戦争前夜の街で
時は少々遡り、イザーム達がレベリングに勤しんでいた頃。イレヴスの街においては葬式もかくやと謂わんばかりの重たく、息苦しい空気が立ち込めていた。それもそのはずで、北部に五つあった砦は尽く陥落し、砦に詰めていた兵士はその多くが命を散らしたからだ。
「それは…それは本当なのか、バッケスホーフ卿?」
だが、イレヴスの太守と主だった者達が集まった会議室に比べればなんという事は無い。その原因はとある砦の守将から齎された報告であった。それはこの場に集まった者達をして素直に飲み込むには危険極まる毒を含んでいた。
「女神に誓って真実を申し上げております、太守様」
「いや、貴公の人柄は良く知っておる。その言を疑ってはおらぬよ。責任逃れの言い訳にしては、些か以上に真実味が無い故な。だが…」
バッケスホーフが守護していたのは、何を隠そうイザーム達と『仮面戦団』達が暗躍した砦である。そこで起こったこと、そして敗走している間に受けた襲撃とそこで尋常ならざる気配を纏う魔物から語られた言葉が、彼らを苛んでいたのだ。
「襲撃直前に見張りの暗殺を命じる魔物の存在、魔物の風来者、そして…魔物に買収された風来者の可能性か。信じられんし信じたくないが…見て見ぬふりなど決して出来ん話ではある」
草臥れた様子でイレヴスの太守がため息と共に大問題を言葉にした。聞いたときは耳を疑ったが、彼はバッケスホーフの為人をよく知っている。なので彼が保身のために嘘をついているとは考えなかった。
だからこそ、彼の経験したことが事実であるからこそ、これは大問題なのだ。敵には人類に比肩する頭脳を持つ個体と魔物の風来者がいる。それに加えて人類に味方しているハズの風来者にも、裏切り者がいる可能性が高い。女神の慈悲がなぜか毒となって彼らを蝕んでいるのである。
「ですが、本当にそのような事があり得るのでしょうか?」
その中で一人の文官が疑問の声を上げた。
「どういう意味か?」
「私もバッケスホーフ卿が虚言を吐いているとは思いません。ですが、余りにも不可解な事が多いと思われるのですよ」
「続けよ」
「魔物側にも風来者がいる。これは間違いないでしょう。他の守将の方々からも妙な武装の魔物がいたという報告は受けておりますからな」
彼の言う事も事実である。それは他の守将からの『一兵卒の中に金属製の武具を持つ個体がいた』や『死亡した際に風来者のように塵となった魔物がいた』という報告があったからである。これらの報告がバッケスホーフからの情報を裏付けとなっていたのだ。
しかし、と文官は続ける。
「内部の風来者と交渉して内部から攪乱を謀った、と言うのは無理があるのではないですかな?というのも、砦に転移した風来者に砦の外にいたハズの魔物が交渉する時間があったとは思えぬのですよ」
「ふむ…」
「そこで私が思うに、潜入や破壊工作に長けた魔物がいたということなのではないかと。これはこれで厄介極まりないのですが、こちらの方が素直に納得出来ると思いませんか?」
太守達は黙って考え込んだ。文官の意見も一理あると思えたからだった。プレイヤー達に依頼する、というのが時間的にもタイミング的にも難しいことを理解していたからである。
「だが、奴らが事前に風来者と交渉していた可能性は?」
「…彼らがファースに現れてから、イレヴスへ辿り着けた者は誰一人おりませんぞ?街道から離れて移動するにも、そのためにはかの悪名高き『霧の樹海』を踏破する必要があることをお忘れ無く」
このルクスレシア大陸において、人類が打ち立てた国家であるリヒテスブルク王国は中央部の平原から西端にある港街まで、という広い国土を持つ。しかし、それが大陸の全域とはお世辞にも呼べない。
