消えない思い~Un rêve~
ジルと男がほんの一歩建物に踏み入ると中の景色が急激に変化していった。
真っ白な壁にびっしりと書かれてあった数式や意味の分からない文字の羅列は
急に捻じれるように歪んで、
そしてそれらは渦巻く様に建物の中心に向かって消えて行き、
更に白い無機質な壁も真っ黒い鏡の様な大理石も、
急激に姿が薄くなりそして消えて行った。
後には白いだけの世界となったが、
やがて徐々にその世界は現実の建物と認識できる空間へと変わっていく。
天井はバチカンの大聖堂(サンピエトロ大聖堂)を思わせるほど背が高く、
そしてその天井自身も半球状になっていて、頑丈な柱が何本も立ちそれを支えていた。
柱自体には複雑な模様が入ってはいたが、あくまでも幾何学的な装飾だった。
そして天井自体にはこの場に似合わない巨大な絵が描かれてあった。
12信徒の姿でも天使や賢者の姿など宗教的なものは一切なく、
それはごく平凡な絵画だった。
夏の様な明るい日差しに輝く白い砂浜と
沖へと広がるごとに深みを増すエメラルド色の海が砂子の様な光を反射していた。
その砂浜を数人の女性と小さな子供たちが波打ち際を楽し気に歩き、
手前側になる部分には白いバルコニーがあり、
そこで若いとだけわかる男たちがテーブルに座って談笑している場面だった。
テーマもなにも無さそうな普通の風景だが、
バカンスかなんかを映したようなそれは、
思い出を固着するかのように精細で生き生きとした絵だった。
床は良く磨き込んだ黒御影石が様々な形で敷き詰められて
鏡の様に磨き上げられた床面には天井の絵と、彫刻や壁面の様々な絵画が映されていた。
ただ、
その中心の光景だけが外から見たのと同じ光景だった。
疲れた様子のフェリルが小さな椅子に座り、
墓石の様な箱の一部に肘を付いてその中を寂しそうに見ているその光景に。
「 陛下…大丈夫ですか?お話になられても 」
ジルは昨日の怪我からまだ回復しておらず、
手当をした跡を白い布で覆われたフェリルの足と、
少し青ざめた顔を交互に見ながら心配そうに問いかける。
「 ああ、体の方は無理しなけりゃ特に問題ないよ。
それに、この状況を覗き見してあなたの説明しただけじゃあ不正確だし… 」
「 それはそうですけども… 」
ジルは何かに遠慮するかのようにそれ以上近寄るのを躊躇していた。
事情を知らない男はいつもは明るく艶めかしいフェリルが
儚げな表情で何を見ているのか興味があり、
それが昨日の夜ジルが話したこととどう関係あるのか気になっていた。
「 いいわよ、その子とここにいらっしゃい 」
と軽く石の箱のヘリを叩いて手招きをするフェリル。
男はジルについてフェリルの傍まで行って石の箱の中身を見た。
だが箱が何なのか分かって、更に首をひねった。
そこには見も知らない若い男が
柔らかい寝具に体を沈めて眠るように横たわっっていたからだ。
箱と思われたのは御影石で出来た石棺の様なものだったからだ。
血色のいい顔と生き生きとした頭髪などを見ると死体の訳も無く
着ている服も黄色味を帯びたシャツに皮のベストにジーンズ、
胸には豪華な装飾をなされた鞘に収まっているロングソードが置かれているのも奇妙だった。
「 こ…これは? 」
男の質問に、フェリルは石棺の中の男の髪を撫でながら言った。
「 これはね…私の全て、私の生きる意味そのものなのよ。
遠い昔、グランドの地で魂の終末を迎えた私の好きだった人なの 」
「 グランド?グランドって言ったらヒラリー様の… 」
グランドはヒラリーの名前にも入っている2つの国の一つだった。
「 ええ、それはそうよ、そこで亡くなったのは。
だって、この人はヒラリーの最愛の人で、旦那さんだった人だもの…
この人は元は人間で、死後にあの国に連れて来られた魂なのよ。
本当にいろんなことがあってヒラリーと一緒になった。
因みに、二人の愛の結晶があなたも知ってるレビルちゃんなの 」
グリムリーパーの女性は子供を産むことが出来るのは当然だったが、
普通は同じ種族でというのが普通だった。
偶に人間の魂で子を成す女性もいたが、王族でそんな事を成した人など
男は聞いたことが無かった。
「 人間?人間との間の子なんですかレビル様って…序列9位のあの 」
男は、精悍な顔をして健康的な陽に焼けた顔を思い出す。
ああ、確かにこの人に似ているな…と。
「 そうよ。今はコプートスに世界にいるあの子が生まれたのはこの人のおかげだわ 」
フェリルの顔は少し愛おしいものを思い浮かべるように優しげな微笑を浮かべた。
しかし、直ぐに真顔へと変わる。
「 でもね、本当はこの人の子は私が生みたかったのよ…
いっぱい愛していっぱい愛情を注いでその子を育てたかったわ。
実際いいところまで行ったし、何度もデートをしたんだけど… 」
「 で、デート? 」
直ぐにでも肉体に食らいつくニンフォマニア(色情狂)って噂されてるし、
昨日なんか気絶して無意識なのに自分に乳房やお尻を擦りつけてきた陛下がデートって…
いや、きっと最後までついたデートなんだろう。
「 バ…馬鹿ねぇ、私だって昔は純情可憐だったものよ。
ヒラリーと競争であちらこちら連れまわしたけど、
ヒラリーとは約束でどちらかが勝って、夫婦になるまでは指一つ付けない事になってたの。
お互いの矜持にかけてそれは守ってたから 」
とても信じられないって男の顔を見てフェリルは少し頬を赤くした。
「 気が遠くなるほど昔の事だわよ!
