深淵の三大領主
「…という訳だ。何か知っているか、リャナルメ?」
妖人の住む遺跡に帰還した私達は、超巨大な魔物である深淵冥帝海月についてリャナルメに尋ねた。イーファ様に謁見するためには穴を目指す必要があるのだが、そのためには深淵冥帝海月をどうにかしなければならない。その方法に心当たりがないか、ここの住人である彼女に尋ねたのである。
「そうですか…三大領主のユラユラちゃん様と会われたのですね」
「三大?ということは…まさか同格の魔物があと二体いるのか!?」
「その通りです。これ以上は主人からお聞きになるのがよろしいかと。ちょうど帰って来ましたわね」
リャナルメが注意を向けている私達の背後を振り返ると、そこには妖人の集団が深淵の海から戻ってくるところだった。彼らが一様に深淵の魔物を背負っていることから、きっと狩りから帰って来たのだろう。遺跡の妖人達は彼らを暖かく迎え入れていた。
その中でもかなり大柄の妖人がリャナルメに近付いて来る。どうやら彼がリャナルメの夫であるようだ。
担いでいる獲物は誰よりも大きく、明らかに強そうだ。どうやら戦闘力が最も優れているらしい。リャナルメは島の長の妻だと言っていたし、彼が長なのだろう。
「おかえりなさい、貴方。こちらは前にもお話した地上の方々よ」
「………………ああ」
リャナルメの夫は長い溜めの後にそう言った。あの…え?それだけ?自己紹介とか、そういうモノは一切ないのか?
「申し訳ありません。夫はとても人見知りでして…」
「気にしないでくれ。個性は人それぞれだ。お初にお目にかかる。私はイザーム。奥方にはとても世話になっている。仲良くしてくれると嬉しい」
「……………ルドヒェグだ。……………話は……………聞いている。……………こちらこそ……………よろしく頼む」
ええと、これは歓迎してくれていると思って良いのだろうか?ルドヒェグは『こちらこそよろしく頼む』と言ってくれたのだから、それで良いはずだ。私は友好の印とばかりに手を差し伸べると、ルドヒェグはすぐに手…と思われる伸ばして私に握らせた。
人見知りで言葉を紡ぐのは苦手だが、行動が遅い訳ではないらしい。自己紹介は終わったところで、私はリャナルメに尋ねたのと同じ内容をルドヒェグに尋ねてみた。
「ボソボソ…………ボソボソ…………」
「え?な、何だって?」
「もう!仕方がないわね!」
人見知りなルドヒェグは声が小さく、何を言っているのか良くわからない。そこで見かねたリャナルメが頭…だと思う箇所を寄せて彼の言葉を聞く。そして代弁し始めた。
「女神様のおわす宮殿に近い場所は、三大領主の縄張りとなっております。その内の一柱がユラユラちゃん様であり、最も女神様に友好的な領主になります」
「なるほど」
ユラユラちゃんはイーファ様のペットらしいから、当然ながらイーファ様に友好的だろう。しかしながら、イーファ様に加護を賜っている私達に配慮してくれる訳ではないのは、先程の一件を思い出せば明らかだ。
あの時にも思ったが、小さすぎて私達に気付かなかっただけかもしれない。だが、気付かなければ平気で巻き込んでしまうような相手にはなるべく関わりたくない。どうにかしてコミュニケーションを取る方法を確立させるまでは近付くのを避けた方が良さそうだ。
「ボソボソ……ボソボソ……」
「はいはい。えー、次に申し上げるのは中立的な大領主の深淵凶狼覇王。己を高めることにしか興味のない、誇り高き一匹狼だそうです」
「ボソボソ……」
「深淵凶狼覇王は強者以外には見向きもしないようです。ですが強者と見定めたなら全身全霊で力比べを挑むようです」
弱者に興味はないが、強者とは嬉々として戦おうとする。そんな人物に私は二人ほど心当たりがあった。野生のジゴロウと源十郎のような魔物…なんてはた迷惑なんだ!
