凝らすと、こちらへ接近してくる灰色の球体が見えていた。これまでルビー達が撮影した画像で散々に見てきたので、目新しさは全くない。しかし、これから本当にあれと戦うことになるのかと思うと緊張せずにはいられなかった。

　接近するペースは意外なほどに遅い。ゴゥからは嗜虐的な性格だと聞いていたので、こちらを精神的に追い詰めるつもりかもしれない。もしそうなら自分の実力に絶対の自信を持つ嫌な奴ということになるだろう。十中八九、嫌な奴だとは思うが。

「悠々と余裕を見せてくれるのなら、こちらとしては準備時間をくれているのに等しい。有効に使わせてもらおう。魔術隊、【付与術】が使える者は事前の決まり通りに強化するぞ」

　私達のことを侮っているのかも知れないが、その余裕に付け込ませてもらおう。私達は急いで仲間達を【付与術】によって的確に強化していく。少しでも彼我の実力差を埋めるのだ。

　仲間達の強化は【付与術】だけでは終わらない。個々人の持つステータス上昇系の能力(スキル)や武技を使っているし、各種ステータスを上昇させるポーションなども大量に用意してガブ飲みしていた。

「セイ達は出したか。ならば私も後に続こう」

「グオオオッ！」

「クルルルッ！」

　基地の外ではモンスターキューブから従魔を次々と解放しているのが見えている。そこで私もカルとリンを解放した。外に出た二頭は翼を広げると上空へと飛び上がって基地の上空を旋回する。モンスターキューブの内側は十分なスペースがある上に外が見えているはずだが、やはり圧迫感はあるらしい。解放感を味わっているようだった。

　下を見ると他の従魔も似たようなものらしい。ふむ、拠点にいる間はこれまで通りモンスターキューブに入れない方が良さそうだ。これを機に『ノックス』にドッグラン的な従魔用スペースでも作るか？

　何にせよ、今はそんなことを考えている場合ではない。私は次に城壁の上にある防衛兵器の様子をうかがうべく空を飛んで移動した。

「リャナルメ、行けるか？」

「習熟訓練はしておりますが…」

「自信は持てない、か」

　防衛兵器の運用の指揮はリャナルメが執ることになっている。その彼女は言葉を濁したので代弁すると、彼女は申し訳なさそうに頷いた。

　防衛兵器は導入したばかりで彼女達は今まさに訓練の最中である。使いこなしているとはお世辞にも言い難い状態だ。それを自覚しているからこその反応だろう。

「あまり気負うな。当たったら儲け物だと思えば良いさ」

　ただ、その虚勢を張らない姿勢は評価出来る。私は励ましながら気楽に戦うようアドバイスをしておいた。リャナルメは頷いているが、どうにも気負っているように見える。防衛戦は想定外なので、当たるだけでも得なのだが…功を急いているのかもしれない。

　少し不安はあるが、リャナルメは抜け目ない性格をしている。戦場には一族も、それこそ彼女の夫も出陣するのだ。戦況を悪化させるような真似はするまい。自動照準機能付き生体武器が改良中ということで配備されていないのが悔やまれる。

　自動照準はまだだが、防衛兵器の質は決して悪くない。多種多様な属性の金属を用いた飛翔体が用意されている大型バリスタ、研究所の連中が開発した薬品入りの弾を発射する投石器、さらにはエイジの巨体すらも入るほどの口径を持つ臼砲も一門だけ用意してあった。

　加えて『ノックス』や『エビタイ』と同じ強度の城壁によって守られている。堅牢な城壁と過剰なほどの火力…この前線基地は容易く抜けないし、ここを戦場として出向いたのが失敗だったと後悔させてやろうじゃないか。

　その間にもエリステルはこちらへ接近し続けていたが、奴はその速度を緩めたかと思えば急に静止する。こちらの遠距離攻撃がギリギリで届かない地点であり、私達はいつ戦端が開かれても良いようにジッと待ち続けた。

「ッ！まだだ！まだ耐えろ！」

「ヤル時は一気に、よ！」

　そんなエリステルに動きがあった。奴はルビーが初めて撮影した映像で見せていたように二枚の翼を広げていく。そして翼の下に隠されていた一本の右手と二本の左手が露わになった。

　このタイミングでザワつく味方の動揺を私とママが抑えている間に、エリステルはさらなる動きを見せる。奴は人間に似た一対の左右の手を組み、その上から覆い被せるように獣じみた左手を重ねていた。まるで神に祈るかのような姿勢ではないか。

「天に坐す至高にして高潔なるアールル様。今日も卑小なる私めがこうして御身の恩寵に預かっていられることに感謝致します」

　何を始めたのかと思いきや、エリステルは本当にアールルへと祈りを捧げているらしい。ここはアールルの力が一切及ばない場所のはずで、どれだけ語りかけようが応えが返ってくることはあり得なかった。

　それがわからないのか、それともわかっている上でやっているのか。どちらであったとしても正気を保てていないのは明らかである。下手に刺激すれば爆発するのは確実だ。私達は妄言を垂れ流すエリステルを固唾をのんで見守るばかりであった。

　しばらくアールルへの賛辞を繰り返していたのだが、その言葉は少しずつ小さくなっていく。しばらくすると完全に沈黙してしまった。そのまま様子を窺っていると、エリステルは細かく震え出し…聞いているこちらがゾッとするような低い声で何かを呟き始めた。

「……何故に応えて下さらないのですか？私はこれほどまでにお慕いしておりますのに。最も忠実なる下僕であるこの私を見て下さらないのは、何故なのですか！？」

　紡がれる言葉に含まれているのは強い怨嗟であった。きっと内心ではアールルに見捨てられたとわかっているのだろう。それを認めたくないがために祈りながら天に向かって尋ねているのだ。

　しかしながら、エリステルは祈っていた手を解くと三つの手をワキワキと動かし始める。そして広げている自らの翼を鷲掴みにすると、苛立ちのままに翼を掻き毟る。ブチブチと音を立てながら彼女の羽根は、何十枚もまとめて引き抜かれていた。

「…そうか、そうなのか。お前たちだな？お前たちがやっているのだな？」

　私達は誰一人、何一つ、声すらもまともに発していない。だが、怒りと苛立ちをぶつける相手として私達はちょうど良かったのだろう。それまで背景のような扱いを受けていた私達へと急に注意を向けていた。

「アールル様と私を分断するとはァァ！醜い化け物共の分際でぇェェ！許さん！許さぁぁぁアアアアアアアア！」

「来るわよ！」

「わかっている！撃てぇぇぇっ！」

　エリステルは羽根を抜いた姿勢のまま、奇声を上げながら凄まじい速度で直進して来る。動き出すと同時に射程範囲内に入ったこともあり、私達は一斉に攻撃を開始した。

　無数の魔術が、弓矢が、バリスタの飛翔体が、投石器の弾がエリステルへと殺到する。彼女は身体が大きく、それは的が大きいということを意味していた。放った攻撃は狙いを定め辛い投石器以外のほぼ全て直撃し、白と黒の入り混じった無数の羽根が宙に舞う。

　だが、エリステルの歩みは全く止まらない。それどころか羽根を握り締めたままの三つの手を振り上げる。それと同時に羽根が変形して行き、瞬く間に歪な形状の剣に変わった。

「はーい。防ぐよ、みんな」

「「「うおおおおっ！！！」」」

　エリステル前に飛び出したのは盾隊だった。彼らは三本の剣を見事に受け止める。こうして私達とエリステルの戦いが始まったのだった。