だけど今はさ…寂しいし、寒いし、歳食って順番踏んでなんて待ってられないの
しょうがないじゃないの性欲が馬鹿みたいに強いんだもの 」
「 しかしですねえ 」
男は寝ているようにしか見えない男を見ながら怪訝そうに思った。
「 この世界で人間の魂は転生する為に終末を迎えて、きれいさっぱり消滅するんじゃあ 」
男が不思議そうに質問してくるのをジルが答えた。
「 確かにそうだけど、その前に戦争が起きちゃって転生前に死んだのよ… 」
「 私が生まれる前の”大戦”ですか? 」
別に意味もないし、考えの分かるグリムリーパーなのにジルは少し慌てて答えた。
「 わ…私だって生まれていないわよ、そんな昔。
まあ、それでね本来ならまだそこで亡くならなければ、
結構長くこの世界に留まれるはずだったから、
ヒラリー様もフェリル様も大層嘆き悲しんだって聞いたわ。 」
「 でも、それなら7日のうちに火葬してやはり消滅する筈じゃあ… 」
この世界で決められた魂の寿命を急に早く終えたものは、
魂の姿のまま7日間この世界に死した魂のまま居続ける約束事になっていたのだ。
その問いにジルが何かを言おうとするとフェリルが止めた。
「 そうね、本当なら7日の間に火葬だけど…その前に私が魂ごと盗んだのよ
膨大な能力を持つあの人を殺した化け物を探し出して、
手足を捥いでブレスでチョロチョロ燃やしながら殺しながら能力を奪って、
その能力も使って魂を偽装して葬儀を執り行ったのよ。
私の方はこの人の魂が持っていかれない様に能力使って”初七日”を回避したのよ。
あのまま転生して別の生き方が出来るかもしれないのを
私の我儘でここに幽閉しているのよ…それは罪深い事であるし、
このことはヒラリーも知らないわ 」
「 だとしても…いずれは消滅する筈じゃあ 」
この世界の約束事は絶対だし、能力で回避したっていずれは…
「 ええそうね…普通ならそうなるけど、ここにいる限りはそうはならないのよ
私の膨大な能力でこの世の理を拒絶しているから。
但し、この結界から一歩でも出そうものならその場で消滅してしまうけどね 」
「 結界って言っても定期的に能力補充しないといけないし
理を拒絶するのなんてとんでもない能力がいる筈じゃあ… 」
男は扉の外で見た光景を思い出した。
数式と言葉がびっしりと書かれていた壁と異様なねじ曲がるような感覚を…
そして、ジルが言ってた決して下位でもない無い自分が数分しか持たないと言った光景を。
「 陛下は、膨大な能力を持っているのは知っているでしょ? 」
ジルが口をはさんだ。
「 ええまあ、序列2位って呼ばれるぐらいですし 」
上から序列8位までは次元が違う能力量で、じぶんから見れば奇跡と思う程だった。
一番下って言われるアルコキアスでも殆ど神のように思えるほどだった。
「 いえ、実行可能な能力量は1位のベス様より大きいのよ。
この結界を常に維持しなければならないので、25%は常に消費してる。
今はフェリル様が結界を消して見せてるけど、
実際には外から見た通り凄まじい能力の渦と祈りと呪いの言葉で覆われているのよ。
勿論、結界が私たちの能力に干渉しない様に処置もね。
そして二人の能力の質の優劣、その範囲を考えてもベス様とほぼ互角なのよ 」
「 そこまでするなんて…って事はこの結界の維持が無ければ序列… 」
男の言葉に少し語気を強めてフェリルが呟いた。
「 そんなものに何の興味もないわ…この人が前のように復活するのなら
その上で私と一緒に過ごしてくれるのなら
人間になって数十年で一緒に老いさらばえて死んで消滅したって構わないわ。
この人の維持とこの人が愛してくれたこの国を守る為だけに
今は私は歯を食いしばって生きているんだもの。
まあ、それもちゃんと目途はあるのよ。
終わりも見えてるから、多少問題があっても国の方は今すぐにジルに渡しても問題ないだろうし、
この人の復活も…それは私のたった一つの”夢”なのよ
その為に… 」
