残留思念
「なっ、何これ!?浸蝕されてますって…!?」
『怨念蠢く太古の骨』を持ったサーラはそう言って悲鳴を上げた。これはヤバい!これが説明文の通りだったなら、彼女は呪われた骨に乗っ取られてしまう!
「許せ、サーラよ」
「きゃぁっ!?」
「なぁっ!?何しやがる!」
サーラに起きた異常に対し、誰よりも素早く動いたのは源十郎であった。彼は一瞬で踏み込むと、刃を抜くと同時にサーラの腕を肘の辺りで切断したのである。
サーラに起きた異常と源十郎の突然の凶行。この目まぐるしい変化に着いていけず動けない者ばかりの中で、マックだけは怒声と共に源十郎に殴り掛かった。それを見越していたらしい源十郎はマックの拳を額の角で受け流し、体勢を崩した所を飛び込んできたジゴロウが寝技に持ち込んで拘束した。
「テメェ!離しやがれ!」
「まァ落ち着けや。このジジイは何の考えもなしに剣は抜かねェよ。そうだろ?」
「ま、待って兄さん!源十郎さんのお陰で助かったよ!」
ジゴロウに押さえ付けられたままジタバタと暴れるマックであったが、サーラの声を聞いて動きを止めた。彼女の腕を包み込むようにして浸蝕していた骨の縛めは、その腕と共に彼女から離れていたのである。
マックはジゴロウに押さえ込まれたまま動きをピタリと止め、安心したように脱力した。彼が冷静になったことを確認したジゴロウは、寝技を解いて立ち上がる。それに続いてマックも立ち上がった。
「明らかに骨から伸びる何かが原因であったからのぅ。お嬢ちゃんを救うには腕ごと斬る他にないと思ったのじゃ。驚かせてすまんな」
「いや、俺の方こそ恩人のアンタに飛び掛かって悪かったよ。簡単に防がれちまったが…」
源十郎とマックは互いに謝罪して、自分の非を詫びた。ただし、マックの方はいささか以上にばつの悪そうな顔をしている。冷静さを欠いていたとは言え、彼はおそらく格闘技の経験者だ。それが自分の打撃をあっさりと角で受け流されたことで、ショックを受けてしまったのかもしれない。
しかしながら、この骨はどうすれば良いのだろうか?触れただけでサーラのように浸蝕されるのなら、持ち帰ることすら難しいではないか。放置して帰るのも癪であるし…うーん…
「無事で良かった…それにしても、呪いや邪悪な知識に造詣が深い人なら大丈夫みたいだけど、そんな抽象的な表現じゃ参考にならないわ」
「呪い?」
「邪悪っすか?」
ポップはサーラが乗っ取られなかったことに安堵しつつ、【鑑定】で見た説明文にあった正気を保つ条件を口にした。するとそれを聞いたルビーとシオが私の方をじっと見つめる。どうした?私の仮面に何か着いているのか?
「イザームならー、大丈夫じゃないー?」
「あ、確かに。呪いとか邪悪とか、イザームっぽいし!」
ウールの言う大丈夫とは『怨念蠢く太古の骨』に触れても大丈夫という意味らしい。紫舟もそれに同意し、ルビーとシオも頷いている。え、皆そう思っているのか?
見渡してみればジゴロウと源十郎、モッさん達も全員同じ意見であるようで、彼らもまた頷いている。いや、私は邪悪とされる魔術を使えるだけであって、知識を蓄えている訳ではない。呪いも扱えるが、こちらも同様だ。だから自信などないのだが…
「行けるのか、イザーム?」
「本当なら凄いわね」
ジゴロウ達の様子から、マック達も私なら大丈夫なのかもしれないと期待の眼差しを送ってくる。私は自分から浸蝕されない自信があるとは言っていないのに、私が回収に挑戦する流れが出来ているじゃないか!
ええい、ままよ!どうあっても回収する流れが出来てしまったのなら、覚悟を決めて男らしく握ってやろうじゃないか!
「源十郎、もしもの時は任せたぞ…!」
私は浸蝕されることを前提に骨を掴み上げる。すると、サーラの時のように骨の表面に走る血管のような紋様が少しだけ伸びて私に接触した。私も浸蝕されるかと思いきや、紋様がそれ以上伸びることはなく、元の状態に戻っていく。どうやら、皆の予想が正しかったようだ。
これでレアなアイテムを持ち帰ることが出来る。案外、楽勝じゃないか…そう思った瞬間、私の視界は一変した。
◆◇◆◇◆◇
「何が起きた!?ここは…空中なのか…?」
私はボスエリアである洞窟にいたはずだ。しかし、今私の前に広がっているのは雲一つない青空であった。否、雲は確かに存在する。しかしそれは上空を漂うものではなく、私の眼下に視界の限界にまで達する雲海なのだ!