ファースやイレヴスに見られるように、森林部以北は完全なる魔物の領域であるし、南の荒野は人類が暮らすには厳しい環境にある上に魔物の国がある。それでも肥沃な平野や弱い魔物しか住んでいない森林を開拓して今の国土を持つに至った。
だが、どれだけ時間を掛けても開拓が不可能であった土地も幾つか存在する。その一つが『霧の樹海』という常に濃霧が立ち込める危険地帯だ。人の手が入っていない原生林は只でさえ人々の方向感覚を狂わせるのに、樹木の魔物がいるせいで耐えず地形が変化し続ける。それに絶えることの無い霧が加わればその相乗効果は計り知れない。
奥地を目指すほどに方位磁石も狂ってしまうのもいやらしい点だ。いつの間にか樹海から出ていたならとてつもない幸運者で、場合によっては餓死するまで森の中でさ迷い続ける羽目になる。
だがそれ以上に恐ろしいのは、霧の立ち込める森林という環境に適応した魔物達の存在だ。奇襲を仕掛けるなど当たり前で、周囲の霧を利用した戦闘を行う魔物の存在も確認されている。
そもそもその霧も魔物が放出していると考えられており、もしそうであるなら霧を出している魔物を絶滅させなければ開拓するのは不可能だろう。よって王国はこの地域の開発をとっくに諦めているのだった。
ただし、非常に危険な場所ではあるが、採集できるアイテムには有用な物も多い。それに習得している者が稀な【時空魔術】を使えれば奥地へ進んでも帰還出来るので、そう言う者達からすれば宝の山なのもまた事実。なのでギルドでは【時空魔術】を習得している者が多く、また強力な魔物に戦える強さを考慮して、70レベルを足を踏み入れて生還可能な最低限のラインとしているのだ。
「『霧の樹海』を踏破した個体がいるのなら、その一匹は間違いなく強者だ。どうあっても目立つだろう。そんな芸当が出来そうな個体は確認出来たか?」
「いえ、太守様。砦を襲撃した魔物の主力は獣鬼でしたが、その中で最もレベルが高かった獣鬼王ですらレベルは74だったとの事です」
「群れに王以上のレベルを持つ魔物はいない、か。ならばその可能性は無かろう」
「そうだが…王がいるというのも大問題だ。裏切り者か忍び込める魔物がいる可能性とは違って、此方は目に見える脅威だぞ」
魔物には王と言う位階を持つ種族が存在する。それらは軒並み高いレベルであり、同じレベル帯の魔物よりも一段階上の戦闘力を有している。多数の配下も抱えているので、それらを蹴散らさねば討ち取るのは不可能に近い。当然、討伐の難易度はとても高くなってしまう。
しかし最大の問題はそこではない。王に率いられた魔物の群れは、ステータスが上昇する上に能力レベルが上がりやすくなるのだ。加えて配下の魔物は王が生きている限り王を守る為に戦うのを決して止めない。強くなった魔物が、逃げもせずに戦い続けるのである。
「可能な限り素早く排除せねばなるまい。騎士団長、現状の戦力で獣鬼王を討ち取れるか?」
「…難しいと言わざるを得ません。砦で確認された獣鬼王の戦闘力は桁違いです。私が率いる上級騎士部隊ならばどうにかなるでしょうが…確実に死者が出るでしょう。そしてそれは風来者が露払いをしている事が前提の話です」
太守の質問に、イレヴスを守護する騎士団の団長が難しい顔で答えた。都市にいる者で最もレベルが高いのは、上級騎士という国内でも最高クラスの者達である。彼らのレベルは最低でも60で、その隊長である騎士団長はレベル70を越える。連携も取れているので、彼らの部隊であればレベル74の魔物は難敵ではあっても勝てない相手ではない。
しかし、それはただのレベル74の魔物だった場合だ。王である獣鬼王はその枠には収まらない。戦闘力は実質的にレベル80代相当で、それは上級騎士達でも犠牲なくして勝利するのは不可能だった。
