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婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい  作者: 矢口愛留


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4 公爵令嬢は甘い夢を見る


 クロエは、夢を見ていた。

 スティーブと婚約を結んだ頃の夢。

 甘く優しい、過去の幸せ。


◇◆◇


 スティーブは、美しい少年だった。

 その見目ももちろんだが、クロエが本当に美しいと思うのは、彼の心の在り方だ。


 将来は王太子となり、国王となることが定められたスティーブに逆らう者は、この国にはほとんど存在しない。

 けれど彼は、権威を振りかざすこともなく、おごり高ぶることもしない。

 むしろ自分がその地位に追い付けるよう、ひたすら努力を絶やさない少年だった。


 クロエはずっとスティーブの努力をそばで見ていた。


 同年代の貴族令息の、なんと幼いことか。

 貴族令嬢の、なんと夢見がちなことか。


 彼らは努力せずとも、その権利を当然のように享受できるものだと思っている。

 今ある栄光は、そもそも大前提として、領民、国民あってのもの。

 さらに当然それだけではなく、父や母や、その両親、そのまた両親――彼らの祖先から脈々と受け継がれてきたものであって、先人たちの努力なしには得られなかったものなのだ。


 だから、クロエはスティーブに負けないように、ひたむきに努力した。

 王子妃教育を受ける他の令嬢たちが、その厳しさに音を上げ始めても、クロエは文句一つ言わずに粛々と課程をこなした。


 王子妃教育は、クロエ以外の高位貴族家の令嬢も、受けていた。

 それは、スティーブや他の王子たちの婚約者選びの一環として、である。

 ある程度の課程をこなした時点で及第点をもらった令嬢が、王子の婚約者候補となることができるのだ。


 そして、その数名の令嬢の中から、クロエがスティーブの婚約者として選ばれた。

 クロエの成績が良かったこともあるが、スティーブがクロエを気に入ったのである。


 そのきっかけは、ある日、スティーブがクロエに何気なく尋ねた、この言葉だった。


「クロエ嬢、どうして君はそんなに頑張るんだい? 地位を得るということは、とても大変なことだ。君はそれを分かっているのか?」


 クロエは、スティーブから突然話しかけられたことに驚いたが、すぐに彼を労わるように優しく笑って、告げた。


「知っていますわ。だって、殿下が常に血の滲むような努力をなさっていることを、わたくしは存じ上げておりますもの」


 スティーブは、この言葉に衝撃を受けた様子だった。


 王族と結婚するということは、国と結婚すること。

 その意味を、クロエはしっかりと理解していた。

 王子妃という地位と権力、そして美麗な夫――他の令嬢が欲しているものとは違う、もっと高い位置まで、クロエにはきちんと見えていたのだ。


 スティーブは、クロエを王宮の中庭へと連れ出した。

 美しい花々が咲き乱れる庭園の中。

 花を愛で、二人の時間を楽しみ、笑い合いながら、ゆっくりと散策をする。


 スティーブは、ある花壇の前で立ち止まった。

 彼はエンゼルランプの花を一輪摘み取ると、クロエに差し出す。


「これから一生、命を賭して君を守ると約束する。クロエ嬢、私の婚約者になってくれないか?」


 クロエは、その花を嬉しそうに受け取った。


「はい。よろしくお願い致します。でも……」

「……何か、問題でもあるのか?」

「いいえ。殿下に守っていただくだけではなくて、わたくしにも殿下を、そしてこの国を守るお手伝いをさせてください」

「……!」


 スティーブは、空と同じ澄んだ青色の瞳を、大きく見開いた。

 その瞳は、すぐさま嬉しそうに、柔らかく細まった。


「――ありがとう。君を選んで、良かった」


 美しい、優しい青に、吸い込まれるようだった。


 このとき。

 クロエは、スティーブに、恋をしたのだ。


◇◆◇


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