元凶の猿
「ったく、エライ目に合ったぜ…」
「ははは、楽しかったぞい」
鍛冶屋にて新たな武器を仕入れた後、二人は模擬戦を行った。源十郎によって強引に行われた戦いは、彼の気分が高揚していた事もあって一方的にセイがボコボコにされる結果となった。
「防御系の武技使ったのに防げねぇっておかしくね?これだからリアルチートは…」
「悪かったの。じゃが、お主も得したではないか」
模擬戦の後、二人の戦いぶりを見た親方は健闘したセイに新しい武器を割り引いて売ってくれたのである。加えて余った源十郎の素材を使った防具の作成を約束してくれた。殴られ損、という訳ではなかったのである。
「そりゃそうだけどさ…」
「おーい!お二人さーん!」
利益もあったがそれ以上に理不尽な目に合ったという思いが強かったので、セイは釈然としないようだ。彼が恨み言の続きを言う前に、彼らの事情を知らない七甲が陽気な声で呼び掛けながら飛んで来る。そして源十郎の肩に止まった。
「話が着いたみたいや…何かあったんか?」
「いや、何でもねぇよ」
何処と無く不機嫌なセイの様子を不思議がる七甲だったが、セイは何も言わなかった。その様子から七甲は薄々何があったのかを察したが、それを無理に聞き出そうとはしなかった。
「さよか。んで話の内容やけど、やっぱり狒々関連やったで」
「具体的にはどういう取り決めが成されたんじゃ?」
「予想通り、狒々共の暴走が終わるまでは殺し合いは無しちゅう話ですわ。あとは共闘はせえへんけど、狒々共と戦っとる時は互いに邪魔もせんこと。この二つやで」
「なるほどのぅ…」
概ね源十郎の予想通りの流れであったらしい。狒々の問題が片付くまでの一時的な休戦であり、同盟を結んだ訳でも共闘を約束した訳でも無いのだ。この違いは頭に入れて置くべきだろう。
「あと、大天狗はんが後で道場に顔見せに来い言うてはりましたわ。ジゴロウはんはもう行っとりまっせ。何や気になることでもあるんやろか?」
「そうじゃったか。待たせるのは忍びない。早く行くとするかのぅ」
そう言って三人は足早に大天狗の待つ道場を目指すのだった。
◆◇◆◇◆◇
「フンッ!シャアァァァッ!」
「おおう!?危ないのぉ!」
三人が道場に着いた時、中では大天狗とジゴロウが戦っていた。ジゴロウの怒濤の攻めを、大天狗は上手く躱している。
だが、源十郎が前に見たときよりもその差は縮まっているらしい。回避する大天狗に余裕は無く、ジゴロウのフェイントなども相まって今にも拳が届きそうであった。
「むっ!弟子よ、時間切れじゃぞい!」
「チッ、来ちまったか!まァた一撃も当てられなかったぜ…」
ジゴロウの挑戦は源十郎達が来るまでという時間制限が設けられていたようで、彼は渋々拳を収めた。逆に大天狗は露骨にホッとしている。もし源十郎達が何処かに寄り道などしていたなら、ジゴロウの拳は届いていたかもしれない。
「来るのが早すぎたかの?」
「そうでもねェよ。さっさと当てられ無かった俺が悪ィんだ」
ジゴロウは戦いに関して恐ろしくストイックである。戦いの勝敗は常に己の責任に基づくもの、と考えていた。なので敗北の原因が他者にあるとは決して思わないのである。
源十郎はこの一切の妥協を見せない姿勢が結構気に入っていた。決して本人に言う事は無いだろうが。
源十郎が道場の中を見渡すと、大天狗の他にも多くの天狗や鬼が正座して待機していた。そのほとんどは源十郎とも面識があり、実際に技を教えた事のある者も多い。どうやら武闘派を集めたのだろうと思われた。
「ふぅ…短い間に強く成りすぎじゃぞ、我が弟子よ。それはそうと、呼んだ者達は皆集まったようじゃな」
一方で息を整えた大天狗は、上座に座ると集めた者達を見て満足げに何度も頷いた。その直後、彼の顔が真剣なモノへと切り替わる。早速、集まった本題に入るようだ。
「主だった者達と頼れる風来者達に集まって貰ったのは、他でもない。あの女狐の配下と交わした約定についてじゃ。その大まかな中身は皆が知っておる通りじゃよ。なのじゃが…気になることがある」
「気になること、でありますか。主上、それは一体?」
気になることがある、と言う大天狗に質問したのは屈強な肉体を誇る大柄な鬼であった。白髪と顔に刻まれた深い皺からかなりの老齢だと思われるが、剃刀のように鋭い眼光からは老いなど全く感じさせなかった。
彼は鬼の長老の一人で、戦士団を率いる将軍でもある。大天狗に次ぐ実力者であり、レベルは100だとジゴロウ達は聞いている。正確な種族は知らないが、大天狗に絶対の忠誠を誓う生粋の武人であった。
「うむ…おい」
「はっ。こちらの映像をご覧ください」
大天狗の秘書らしき天狗が、以前に見せたモノと同じ水晶玉を懐から取り出して起動させた。そこには狒々達と狢を始めとした麓の妖怪の連合軍が戦っている場面が映し出されていた。
「これは昨日の夜、偶然遭遇した隠密の者達が映像です」
隠密と呼ばれる諜報組織めいたモノがあるのを源十郎達は知らなかったが、驚くと言うよりも感心していた。職業にも斥候や暗殺者などもあるのだし、あってもおかしくは無いとすぐさま納得したからだ。
映像の中の戦いは、連合軍が優勢な状態から始まっていた。魔術を使える個体が増えたと言っても、元々魔術が得意な妖怪と比べれば威力は格段に落ちる。前衛の力量は互角であったので、後衛の質で勝る方が有利になるのは自然な流れであった。
