第87話 魔王の知識
シエンはソキと目配せする。
それから彼は立ち上がり、リリアを手招きして客間を出た。
「君に見せたいものがある。ついてきたまえ」
シエンが向かった先は魔術工房の倉庫だった。
雑多な魔道具が並ぶ中、彼は僅かに色の変わった床を一定のテンポで踏む。
すると、床がスライドして地下へと続く階段が現れた。
リリアは驚きと感心で声を洩らす。
「こんな場所が……」
「秘匿したい研究が多いのでね。多重結界で保護しているのだよ。無許可で立ち入れば呪われる仕様さ」
「お、恐ろしいですね」
三人は階段を下り始めた。
階段は魔力の灯で照らされているが、気を付けなければ踏み外しそうなほどに暗い。
慣れた様子のシエンやソキと違い、リリアは慎重な動きで二人についていく。
途中、シエンは話を振った。
「ところでリリア君。魔王について君はどこまでの知識を持っているかな」
「魔王についてですか?」
「そうだ。君の認識を聞いておきたい」
リリアは足元に注意しながら考える。
そして自身の持つ知識を端的に明かした。
「生きた災害と呼ばれる最強の魔族……ですかね。すみません、詳しいことは知らされていなくて」
「そこだよ。重要なのは知らされていないという点だ」
足を止めたシエンがはっきりと言う。
彼の目には深い知欲が宿っていた。
「魔王の正体は誰も知らない。戦場に現れないからだ。魔族の言動から存在を確認しているだけで、その実態はほとんど闇に包まれている」
「まさか、魔王は実在しないのですか?」
「それはない。少なくとも魔王に該当する敵がいるのは歴史が証明している」
シエンはまた階段を下り始めた。
そのペースがだんだんと加速していく。
「古代の文献によると、魔王は不定期に出現しては壊滅的な被害をもたらすらしい。ただし百年ほどで勝手に死亡するそうだ。己の瘴気で自壊しているという説が有力だが、今のところ根拠は薄いね」
「初めて知りました……そんな情報があったのですか」
「数人の勇者に古代の石板の解読を任せていてね。戦闘以外のあらゆる角度から魔王の対策を試みているのさ」
シエンはほとんど駆け足に近い速度で階段を下りる。
リリアは慌てて後を追うことになった。
「魔王の死後、蓄えられた瘴気が新たな魔族に宿って休眠させて、やがて魔王へと進化させる。休眠からの目覚めには約五十年がかかる。つまり魔王の出現から死亡までは百五十年の周期というわけだね」
「現代はその周期の只中というわけですね」
「その通り。我々はなんて幸運なのだろう。これほど研究欲をそそられる事柄は滅多にないよ」
シエンは心底から楽しそうに笑う。
リリアはその姿に恐ろしさを感じた。




