侵塩の結晶窟 その六
ログインしました。空中散歩兼雲上探索の結果はあまり収穫があったとは言い難かった。その理由は空の魔物達があまりにも敏捷のステータスが高かったからだ。
最初こそ奇襲を成功させたものの、それ以後は奇襲がほとんど決まらずに逃げられたのである。雲の上の魔物達は攻撃手段をほとんど持っておらず、代わりに素早い速度で逃げて行ってしまうのだ。
レベルは70代だが、本気で逃げ回る速度に特化した魔物達に追い付くのはリンでも不可能に近い。まともに反撃すらされずに逃げ回られ、戦うことがほとんど出来なかった。その結果、得られたアイテムはごく少数であった。
「それでも使えるアイテムだった辺り、運が良いじゃねェか」
「確かにそれで満足するべきか」
そして今日は再び深淵へと潜っている。今日の目的は『3F』の攻略と『2F』の探索だ。我々だけでなく深淵探索組が同時に降りて来ている。別にバラバラに行動しても良かったのだが、あえて大人数で行動しているのには理由がある。それは今日新たに追加されたイベントのクエストに大人数で行動するというモノが追加されたからだ。
具体的には十人単位でクエストが設定されていて、今日は五十人集まっている。これで一気にクエストを五つまとめてクリアしてしまおうという魂胆だ。無論、本気で探索を進めるつもりであるし、これだけ戦力があれば『2F』も攻略出来るかもしれない。もしそうなれば結晶窟の攻略が一気に近付くだろう。
いつものように橋頭堡でもある妖人の住む遺跡に向かうと、数人の千足魔が先に来ていた。ゴゥ殿はいないが、彼らは丁寧な口調で海中から調べてくれた結果を教えてくれた。
「なるほど…海中はそんなことになっているのか」
千足魔達によると、フロアマップで言う『B1』は外壁が壊れているそうだ。その壊れている部分からは侵塩の結晶が生えていたという。
そして注目するべきは結晶付近では内側に向かって軽液が流れていたということだ。どうやら吸い上げられているらしい。吸い込む勢いはかなり強く、油断していると深淵の海中を自在に泳げる千足魔が引っ張られかねないそうだ。
私達は教えてくれて助かったという礼と、情報料としての地上産のアイテムや量産品の武器を提供する。こういうこともあろうかと、私は自分が使わないがそこそこの価値があるアイテムを常備しているのだ。
「準備のよろしいことでござんすねぇ」
「そんなことより、今の話だよ。ポンプみたいなものがあるのはわかったけど、それはずっと動いているんだろう?吸い上げられた軽液はどうなっているんだ?」
トロロンの疑問はもっともである。軽液を吸い上げる方法も目的も不明だが、何よりも警戒するべきは吸い上げられた軽液の行方である。『B1』が軽液で満たされているだけ、ということはあるまい。何故なら、千足魔が言うには昼夜を問わず吸い込んでいるからだ。
ずっと吸い込み続けているというのなら、流入する軽液の量は膨大となるだろう。その際、結晶窟の全てが軽液に沈んでいなければおかしいのである。それどころか吸い込む勢いの話からすれば、噴水のように軽液が吹き上がっていてもおかしくないのだ。
吸い込まれた軽液はどこに行ったのか。十中八九、何かのために消費されたのだろう。ならばなんのために消費されたのか。これは推測は出来るが、それは先入観になりかねないから頭の中から排除しておく。少なくとも、我々にとってはろくでもないことに使われていることだけは間違いなかろうが。
「わからないことだらけだが、それを解き明かすためにも下へ下へと降りることが必要だ。気合を入れて行こう」
おう、という威勢の良い返事を聞きながら私達は妖人の遺跡から出立した。慣れた調子で『侵塩の結晶窟』へと到着すると、作業のように塩獣を殲滅しつつ下へと降りていく。流石に『3F』の二段階進化した塩獣は厄介な個体も多かったが、こちらの数の暴力の前ではなすすべもなく撃破されていった。
ここまでの道中、中和剤の消費量は予測の量よりも少ない。大人数による進軍ということもあるが、同時に他のクランとの連係がかなりスムーズになっていることが最大の要因だろう。
「ここまでは結構アッサリ来れたな、イザーム」
「ああ。だが、本番はここからだ」
私達は速やかに、かつ消耗を抑えつつ『3F』を制圧した。残っていたバックヤードのアイテムも各自で回収し、後は『2F』に降りて未踏の地を探索する。それこそが今日の目的なのだ。気を引き締めなければ。
これまで通り吹き抜けに生える侵塩の結晶を足場を伝って『2F』へと降りていく。すると、『2F』はここまでで初めて吹き抜けではなく一面が床になっていた。ただし、この床は当然のように侵塩でコーティングされている。しかも均一ではないのか、床はかなりデコボコであった。
「こりゃ『1F』に降りる方法を探す必要もありそうでござんすね」
「おいおい、今から『2F』の探索をするんだぞ?降りる方法を探すのも立派な探索だろう」
「ヒヒヒ!ごもっともで!」
ここまで探索と言えば塩獣を倒してアイテムを入手するか、バックヤードのアイテムを漁るかのどちらかだった。
だが、床に吹き抜けがないということは下に降りる方法を探す必要があるということ。これを探すというのも立派な探索であるはずだ。それをウロコスキーは忘れかけていたようだ。
尻尾の先端で眉間の部分をピシャリと叩いたウロコスキーに苦笑しつつ、私は『2F』に降り立った。吹き抜け部分が床になっている分、『3F』以上に比べてかなり広く、同時に見晴らしも良かった。
だが、私は明らかな違和感を覚えた。何故なら…これだけ広いというのに塩獣の姿が全く見えないからである。
これだけ広く、視界を遮るモノがない状態ならば、斥候職でなくとも敵影を発見して然るべきであろう。既に降りていた者達も困惑しているらしい。どういうことだろうか?