フェリルはそう言うと傍らから小さなガラスの瓶を取り出した。
真黒なひまわりの種の様な形をしたものが瓶の中に入っていた。
「 復活の術式は昔からある物なの。
それには暗黒のエネルギーが術式に相当する量が溜まり、
術式が発動できる30年周期のこの期間で発動できれば、
ほぼ全ての能力を失うかもしれないけど、彼の復活は出来るわ。
復活した後はそうね…
懇意にしている序列6位のアンハングエラのじいさんにでも頼んで
彼の国の辺鄙な田舎でも引っ込んで彼と一緒に暮らそうかって思ってるの。
畑仕事とか牛追いととかしてもいいかな…のんびりとした余生をね。
多分、そうは長く生きていけないだろうけどそれで幸せだわ。
だけど、その術式はもう今日で期限切れになるのよ。
でも、この体じゃあ…それにエネルギーも足りないしね。
次のチャンスは30年後…それまでに暗黒の種を… 」
と言いながら、瓶から黒い種を取り出す。
「 これを必要量集めなきゃあいけないのよ…凄まじい量の暗黒の種をね。
大分貯めたわ…
悪魔みたいな魂って聞いたら死ぬ思いでそれこそ世界中…
魂を集めて私が能力で魂を形にするの、
暗黒の種ってのは凄まじい負の感情や思考の塊が物質化したものだものね 」
男は、暗黒の種から禍々しい気配を感じたが、それと同時に体が熱くなる気がした。
「 ”暗黒”ってのは昔の食料って知ってますけど、
陛下の言う暗黒の種って初めて聞きますが… 」
すると、開いていた扉から風が吹いたかと思うと、
フェリルとは反対側の石棺の縁に、一人の女が煙のように現れた。
柔らかい物腰で茶色い目の少し背の低い女性だった。
「 禁呪よね、アルテェイシアム それって 」
全く気配を感じずにいきなり目の前に現れたと思ったジルと男は驚いたが、
フェリルは眉が少し動く程度だった。
「 ええそうよ…だったら何?止めるのぉクライン 」
「 いえいえ、止めるなんて…ただ、あの時の事務所でのあなたの態度を見て
稀代の殺人鬼の魂なんか何に使うのかって思って色々調べて
こんなことしてるんじゃないかな?って予想はしてたわ。
まあ、でも上からの命令でヒラリー達も動いてるし
あなた自身が人生最大の敗北を喫した相手に頭を下げるわけないと思ったし、
どうなるのか様子見てたら丁度、
ヒラリーに負けたのが分かって、
落ち込んでいるかなぁって思って慰めに来ただけですわ 」
「 慰めって… 」
突然現れた序列一位のベスの言葉にフェリルは余計なお世話って感じで目を背けた。
「 ヒラリーの仲間のあんたがさ、ここに来て慰め? 」
「 ええ、でも私はヒラリーの友達ですけど、
あなたの友達をやめた記憶も事実もありませんわ。
あの頃、一緒に… 」
ベスは天井の絵を見ながら懐かしそうに指で絵のところどころを指す。
「 これって、あなたと、みんなで私の国のビーチで遊んだ日の思い出よね。
皆いるわ、ヒラリーもあなたも、私もバールもアルコキアスも
アンハングエラも若かったわね…頭なんかふさふさだし。
歳は取らないけど髪は抜けるんだものおかしなもんだわ。 」
ベスは石棺の男に目を移して言葉を続けた。
「 この人もうちの夫と一緒に仲良くお話してさぁ… 」
「 まあ…あの頃は皆いい仲間だったのは確かだな 」
ベスがその言葉を聞いて、反対側から顔をフェリルに近づける。
「 あの頃はじゃなくて、今でもそうでしょ? それとも嫌いかしら私の事 」
「 別に…ただ、ヒラリーと仲の方がって感じでしょ?私はそのずっと後だし 」
「 まあ、妬いていらっしゃるの?そんな訳ないでしょ。
私はあの頃からみんな好きだし、今でもあなたの事は大切な友達だと思っているわよ 」
そう言ってニヤニヤ笑うベスから目を背けるがベスがその顔を追って
「 まあ、言葉だけじゃあ分からないし、気持ちだってこれだけ能力が近いどうしじゃあ
読めないから分からないしね。
だからさ、今日は形で示すのがいいのかと思ってね 」
そう言うと、ベスがフェリルの前に手を出して呪文を唱える
