Flight to Chaos 3話
@空テロ 執務室
「応答しない、くそっ!!」
松永は思わず拳で机を強く叩いた。
離陸許可を出してしまった後悔の念が濁流の如く襲ってくるが、歯を食いしばってねじ伏せる。後悔は後からいくらでもできる、今は次善の策を打つ時だ。
「他に連絡手段がないかを徹底的洗ってくれ。この際、乗客経由でも非合法でも構わん」
機長との通信で、当該機の危険度が松永の中で跳ね上がった。彼の横暴をただの日本嫌いと片付けるほど、松永は日和っていない。いくら日本に個人的悪感情を抱いていても、テロのリスクには協力して対処するのが、機長としての最低限の職務だ。
能力が絶望的に低い機長でも、対応の質やスピードに問題があるにしろ、協力しないという選択肢は無い。
確かに久我は現時点では一般人であり協力要請しないという機長の主張は理解できるが、こちらの要求を否定するのであれば、代案を示す義務がある。一方的に協議を打ち切るのは言語道断だ。
そんな対応をした時点で、当該フライト終了後、機長の資格を剝奪される。……フライトが無事終われば、だが。
にもかかわらず、その行動を取るという事は、機長自身に犯罪の意志がある可能性が高い。
そう結論づけて松永は天を仰ぐ。
それが分かった所でこちらから手を出せないのが航空犯罪の怖いところなのだ。
しかし、今回はまだ蜘蛛の糸が繋がっている! 松永は両頬を叩いて再度業務に集中する。
久我と一刻も早く連絡を取らなくてはならない。休暇中に事件に巻き込むことの罪悪感が通信前まで松永にも僅かには残っていたが、それも霧散した。
通じる可能性は低いが、一縷の望みをかけて携帯から久我宛に電話をかける。
『この電話は現在電波の届かない―』
当然通じない。あらゆる可能性を試す必要がある状況だ。松永はすぐに切り替える。
部下達の様子を見ると、苦戦しているのが伺えた。自分の指示がいかに難しい事を要求しているかを松永は理解していた。
飛行機では携帯電話は当然つながらない。
機内Wi-Fiもファーストクラスだけで提供される航空会社で、当該機にはビジネスクラスまでしかない。
執務室が暗い雰囲気に包まれつつあったその時、該当機から通信が返ってきた。
『副操縦士のスコットです。先ほどは機長が失礼しました』
室内に緊張が走り、松永の思考のギアが上がる。
なぜ、機長ではなく副操縦士が? という疑問に対する仮説をいくつかピックアップして、自身の取るべきスタンスの結論を瞬時に出す。
いずれにせよ、この通信は全神経を集中させて慎重に対応しなくてはいけない、と。
「いえ、よくあることです。機長はどうしました?」
『背任行為が認められたので、拘束しています』
機長の背任行為は松永の推測通りだ。そこに驚きはない。問題はこの副操縦士がクロかどうか、だ。口ではこういうものの、共犯者である可能性は十分にある。先ほどの機長との口論はこちらを混乱させるための陽動だと考える事もできる。
彼の口調が異様に落ち着いているのが、松永は気になった。
確かに現状と似たシミュレーションの訓練もパイロットなら積んでいるだろうが、ここまで冷静に対応できるだろうか?
「それは大変でした。お怪我などは?」
『ロートルに遅れは取りませんよ』
副操縦士は冗談かどうか判断しかねる淡々とした口調でそう答えた。その余裕が、松永の疑念を強める。
「それは良かった。機内の状況は?」
『乗客に被害はありません……ただ』
言い淀む副操縦士に松永は嫌な予感がする。
「ただ?」
『飛行機のコントロールが効きません。機長が細工をしたようで自動操縦が解除できません』
本当に自動操縦が解除できないのか、あるいは意図的に解除しないのか、その真意は定かではないが、こちらが何も手を打てなければ結果は同じだ。あらゆるリスクを想定して動かなくてはならない。松永から本音が零れる。
「……まずいですね。目的地は?」
『バミューダ諸島のあたりですね。何とか解除できないか試してはみます』
バミューダ諸島? あんなところにテロリストの標的となるものがあったか? 松永に思い当たるものはない。しかし、テロリストの考えは人知を超える時がある。副操縦士が嘘をついている可能性もあるが、当局に連絡して備えるべきだろう。
「ええ、お願いします。こちらは各所に緊急連絡をしておきます。ところで……」
部下にジェスチャーで連絡の指示を出しながら松永はたっぷりと間を置く。相手の動揺を誘う戦略だ。
『……なんでしょう?』
痺れを切らした副操縦士が続きを催促する。
「機長に事情聴取は可能ですか? 何かヒントがあるかもしれません」
『難しいですね。拘束時に気を失わせていますから。こちらからも確認をひとついいですか?』
間髪を入れずに副操縦士は答える。もしこの副操縦士がクロだった場合は相当なやり手だ。動揺が一切感じられない。
