黒死の氷森 その十一
「グルルルル…グオオオオオオオン!!!」
眼を一つ奪われてしまったカルだったが、彼はそれで臆する処かブチギレていた。怒りのままに咆哮を上げ、自慢の爪や尻尾で偽骨龍を殴り付ける。
冷静だったこれまでは、二頭を相手にしていたこともあって回避に専念していたが今は違う。敵の爪に斬り裂かれようが、牙に噛み付かれようが、お構い無しに暴れていた。爪に斬り裂かれたならより強く爪を突き立て、牙に噛まれたならより強く噛み返す。残りの体力など一切考えていない様子であった。
「これはマズい!早く倒さなければ!」
「ふぅんぬぅぅうううう!!!」
「グゴォオオオオッ!?」
このままではカルが相討ちになってしまうかもしれない。そんな最悪の状況が脳裏を過った時、我々が戦っていた偽骨龍が転けていた。どうやらエイジ達が足首部分に攻撃を集中させ、その部位の破壊に成功したらしい。これは絶好のチャンスだ!
「今です!畳み掛けて下さい!」
「了解です!」
「当然よ!」
アイリス達もここぞとばかりに大技を叩き込んでいる。起き上がることすら困難な状態の偽骨龍は、己に比べて圧倒的に小さな我々に集られてはその強大な力を活かすことは出来なかった。バキバキ、ボキボキと骨が折れる音と偽骨龍の絶叫だけが響き渡る。体力はゴリゴリと減少していった。
「ガアアアアッ…グオアアアアアアアアッ!!!」
そうして殴り続けていると、遂に【龍の因子】が発動する所まで体力を減らす事に成功した。それをトリガーとして、偽骨龍から私の時と似たようなオーラが立ち上る。
「起き上がらせないで!絶対にこのまま仕留め切りましょう!」
「わかっとる!」
「おりゃりゃりゃー!」
号令と共に全員の武技と魔術が殺到する。仲間達の剣が、斧が、矢が、爪が、牙が、角が全身の骨を砕き、目映い【神聖魔術】が骨そのものを塵にしていく。それは体力の回復するペースを上回っており、見る見る内に体力は最後の一ドットに追い込んだ。
「これで、終わりだあっ!」
「ゴォァァァ……」
大上段に斧を構えたエイジが、全身全霊の力の込めて頭部へと振り下ろす。それが止めの一撃となって、遂に一頭目の偽骨龍は討伐された。
「か、勝った!」
「や、やってやったぜ!」
「いやいや、まだでしょ」
「あともう一息ですよ」
巨大にして強大な力を持つ偽骨龍を倒した事で気を抜きかけた紫舟とセイを、兎路とモッさんが窘める。まだ偽骨龍は健在であり、それよりも更に強力な強化鎧を装備したマクファーレンが残っているからだ。
「…イザーム。皆の指揮は私に任せて下さい」
「急にどうした、アイリス?」
ここからどう動くか指示しようとした直前に、アイリスが私にそう言った。唐突にどうしたのだろう?一つの戦線に決着がついたのだから、もう全体の指揮は私が執れるのだが…
「カル君が心配なんでしょ?」
「ぐっ!」
「丸わかりっすよ」
「ぬっ!?」
「行きたいんでしょー?」
「そ、それはそうだが…」
「皆なら大丈夫です。邯那さん達に合流して戦っておきますから」
どうやら一刻も早くカルを助けに行きたいという私の内心は、アイリスどころか全員に見透かされていたらしい。前衛組も手を振ってカルの方へ行くように促しているのだ。リーダーとして放り出すことは出来ないと思ったが、ここは皆に甘えるとしよう。
「…ありがとう!」
私は礼を言うと、空へと飛び上がった。カルよ、今行ってやるからな!