それが何の呪文かはジルや男には分からなかったが、フェリルには最初の言葉で理解した。
「 ま…まさかお前 」
フェリルは驚いた様にベスの掌に視線が釘付けになった。
白い煙の様なものが小さな渦を巻きやがて少しずつ黒くなり、その中心に向かって集結していった。
そして最後にその中心から二つの黒い種が落ちて来た。
「 今回の健二って言われてた稀代の殺人鬼には敵いませんけど、
それでも最低最悪の外道どもの魂をすりつぶして二つ持ってきましたの。
多分、これだけではあなたのものを合わせても術式は発動できないし
今のあなたでは術式自体を組むことも出来ないでしょうが…30年後は 」
そこまで言うとフェリルがベスに抱き着いた。
「 馬鹿かベス、禁呪だぞこれって…見つかれば最悪の場合には王位剥奪だし
お前自身だってそれ相応の…呪い返しの痛みが 」
力強く巻かれたフェリルの腕に少し苦笑いしながら
「 そう?王位なんて大したことないわ。あなたと同じで後継者いるしね
禁呪の呪い返しだってさ、あなただって耐えきっているじゃないの。
確かに呪い返しの痛みは結構キツイけど一瞬だったから…
もう済んだ事だから、気にすることないわ友達でしょ 」
その言葉に声を上げてフェリルが泣く。
「 気にしないとかそんな訳ないでしょ、凄い痛みだわ。
私だって毎回のた打ち回るような痛みでさ…私は目的があるから我慢できるけど 」
「 あら、目的なら私もあるわ。あなたと友達で居続けるって目的がね 」
それからの嗚咽は物凄く、腹心の部下のジルは初めて見たのか目を丸くして驚き、
付いてきた男はそんな女性らしい泣き方に目を疑った。
そして、そのまま泣き止まないフェリルに更に優しく言葉をかけた。
「 私もね…いつも思うのよアルテェイシアム。
ああ、あの夫生きてたらなあって…って
それはね、多分ヒラリーも同じだと思うのよ。
でもね、ちゃんと最後までしっかりと愛した時間があるから後悔はしてないのよ。
ただのいい思い出って事の続きって事でそう夢見るだけ。
でも、あなたはあれから長い長い時間、この人に対して消えない思いを持ってるでしょ。
しかも果たせなかったし、彼が残した思い出の殆どがヒラリーが持っているしね 」
ジルと男は涙を浮かべながらその場で一言も発することが出来なかった。
そして、これほどまでいつまでも友達でいてくれる者が自分にいたか?と思う。
「 ヒラリーにはこのことは生涯話さないでおくわ。
彼女にはすべてがきっといい思い出で過去の事だから。
だから、あなたは少しぐらいの我儘は良いと思うのよ。
もう少し…頑張って30年後に復活できるように頑張りなさい。
私も協力するし、
もしこの人が復活できたとしたら、
あなたが残り少なくなった命を燃やす場所ぐらい用意して待っていてあげるから 」
フェリルの嗚咽が建物の中で悲しく反響する中で、ジルは天井を見上げた。
今まであまり入ってこないし、それが何なのか分からないときには興味すら無かった。
ただ今は目を凝らし、その大きな天井の絵を見る。
言われてみればそこに書かれた人物の殆どは彼女が知っている今の各国の王と、
今では重臣になっている人々だった。
歳をとらないグリムリーパーで、皆知る限り今と同じ顔に見えた。
だが、その絵から感じるものは
若々しくて煌びやかな輝きに満ちたものだった。
歩いていた女性はよくよく知った人物で、思わずジルは口に手をやった。
褐色の肌に白い帽子をかぶった背の高いヒラリーと
今、フェリルの頭を撫でているベスが白いワンピース姿で並んで歩き。
その二人の前で両手を広げてこぼれる様な笑顔をしている
赤いタンクトップで白いミニスカートを穿いているフェリルがそこにはいた。
ジルはそしてそのまま目を落とし抱き合って泣いているフェリルとベスを見た。
多分、その絵に描かれた時代から二人は友人として、
いつまでも消えない思いを持っているんだなと胸が熱くなった。