つまり、私は雲の上を漂っていることになる。しかも雲海が後ろへ流れていくことから、どうやら高速で前へ進んでいるようだ。一体ここは何処なのだろう?私は首を回して状況を把握する…ことが出来なかった。
「首が動かない?いや、それどころか目も動かせないだと?これはどういう…そうか!これは骨に遺された残留思念の映像だ!」
説明文に書かれていた、骨の主の残留思念。私はそれを見ているに違いない。そうでなければ余りにも突拍子のない空中の映像が流れる訳がないだろう。
視界の自由は利かないが、見える範囲でどうにか情報を集めてみる。雲海の上で目印になるモノは一切なく、この場所がどこなのかはわからない。しかし、骨の主の生前の姿がどのようなものだったのかは判明した。
「空を飛ぶ鯨か…そう言えば似たような鯨をシラツキの窓から見たことがある気がする。そのご先祖様か?」
骨の主は空を飛ぶ鯨であった。優雅に鰭を動かして、空を泳ぐようにして移動している。動きはゆっくりなのだが、身体の大きさのせいか速度はかなり出ているようだ。
どうやらこの個体は群れの先頭を泳いでいるようで、視界の端に追随する鯨が何頭も映っている。何となくだが、追いかけている個体は視界の主よりも小さい気がする。ひょっとしたら、視界の主は群れのリーダーなのかもしれない。
「これが鯨の視界なのはわかったが、私はどうしてこんなモノを見せられて…っ!?」
私が自分の置かれた状況を理解した直後、私の視界が大きく動いた。下から突き上げられるような強い衝撃を受け、身体は錐揉み回転して視界がグチャグチャになってしまう。揺れる視界の中で、私は千切れた下半身と同じくバラバラにされた群れの仲間達をハッキリと見てしまった。
恐らくは下側から何らかの攻撃を受けて墜落しているのだろう。鯨達は重力に引きずられるまま雲海に突入し、下側から外に出た。
「こ、これは…!」
そして私は見た。空に浮かぶ巨大な金属の正二十面体を。その面の一つから伸びる、無数の砲台を。
落ちていく私とその仲間達に向かって、砲台が火を吹いた。弾道を追うことなど出来る訳もなく、砲口が光った直後に再び凄まじい衝撃が身体を叩く。これだけ砲弾を受けたなら、どう足掻いても助かることはない。
視界は徐々に霞んでいくが、視界の主は最期の瞬間まで自分と仲間達を撃ち落とした正二十面体を睨み続けている。私には彼、または彼女の感情までは伝わってこないが、こんな理不尽過ぎる死に方をすればさぞ無念であったことは想像に難くない。きっと自分と仲間を殺された憎悪こそ、この骨が呪いのアイテムとなった原因なのだ。
「おい、兄弟?大丈夫かァ?ボーッとしてよォ…」
「あ、ああ。…ジゴロウ、私はどのくらい呆然としていた?」
「あン?五秒くらいじゃねェか?」
気がつけば私の視界は通常のものに戻っていた。私の体感ではあの映像は短かったが最低でも二、三分ほどであった。私の体感時間だけ加速させられていたに違いない。一瞬で見せる意味も理由もわからないが…残留思念だから、とかだろうか?
「急にボーッとするなんて、ひょっとして呪われてる?お祖父ちゃーん!」
「いや!待て!私に異常はない!本当だ!」
私の様子を見てルビーは訝しんで源十郎を呼ぼうとしたので、私は慌ててそれを止めた。事実、私にはサーラのように浸蝕されているなどという文字は何処にも出ていないし、彼女のように骨から血管のような紋様が伸びてもいない。
浸蝕されていない手を実際に見せるとようやくルビーは納得してくれた。源十郎は既に鯉口を切っていたが、それを再び鞘に納めた。あの、若干残念そうにするのは止めてもらえないだろうか?
「…何にせよ、イザームにしか触れることも出来そうにないならそっちのモノで良いだろ。大体、俺達よりもアンタ等の方が活躍してたしよ。お前ら、それでいいな?」
マックが仲間達に確認すると彼らは頷いていた。流石にジゴロウと源十郎以上に活躍したと言える者は、私達を含めて一人もいない。故に私が、というかこちらのクランが貰うことに異存はないようだ。
何はともあれ、これでボス戦は終了した。かなり苦戦した上に全体的なフォローのために飛び回ったのでかなり疲れた。今日はもうここまでにしよう。
「今日はこれで解散にしないか?もう私は疲れて戦えんよ」
「そーだねー。疲れたー」
「確かに。それだけではなくて、消費アイテムもほとんど使ってしまいました。ボス戦を終えて気が緩んだ今は油断しやすいでしょう。大怪我してから薬がない…じゃあ困りますから」
「ぼくも武具が限界です。アイリスさんに直して貰わなきゃ、今日中に壊れそうですよ」
精神的な疲労にアイテムや武具の消耗も問題だが、ボス戦の最後に『奥義』と『秘術』を大盤振る舞いしたのも気掛かりだ。万が一にもこれらの切り札を使わなければ勝てない事態に遭遇した際、再使用可能になっていなければ危ない。臆病なほど慎重派の私としてはこのようなリスクを抱えて冒険はしたくないのだ。
ジゴロウと源十郎はまだ戦いたいようだが、大人しく我々と一緒に帰るらしい。意外であるが、何か理由があるのだろう。理由を聞きたいような、聞きたくないような…複雑な気分である。
「じゃあ今日はここで解散ってことにすっか。助かったし、楽しかったぜ」
「こちらこそ、楽しかったよ。また機会があれば共に戦おう」
「次に会う時は敵かもしれないけど、ね?」
「ははっ!確かにそうだね!その時はお手柔らかに!」
「ルビーさん、それはレベルが下の側のセリフですよっ!」
それから少しだけ談笑してから、我々はマック達と別れてシラツキへと帰還した。ボス戦は想定外であったものの、それを含めて楽しい一日であった。今日はぐっすりと眠れそうだ!
次回は8月5日に投稿予定です。
7月30日に拙作の第二巻が発売されました!素晴らしいイラストもそうですが、色々と加筆しておりますのでWeb版を既読の方でも楽しんでいただけると思います。
書店や電子書籍で手にとっていただければ幸いです。