◆◇◆◇◆◇
戦いが始まってからこれまで、カルはとても充実していた。その理由は二つある。一つ目の理由は大好きな主人が戦いにおいて自分を頼ってくれているから。二つ目の理由は戦っている相手が自分の全力をぶつけられる相手であったからだ。
カルは自分が非常に強い魔物である事を自覚している。だが同時に自分よりも強い魔物はいくらでもいることも理解していた。その具体例がジゴロウと源十郎、そして主であるイザームであった。
三人とも身体の大きさや単純な筋力や敏捷さでは自分の方が勝っている。しかし、こと戦いになれば話が変わるのだ。力任せに爪や尻尾を振るっても、ジゴロウと源十郎には掠りもしない。逆に二人の攻撃は回避しようとしても当たってしまう。模擬戦でこれなのだから、殺し合いなら斃されてしまうに違いない。これで自分の方が強いなどとは口が裂けても言えないだろう。
だからカルはジゴロウと源十郎からその身体能力を発揮させる技術や敵との戦いを有利に運ぶ戦術を教わっていた。まだまだ荒削りで未熟だが、少しずつそれらが身に付いている自信がカルにはあった。
そしてイザームだが、彼は余りにも使える手札が多く、それを活かす術に長けている。正面から戦ってくれればカルの圧勝だろうが、搦め手に罠などを駆使されては勝てないだろうとカルは確信していた。
しかし、三人に共通する点がある。それはカルの攻撃をまともに食らってしまった場合、ただでは済まないダメージを負うことだ。防御力の高い源十郎や体力が多めで回復力も高いジゴロウならそこまで重傷にはならないかもしれないが、イザームの場合は間違いなく瀕死か即死してしまう。
だからカルには少しだけ不満があった。自分が折角学んだ技術と戦術を、実戦で思い切りぶつけられる相手が中々見付からなかったからだ。大抵の敵は自分の巨体で押し倒してしまうだけでほぼ終わり。この付近で最も強かった龍牙兵長はそれなりに体力が多いが、それだけだ。カルの突進を受け止める膂力も、躱して反撃する技量も無い。のし掛かってしまえば雑魚と同じく余裕で倒せてしまった。
だが、この偽骨龍は違う。身体の大きさは自分を越えており、それに伴って体力も多い。自分がこれまで培って来たモノを存分に使えるのだ。しかもそんな相手が二頭もいる。死力を尽くしても勝つのは不可能に近い状況だが、そもそも龍とは闘争を本能的に望む種族であるのでカルはむしろ歓喜していた。
戦闘が始まってからしばらくの間、カルは冷静に戦っていた。どちらか一方の喉元に噛み付いて動きを封じ込めつつ爪で骨を削り、もう一方は尻尾と翼を器用に使って牽制する。拘束を振りほどかれた時は回避に専念しつつ、小刻みな攻撃で少しだけダメージを与えておく。そして大きな隙を曝したら、即座に飛び掛かって噛み付きによる拘束状態に戻す。その繰り返しであった。
さらに敵の攻撃は不死の群れを巻き込むように立ち回るのを忘れない。こうして傷付きながらも二頭の偽骨龍と渡り合っていたカルだったが、戦場に大きな変化が起こった。マクファーレンが強化鎧を起動したのである。
その直後、イザーム達は不死の群れを殲滅していた。そしてエイジが引き付けてくれたお陰で、カルは偽骨龍と一騎討ちになった。こうなればもう自分に負ける要素など微塵も無い。あとは手早く片付けて、主人であるイザームに褒めてもらうだけだ。
「ゴアアアアッ!」
「ギャアアアア!?」
その油断が命取りであった。偽骨龍は隙を突いて爪でカルの眼球を抉ったのである。カルは思わぬ激痛に悲鳴を上げ、一度距離を取った。
痛みを堪えてほんの少しだけ冷静になったカルが次に覚えたのは、かつて無いほどの怒りである。自分の眼を抉られた事への怒りもあるが、それ以上に戦いの最中に気を抜いて怪我をした自分へ怒りを募らせていた。
「グルルルル…グオオオオオオオン!!!」
カルは怒りに任せて突撃し、その鋭利な爪で斬りかかった。激怒していても技は雑になっておらず、それどころかこれまで以上の威力を誇っている一撃だ。
「グラアアアアアッ!!!」
「ギャオオオオンッ!!!」
負けじと偽骨龍が振るった爪は、カルの身体を深く傷付ける。今までよりも強力なカルの攻撃は、それゆえに大振りで隙が大きかったのだ。だが、攻撃を食らってもカルは無視して攻撃し続ける。技の冴えだけはそのままに、激情に振り回されて我を忘れているのだ。