しかもこれは彼らが万全の状態で挑んだ時の試算である。多数の配下に守られた獣鬼王まで彼らだけで突破するのは無謀というもの。なので彼らという矢を獣鬼王へ届かせる為に、道を切り開く他の戦力を用いる必要がある。
その戦力として期待したいのが風来者なのだ。捨て石として使い潰してもいい駒として使っていいと女神にも言われている。それにそういう役目を押し付けてもイレヴスとしては何の痛痒も無い。まさにうってつけの人材という訳だ。
「その風来者が信用ならんという状況なのだ!卿の言うように潜入に長けた魔物の線が濃厚だとしても、もし本当に奴らの中に買収された者がいたとすれば…!」
「…堂々巡りだな。良くも悪くも、風来者は自由過ぎるし、多様性が有り過ぎる」
しかし、その戦術そのものの根本であるプレイヤーへの最低限の信頼が揺らぎつつあった。風来者の中に裏切り者がいたとなれば、戦場へ放り出した後に何が起こるかわからない。
大体、プレイヤーの全員が素直に言うことを聞く訳ではない。砦の防衛戦でも勝手な行動を取った者や命令外の攻撃をした者は一定数いた。中には傍若無人で命令どころか親切心からの忠告も聞かず、自分達の武具の手入れなどを優先しろと逆に迫ってくる不届き者までいたという。中身が『ゲームをしている一般人』であるが故に、品行方正なプレイヤーだけでは無いのであった。
「そもそも、バッケスホーフ卿の前に現れたのは何者なのだ?其奴も魔物に味方する風来者なのではないか?」
「確かに。風来者は我々の知らぬ連絡手段を持つと聞く。それを使っていたのでは?」
「いや、それはありますまい。其奴は不死を操っておったとあります。十中八九、奴は死霊術師でしょう」
「禁忌の術か…。我々の間では失われていても、魔物の大集落ならば伝わっていてもおかしくは無いか」
何気に真実に限りなく近い指摘が入ったものの、それを他の者が否定する。リヒテスブルク王国において、【死霊魔術】をはじめとした深淵系魔術は禁術扱いされている。術に関する資料は尽く焼却され、研究していた術師は異国人であっても厳しく取り締まって処刑してきた。唯一残されているのは対処法を知るべきという意見から代々の宮廷魔術師の長に受け継がれる秘伝書だけであると言う。
それ故に彼らはこう考えていた。この大陸に降り立った風来者が深淵系魔術に関わる事は不可能に近く、ましてや魔物の風来者には触れる機会すら無いだろうと。それが自然な考え方であり、神話におけるトリックスター的な『死と混沌の女神』が面白くするためという戯けた理由で態々その調査の目から逃れていたファースの地下にある秘密の研究室に魔物プレイヤーの一人を恣意的に送り込んでいたなどとは考えなかったのである。
なので彼らは【死霊魔術】を使える者がいたとするなら、それは魔物の群れの一匹に違いないという結論に至っていたのだ。きっと骸骨の仮面の裏には鬼賢者などの獣鬼と同じ鬼系統で魔術に特化した魔物の顔があるのだろう、と。
それを愚かな思い込みと馬鹿にすることは出来ない。それだけこの国では徹底的に禁術の排斥を行ってきた歴史があるのだ。それを知る者ならば当たり前の判断であるのだ。
これはイザームが意図した事ではないが、彼がNPCに植え付けた不信感が、『骸骨の意匠が施された銀色の仮面を被った魔術師』についてプレイヤーに、特に魔物のプレイヤーに尋ねてみるという選択肢を奪っていた。これにより、ファース北部で起きた事件と結び付けられる事は無く、よって彼がプレイヤーだと判明するのは遅れる事になる。
その直後、新たに齎された報告に彼らは戦慄することになる。それは彼らの保有する最大戦力の一角である上級騎士の一人が何者かに暗殺された、というものだった。
NPCもこのくらい色々考えられる位に技術が発達した未来のお話だと思って下さい。そうでないと謀略を巡らせる意味がありませんし…
次回は12月16日に投稿予定です。