問題は私達が深淵凶狼覇王にとって強者の範囲内なのかであろう。きっと入っちゃってるんだろうなぁ…縄張りに入った瞬間にガチンコの戦闘が勃発しそうだ。
「ボソボソボソ………」
「そして最後の大領主が濁白堕熾天使のエリステル。邪神アールルの尖兵にして、深淵に閉じ込められてなお我らが女神に刃を向け続ける狂戦士です」
「奴は………必ず、討たねばならん!」
それまでボソボソと話していたルドヒェグが、急に声を大にして感情的になっている。何やら濁白堕熾天使に思うところがあるようだ。
興奮気味なルドヒェグだが、それ以上何か言うことはなかった。リャナルメはため息を吐いてから、どうしてこれ程にルドヒェグが怒っているのかについて説明してくれた。
「濁白堕熾天使のエリステルは我らだけでなく、千足魔にとっても仇敵なのです」
それからリャナルメはどうしてエリステルがそれほどまでに嫌われているのかについて教えてくれた。彼女らの先祖はイーファ様の計らいで深淵に適応し、イーファ様を崇めながらここで穏やかに暮らしていたという。だが、それが気に入らない女神がいた。そう、『光と秩序の女神』アールルである。
あの女神はイーファ様のことを嫌っていたのだが、ある時彼女の領域である深淵へ唐突に侵攻を開始したのだ。当時の深淵では光属性は普通に使えたようで、アールルの送り込んだ尖兵はその力を十全に発揮したようだ。
「エリステルはその侵攻時の指揮官で、先陣を切って戦ったようです。我らの先祖も奮戦しましたが、アールルに使える天使の中でも最上級の力を持つエリステルの前に多くの戦士が斃れたと聞いております」
「女神が送り込んだ戦力か…だが、妖人達が今も生き残っているのだから撃退はしたのだろう?」
「いいえ、そうではありません。エリステルとその軍団はとても強く、絶滅寸前にまで追い詰められたようです」
絶滅寸前だと?そこまで追い詰められたのに、どうやって巻き返した…いや、そうか。そこで今の深淵の環境が関係して来るのか。
「それを問題視したイーファ様が尽力してくれた。違うか?」
「おっしゃる通りです。イーファ様はそのお力で深淵ではアールルの司る光属性の全ての作用を無効化し、深淵に入ることは出来ても出るには【時空魔術】が必要な環境に変えて下さいました。邪神アールルの力を失い、外にも出られなくなったエリステル達は一気に弱体化したと聞きます」
女神が自前の戦力を使ってちょっかいを出したのだから、イーファ様も容赦なく深淵の環境を弄ったのだろう。光属性の作用を封じればアールルの天使はほぼ全ての力を失うだろうし、脱出に【時空魔術】が必要だと設定すれば天使は逃げられない。【時空魔術】の習得には【光魔術】と【闇魔術】の両方が必要であり、アールルが自分の配下の天使に【闇魔術】など使う許可を出すとは思えなかったからだ。
しかし、エリステルはその状態でも未だに生き残っている。どうやって命を繋いだのだろうか?『濁白』と『堕』という点が鍵なのだろう。
「弱体化した天使共は我らよりも弱い魔物にも勝てなくなり、我らが手を下すまでもなく滅びて行きました。ですが、最も強い力を持っていたエリステルはそれでもなお滅びずに戦い続け…忌々しいことに深淵の環境に適応してしまったのです」
「ほう。それは厄介だが…無条件ではなかったのだろう?」
「はい。エリステルは深淵の環境に適応こそしました。ですが、本来の性質とは対極に位置する力を身体に取り入れたことでエリステルは狂気に侵されてしまったのです」
なるほど。白に余計なモノが混ざったせいで『濁り』、狂気によって『堕ちた』ということか。経緯を聞くと同情の余地もあるものの、そもそも妖人などが平和に暮らしていただけの深淵に侵攻したのが原因だ。自業自得と思ってもらおう。
「今のエリステルに残っているのは、深淵に生きる全ての存在と女神様への殺意だけ。宮殿に隣接する場所に居座り、ずっとそのお命を狙っているのです。英霊達によって撃退されているようですがね」
「ふむ…仮にエリステルが我々を見かけたらどうなると思う?」
「十中八九、襲われるでしょう。最早エリステルに理性は残っておりません。仮に再び同胞たる天使と遭遇したとしても衝動のままに襲いかかりますね」
うーん、最も凶暴なのはエリステルなのか。『侵塩の結晶窟』を攻略した後はイーファ様へ謁見するつもりなので、三大領主のどれかと戦闘になる可能性が高い。その時、狙うべきは…エリステルだろうな。
深淵に住む多くの者達から憎悪を向けられているエリステルを討伐するとなれば、妖人やまだ見ぬ千足魔も参戦してくれるのではなかろうか?そのためにも『侵塩の結晶窟』の攻略は確実に行わなければなるまい。
それから私達はルドヒェグと彼と共に狩りへ向かっていた妖人が得たアイテムと地上の品を物々交換した後、地上へと帰還した。深淵にいる三大領主…い近い内に戦うことになるだろう。徹底的に準備を整えておくとしよう。
次回は3月23日に投稿予定です。