「ルビー、敵はいないのか?」
「うーん、この階には気配が全くしないんだよね。下にはウジャウジャいるんだけど」
この階には何もおらず、下には大量にいる。下はまだ攻略前なのだから当然ではあるが…これはどうなっているんだ?
だが、ここで悩んでいても仕方がない。テナントのバックヤードを漁りつつ、下へ行く方法を探すべきだろう。散会して探索を開始しよう。私がそう言う前に叫んだのは『不死野郎』のポップコーンであった。
「ダメ!みんな、一度上に上がって!」
「どうしたんだ、急に?」
「いいから…!?」
不思議そうに首をひねるマックを急かそうとしたポップコーンだったが、結果から言えば彼女が何かに気付いたのは遅かったらしい。それを咎める権利は私達にはない。彼女が気付いたことに私達は気付いてすらいなかったのだから。
ミシミシミシ!
私達の足元の床。そこに大きな亀裂が入ったかと思えば、これが割れてしまったのである。足場がいきなりなくなったことで空中に放り出された私達を、自由落下特有の浮遊感が襲った。
私のように浮かぶ方法がある者はまだ良い。そうでない者達は下に広がっていた軽液のプールに頭から落ちてしまったのだから。
「ポップ、どうなっている!?」
「マックが見付けたのとは違うフロアマップを見たことがあったの。そこには『2F』も吹き抜けだって描かれてたのを思い出したのよ!」
…なるほどな。私達が立っていたのは、床ではなく湖の上に張った薄氷めいた侵塩の結晶だったのだろう。その上に大人数で乗ったことで重量オーバーとなり、砕けてしまったのだ。クエストのために大人数で行動していたのが裏目に出てしまったらしい。
呆然と上から観察してはいられない。私は急いで眼下に広がる軽液の海に沈みかけている者達を助けるべく近付いた。だが、意外なことに沈んでいく者はほとんどいない。身体の一部が沈んでいた者達も、自力で抜け出すことに成功していた。
「大丈夫か?」
「兄弟かァ。この軽液、本当に上のヤツと同じモンなのかァ?感触が全然違ェぞォ」
ジゴロウの言い分を確かめるべく杖で軽液を突くと、強い弾力があるではないか。トランポリンほどと言っても過言ではない。現にジゴロウもこの上でピョンピョンと跳ねていた。
よく観察すれば沈みかけていた者達は身体が大きな者達ばかりであり、彼らも水の上を歩くためのアイテムを装備したのか再び沈む様子はなかった。これで沈むことはないだろう。
他の者達の無事も確認したところで、私は周囲を見回した。今いる場所は『1F』なのは間違いない。上を見上げれば私達が降りてきた吹き抜けが遠くに見えているのだから。
周囲の壁はこれまでと同じように侵塩がこびり付いているし、この軽液モドキのプールには小島の如く侵塩の大きな結晶が点々と生えている。やはりここは『侵塩の結晶窟』で間違いなかった。
そして一際目を引くのは、プールの中央にある透明な切り株のような何かである。直径三メートルほどもあるガラス製の樹木を切り倒して出来た切り株のようなモノは、遠目で見ると芸術品のようだ。あれはまだ生きているようで、内側には葉脈のように黒い線が走っていた。きっとあれがポンプのように軽液を吸い上げているのだろう。
ただ、この切り株の上にはイガグリのような物体が乗っている。あれは何だろう、と思っていると…イガグリが左右に分かれてその下から一つの目がギョロリとこちらを睨み付ける。
この瞬間、私だけでなく全員が理解した。あれは敵だ、と。そして軽液モドキの下から百を超える塩獣が現れたのは我々が気付いたのと同時であった。
次回は6月3日に投稿予定です。