このまま勝負が着くかに思われた時、一頭の狒々が乱入する。それは源十郎が一騎討ちで討ち果たしたサブロウよりも更に大柄で、しかもイザームのように四本の腕を持っていた。その個体が出現したタイミングで、天狗は映像を一時停止した。
「これが狒々を纏め上げる長です。【鑑定】の結果によれば、レベル94の蛮闘狒々王という種族でした」
「レベル94だと!?狒々如きがか?」
「しかも王か…厄介な…」
鬼の一人が驚いた様子で声を張り上げる。他の者達も反応は似たようなものであった。幾つかの例外はあるものの、死んだら終わりのNPCがレベル90代にまで至るには相応の実力と運が絡んでくるのだ。驚くのも無理は無かった。
しかも種族は配下を強化する『王』である。人類だけでなく、『王』というだけで警戒するのは知能の高い魔物の間でも常識であった。
「落ち着けぃ!これで終わりでは無いのじゃよ。…続きを流せ」
会議に出席していた者達が動揺からざわついていたが、大天狗が一喝して黙らせる。一転して静かになった道場で、秘書の天狗は映像を再生した。
蛮闘狒々王が大暴れした事で、妖怪の連合軍は総崩れになってしまった。どうやらレベル90代の『王』を抑えられる戦力が居なかったらしい。恐慌状態に陥った彼らは、ほうぼうの体で散り散りに逃げ出すことしか出来なかった。
妖怪達が去った後、何故か蛮闘狒々王は糸が切れたように動かなくなった。時を同じくして他の狒々の動きも止まる。勝利の雄叫びを上げるでもなくただただ無言で立ち続ける様子は、異様であると同時に不気味であった。
『キキキッ!上手く追い払ったネ!良くやったヨ、木偶の坊チャン!このシェントゥ様の役に立てたことを誇りに思うといいヨ!キキキキキッ!』
そこに現れたのは、一匹の猿であった。ニホンザルに酷似している狒々とは異なり、大きな瞳と長い尻尾を持っている。リスザルやキツネザルに近いだろうか。頭部から首までは白く、残りの全身が暗めの赤毛で被われている。そして何故か首から巾着袋を提げているのが特徴的であった。
だが、この猿は可愛らしさなどとは無縁の化け物であった。何故なら、余りにも顔つきが邪悪であったからだ。顔のサイズに対して大きすぎる白濁した眼球、黄ばんだ乱杭歯を覗かせる耳まで割けた口、そして長い尻尾の先端には大きな手が付いていた。
そんな猿の化け物はひょいと蛮闘狒々王の肩に飛び乗ると、何とその頭を気安くペチペチと叩き始めたではないか。『王』に対して余りにも無礼であり、普通に考えれば懲罰の対象になるであろう行為であった。
『…』
しかし、蛮闘狒々王は何もしなかった。と言うより、何の反応も示さなかったのである。怒るでもなく、叱るでもなく、無反応に棒立ちしている様は異様極まりない光景であった。
『チッ、反応が無いとつまらないネ!操り人形の弊害だナ…帰るヨ!』
猿の化け物はつまらなそうに舌打ちした後、尻尾の手で蛮闘狒々王の頬を思い切り平手打ちした。すると蛮闘狒々王はノソノソと動き出し、配下の狒々を連れて森の奥へと帰っていく。そこで終わったのか、立体映像は途切れた。
「…これが隠密の得た情報になります」
「主上…これはどういうことで御座いましょうか?私の目には最後に現れた猿があの王と群れを支配しているように見受けられましたが…」
「そうじゃろうな。そして十中八九、狒々共が暴挙に出た原因はこの猿じゃろうて。それに、『シェントゥ』と言う名に関しては幾つか報告があったしのぅ」
大天狗の言葉に、道場に集まった者達の一部が頷く。源十郎もそうだが、見回りの時に遭遇した狒々がシェントゥの名を出したのを聞いた者が数人いたのである。なので複数の情報を統合した結果、参謀的な立ち位置の狒々だと思われていた。
しかし、実際には参謀どころか黒幕であったらしい。しかも何らかの手段によって『王』とその配下を操っている。操る方法もそうだが、狒々達を操って各地で暴れさせる目的も不明であった。
「彼奴が何をしたいのかはわからん。じゃが、ろくなことでは無いじゃろうよ」
「麓の妖怪共はこの事を知っているのでしょうか?」
「さてな。知っておってもおかしくはあるまい。むしろ知ったからこそ、儂らに休戦を申し出たのやも知れぬ。じゃが最も重要なのは、この猿を討ち取らねばこの天霊島の異変は収まらぬという事じゃ」
大天狗が静かに告げると、七甲とセイは道場の気温が上昇したように錯覚した。その理由はジゴロウと源十郎を含めた参加者のほぼ全員が、戦意を隠そうともせずに笑みを浮かべていたからである。
倒すべき標的がはっきりしたなら、後は戦って勝利するだけ。彼らはそう考えているのだ。
「皆が元気なのは良いことじゃ。じゃが、今しばらく待て。麓の妖怪達は、遠からず攻勢に出るじゃろう。その機に乗じて儂らも出陣する。その時は必ずやシェントゥなる妖怪を討ち取れぃ!」
「「「応!!!」」」
天狗と鬼は力強く、そして一斉に応えた。彼らが出陣する日は近く、その日がきっと狒々達が滅びる時となる。ジゴロウ達を含む戦士達の気迫には、気圧されている七甲とセイに否応無くそう思わせる力があるのだった。
次回は8月25日に投稿予定です。