「落ち着け、カル!星魔陣、遠隔起動、呪文調整、聖輪!」
「ギャオオオオオォ!?」
「グル…?」
誰かが叫びながら魔術を使い、偽骨龍を拘束した。偽骨龍が困惑すると同時に弱点によるダメージで絶叫している間に、傷だらけになりながら戦っているカルの背中へ誰かが降り立った。重さに覚えがあったカルは我に帰って振り替える。そこには見慣れた銀色の仮面を被った主人が立っていた。
「痛かったか?可哀想に…ここからは二人で戦おうな?」
「グルルゥ…」
「よしよし、今治してやるぞ。中魂癒」
イザームは首筋を優しく撫でながら、【魂術】で治療を試みる。それによってゆっくりと、だが確実にカルの体力は回復していった。
「無理をさせて悪かった。確実に、奴を倒そうか」
「グルッ!」
カルの心中には一人で倒しきりたかったという悔しさが確かに残っている。だが、それ以上に主人と共に戦える喜びの方が強かった。カルは先ほどまでの怒りは何処へやら、とても機嫌が良くなっていた。
「グオオォォ…ギャオオオオオオン!!!」
イザームが使った聖輪の縛めを引きちぎった偽骨龍は雄叫びを上げた。偽骨龍にはカルのような複雑な思考を行えるAIは搭載されていない。だが、だからこそ眼前の敵を倒して己を強化したいという欲求はとても強い。故にカルの背中に何かが乗っても、ただ得られる経験値が増えるだけだとしか考えていなかった。
それが大間違いだとも知らずに。
「カルよ、好きに戦いなさい。私が合わせよう」
「グルゥ!ガオオッ!!」
偽骨龍が振るう爪をカルも己の爪で弾く。一騎討ちの時ならば、カルが反撃したとしてももう片方の手の爪で防いだだろう。しかし、カルの背中にはイザームがいた。
「食らえ!星魔陣、呪文調整、聖光!」
「ギャアアア!?」
「ガルオオオオン!!!」
「グギャァァ!?」
カルが弾いた直後に、イザームの【神聖魔術】が突き刺さる。弱点属性の魔術が直撃したことで、恐ろしい勢いで体力が削られてしまう。反射的に怯んだ所へカルの尻尾で凪ぎ払われる。刃物のように鋭い尻尾は、偽骨龍の骨を何本も斬り裂いた。
どちらかの攻撃を防げば、相方の攻撃を食らってしまう。両方の攻撃を回避しようとしても、何故かその方向を読まれているせいでそれも出来ない。魔術と物理の双方による巧みな連続攻撃を前にして、偽骨龍はなす術もなく追い込まれてしまった。
「ガルルルル…ギャオオオオオオオオオオッ!!!」
そして【龍の因子】が発動し、偽骨龍の全身に力が漲っていく。この止めどなく溢れてくる力があれば、この劣勢を覆せるに違いない。偽骨龍はそう確信していた。
「カル、今だ」
「ゴォォ…ガアアアアアアアアアアア!!!」
当然、偽骨龍が強化されることなどイザームは折り込み済みである。発動と同時にカルに龍息吹を打つように指示していた。そして彼自身は懐から数本の回復ポーションを取り出していた。
「グギャッ!?ギャオオオオオオオオッ!!!」
対する偽骨龍は、迫り来るカルの龍息吹に対抗すべく慌てて龍息吹を使う。カルの全てを塗り潰すような漆黒の光線と、偽骨龍の毒々しい紫色の光線が激突する。拮抗した数秒の後、カルの龍息吹によって容赦なく偽骨龍の半身は灰塵に帰した。
「ガ…ガオァァ…」
それだけの攻撃に曝されても、まだ偽骨龍は消滅してはいなかった。【龍の因子】によって上昇したステータスと回復力、そしてカルの龍息吹を己のそれである程度相殺していた結果である。
「保険だったが、準備しておいて正解だったらしい」
偽骨龍にとって不運だったのは、相手が石橋を鋼鉄で補強して渡るような性格の男だったことだろう。体力バーの減少具合から生き残る可能性を考慮していたイザームは、懐から取り出したポーションを自分に掛けていた。彼にとってポーションはダメージにしかならないが、彼は自傷によって自分の【龍の因子】が発動する所まで体力を削ったのである。
「消し飛べ!龍息吹!」
「…!!!」
カルと同じく漆黒の、しかし苦悶の表情を浮かべた怨霊の集合体にも見える龍息吹が地に這いつくばる偽骨龍を捉えた。威力を軽減させることが出来なかった偽骨龍は、断末魔を上げることも出来ずに討伐されてしまうのだった。
次回は6月22日に投稿予定です。