そういう相手からの質問に対しては、より慎重に答える必要がある。下手に情報を与えると乗客の危険が増したり、テロの成功率をあげる可能性があるからだ。
松永の思考は、副操縦士が信用できるのか、及びどこまで情報を与えるのかという判断に占拠されて、副操縦士の回答の違和感に気づくことは無った。
沈黙を了承と取り、副操縦士は続ける。
『乗客の中に共犯者がいるかもしれません。休暇中のSMが搭乗しているとのことなので、協力を願いたいのですが』
現時点で副操縦士をクロだとは断定できない。そして、それを今この場で決定づける方法は無い。であれば、これはリスクの大小を選択する問題だ。久我の情報を彼に渡す場合と渡さない場合、双方の可能性が松永の頭を今、駆け巡っている。
「ああ、その件ですが誤情報でした。申し訳ありません」
シミュレーションの結果、渡さないという判断を松永は下した。
最終的なファクターとして、松永は自身の部下の優秀さを信じた。副操縦士に頼らなくても、久我と連絡が取れるだろうと。
『……そうですか』
副操縦士のその言葉には何の感情も籠っていなかった。興味の無い人間から明日の天気の話題を振られたくらいの無関心さだった。
「一旦、通信を終えますが何かあればすぐにご連絡ください。例えば、機長が目覚めるとか」
目覚めるの部分を強調して、松永は副操縦士を牽制した。
『了解です』
最後まで副操縦士は平静さを失うことなく、通信が終了した。
久我の情報を伝えなかった事をほとんどの部下は不思議がっていたが、佐藤だけは平然としていた。自身の疑念を確定させるために松永は話し掛ける。
「どう思う、佐藤」
「限りなく漆黒に近いブラック、ですね。もしかしたら、機長は死んでるかもしれません」
「なぜ、そう思う?」
松永は素直に不思議だった。機長と共謀している可能性までは思い至ったが、機長が死ぬべき理由が思いつかない。
「機長が気を失っているという説明からです」
「というと?」
「彼の経歴を調べましたが、この情報が正しければ従軍経験などのCQCを習得する機会は無かったようです。多少は訓練していると言っても、素人が狭いコックピット内で暴れる相手の意識を刈り取るのは相当困難です。そもそも拘束する事すら覚束ないでしょう。プロの我々ですら容易ではありません。よって機長が気を失っているのが事実だとしたら、経歴を偽り高度なCQCを取得している危険人物の可能性が高いです」
「確かに」
「そして、気を失っているのが嘘だとしたら、そんな嘘をつかなければならない理由はひとつ。機長が話せない状態にあるからです。例えば、死んでいるとか」
「だが、共謀して機長が別行動を取ってる可能性はないか?」
「かなり低いかと。共謀しているなら、副操縦士が我々と通信するというリスクを冒す必要がありません。あのまま音信不通にして淡々と行動すればいいんです。恐らく久我警部の情報を獲りにきたのでしょうが」
「では、なぜ機長は死んだ?」
「それは分かりません。憶測ですが、仲間割れかもしれません。いずれにせよ、この副操縦士は要注意です。コイツがカテゴリーAかもしれません」
なるほど、やはり佐藤は優秀だと思った。自分が漠然と感じていた違和感を見事に言語化している。松永の疑念は確信に変わり、副操縦士はクロと判定して動くことに決めた。
「あっコイツ!」
佐藤は松永に自身の見解を話している最中にも、連絡手段を探る作業を続けていた。
今、何かを見つけたようだ。
「隊長、久我警部と連絡が取れるかもしれません。かなり危うい手段になりますが……」
この期に及んで手段を選んでいられない。
「かまわん。俺が責任を取る」
松永に上昇志向は無い。職務を全うしていたらたまたま今の地位になっただけだった。
@機内 コックピット
日本の警察は平和ボケしていると聞いていたが、国防に関わる精鋭はそれなりに優秀だなとスコットは少しだけ感心した。
恐らく今後は自分は容疑者として扱われるだろう。ただその程度で大勢に影響はない。粛々と計画を進めるだけだ。まずはノイズを取り除く。
『機内にSMがいる。休暇中らしいが特定して無力化しろ』
乗客に紛れた部下にスマホに似た通信端末のチャットで指示を出す。
『手段の詳細は?』
『任せる。無力化することが最優先事項だ』
『了解』
スコットは右胸ポケットからラミネート加工されたボロボロのメモ用紙のような物を取り出してじっと見つめ、今まで何度もそうしてきたように心を殺して目的達成に不要な雑念を振り払う。
そのメモの紙質は粗悪でくすんだ色をしており、書かれている文字も滲み読み取るのがやっとなほどで、歴史的遺物のようですらあった。
”20241128 AAC108便に大いなる災厄を齎す者あり”
それはスコットが元居た世界で意味も分からず受けた神託であり、この世界で孤独な戦いを強いられる切っ掛けでもあった。
@機内 エコノミークラス 客席
「ヘイブラザー」
デカい図体が近づいてくるのは、ダグが席を立ちあがった時から察知していた。
久我は文庫本から目を離さずに、不快感を露わにして応える。凶事の予感がする中では面倒はできるだけ避けたかった。
「ブラザーじゃない。アニメの話なら隣の渉君としたらどうだ?」
久我は両親の影響で、アニメは子供が見るものだという古い価値観を持っていた。
話を振られた渉がダグを上から下までゆっくりと観察し目を輝かせる。
「わあ、おじさん、大きいねえ! クマさんみたい」
ダグは苦笑いする。彼は子供とどう接したらいいか分からない。更には日本語だから渉が何を言っているか本当に理解できていない。
「それでクマおじさんは何の用なんだ?」
久我が渉の言いたかった事を翻訳して補足する。
「おいおい、俺はまだ23だぜ。おじさんは勘弁してくれ」
「23でその体か……。俺と5歳しか違わないじゃないか。早死にするぞ。運動した方がいい」
「ブラザー、お前は俺のママか? 俺が今まで何回それを言われたと思っている? 今更そんなことを言われて、ナイスアイディアだ! 運動した方がいいな、今から客席をハムスターみたいに走り回ろう! そうだ、走れダグ! 名作映画のフォレスト顔負けだ! となると思うか? 俺からしたら運動する奴の方がアホだ。いかに楽をして生きるのか、それが人類の命題だ、ブラザー。この飛行機だってそうだ。お前はスーパーマンみたいに空を飛べるのか? 飛べないだろ。だから、飛行機に乗る。俺に運動をしろって言うのは、自分で空を飛んでフロリダに行けって言うのと一緒だぜ?」
ダグはジェスチャーを織り交ぜて早口でまくし立てる。渉はその様子を見て、きゃっきゃっと笑っている。久我は面倒くさいので折れた。
「分かった、分かった。俺が悪かった。で、用件はなんだ?」
「分かってくれたか、ブラザー! じゃあ、これを耳につけてくれ」
ダグはピアスと思われる小物を渡してきた。米粒ほどしかない小さなものだ。久我はそれを不審げに見回しながら、冗談めかして言った。
「なんだ、俺に気があるのか? 申し訳ないが俺はノーマルだ」
「HAHAHA、面白い冗談だぜ。俺にだって嫁がいる。遠く離れてはいるはいるけど」
「そうか、それはビックニュースだな……是非、SNSで発表してくれ。きっとバズるぞ」
「まぁ、次元が違うといろいろ苦労も多いけどな」
次元? と久我は眉を顰めるが、自分の知らないスラングか何かだろうと思ってスルーした。
「で、これはなんだ?」
「いいから、つけてみろって。危険はない、保証する。俺が嘘ついたことあるか、ブラザー」
「今日初めて会っただろ」
「おいおいブラザー、つれないな。しかし、アイツの言ったとおりだな」
「アイツ?」
「いや、こっちの話だ。ブラザーは疑ってかかるから、こう伝えろと言われたんだ。”クウテロ”と」
ダグはたどたどしい日本語でキーワードを言うと、久我の目の色が変わる。素早い動きでピアスを耳にはめる。久我はあらゆる変装に対応するためピアス穴は空けていた。
『休暇を楽しんでいるか、久我』
ドラゴン。その呼び方だけで相手が松永だと久我は瞬時に理解する
久我のフルネームは久我悟空。悟空が活躍する超有名漫画の名をもじり揶揄ってそう呼ぶのだ。
松永はその渾名に満足していた。驚異的な検挙率で暴れまわる久我にピッタリだったからだ。ただ久我は正直、センスが無いなと思っている。
「楽しさと不安が1:9くらいでしたけど、今、完全に楽しくなくなりました」
「鮮明すぎて隣にいるみたいだろ? 愛の囁きだって拾う特製のピアス型骨伝導イヤフォンマイク。俺はただのデブじゃないんだぜ?」
ダグが空気を読まずにはしゃいでいるが、緊急事態であることを久我は察して目を瞑り渋い顔をする。
怪しい奴を介して怪しい手段でわざわざ連絡してきて、それが忘年会のお誘いであれば大いに笑えるが、やはり松永にそのセンスは無いだろうと久我は断じた。
「始末書ものじゃないですか? 降格も有り得ますよ。非合法の手段で休暇中の俺に連絡を取るなんて」
「更に聞いて驚け。司法取引でそのデブのサイバー犯罪を揉み消す予定だぞ」
久我がダグを睨みつけると、彼は何を勘違いしたのか誇らしげに胸を張る。
「それより本題に入りましょう。よっぽどまずいんでしょう?」
悪い予感が案の定的中して、何故か妙な安堵を久我が感じた所で、機内に大きな声が響く。
「おい、肩がぶつかったのに謝らないのか!?」
先ほど、渉がぐずったのを最初に非難した老人が、トイレから出てきたヒスパニック系のビジネスパーソンと揉めている。トラブルを起こす奴は何度もでも起こすな、と久我が辟易して立ち上がろうとした瞬間、老人の怒鳴り声よりも迫力のある音が機内に響く。
銃声だ。
男が拳銃を取り出し、老人の額を打ち抜いたのだ。
老人の体が崩れ落ちると機内は悲鳴に包まれる。
「俺達はいつも手遅れですね。隊長」
そう呟きながらも久我の脳は、少しでも多くの市民を救うためにその処理速度をトップギアに入れていた。




