最攻と最硬
ルクバトに飛び乗った【疾駆する紅弓】。
再び金属化していった【母なる守護】。
互いの蹄が霜の降る土を蹴り、一挙手一投足を伺う。
「これ、俺はどうすりゃ良いんだろうな。」
「私に、聞かれても...困り、ます。」
「だよなぁ。」
山の中を駆け出した精霊に、人間が追いつける筈も無く。【辿りそして逆らう】は帰って来たのだし、用がある訳でも無い。
しかし、迂闊に動いてさ巻き込まれそうで危うい。必然、【疾駆する紅弓】が戦いを引き離そうとしている、四穂の側が安全なのだ。
「ていうか、こんな所で何してたんだ?逃げねぇとやべぇだろ。」
「それ、君が言うかなぁ...ボクはもう動けないだけ。足の感覚とかは、もうほとんど消えちゃってるんだよね。」
「感覚って...毒か。」
三日目のカーチェイスの時。三成の腕が動かなくなっていたのを思い出し、【魅惑な死神】が近いことを確信する。
連れ去られた【積もる微力】もまた、近づいているという事。彼の特性上、数メートルの距離まで近づかねばならないが...それでも、前進には違いない。
「そういえば、そっちの子の精霊ってさ。ちょっとエッチな可愛い女の子じゃなかった?」
「あれは、あの時だけ。私は契約してない、です。」
「そうなんだ、残念。」
『主様...』
こんな時まで、と呆れた顔で振り返る【泡沫の人魚姫】。しかし、すぐにその顔を強ばらせ、盾状に展開した甲殻を四穂の前に構えた。
振り返る三人の前で、躍り出た【辿りそして逆らう】が渦を巻く。その小さな精霊に何かが当たり、一瞬の停滞の後に戻っていく。それは、濃紫の針。
「きやがった...!」
『潰して差し上げたのに...しつこいですわね。』
針は甲殻に弾かれたのだろう、悠々と歩みでる【魅惑な死神】は、冷静に、無機質に、此方を睨めつけている。
「くそが、今は精霊は居ねぇってのに!仁美!」
「守って、【辿りそして逆らう】!」
『キュルゥ〜!』
攻撃の気配に勘づいた健吾が叫べば、仁美もすぐに精霊に指示を送る。
尾を食んだ子竜の精霊は、その身を盾にして契約者を守る。しかし侮るなかれ、その小さな体は装甲車の突撃でさえ止め得るのだから。
叩き付けられた触肢も、そのエネルギーが発生元へと逆流していく。同じ力で逆方向へ流れるエネルギーは、触肢の動きを完全に止めて見せた。
「不思議な力ね...尾を咥えた蛇、ウロボロスって所かしら?永遠と再生の象徴...どう?合ってるかしら?」
「...知らない。」
「いけずね、貴女。」
精霊の後ろから現れた八千代に、四穂が苦い顔を浮かべる。常に全力、一生懸命をモットーにする四穂にとって、余裕と謎を演出し続ける八千代は、ハッキリ言って苦手だ。
そんな彼女の反応を面白がるように笑みを浮かべ、八千代は【魅惑な死神】を待機させる。彼女も毒を受けている筈なのに、と四穂が己との違いを内心で嘆く中、轟音が近づいて来た。
「ぜんっぜん役に立たねぇな、アンタの精霊!」
「いやぁ、頑張ってくれた方だと思うなぁ...」
『貴様ら、喋ってる間に避けろ!』『主様、後ろに!』
木陰から飛び出した猛牛に、槌状の甲殻が叩きつけられる。横殴りに振るわれたそれは、【母なる守護】の進路を逸らす事に成功する。
『えぇい、鬱陶しい!獅子も馬も魚も!皆で我を馬鹿にしおってからに!』
「俺関係なくね...?」
自分だろうと察した健吾がボソリと呟くが、それが逆鱗に触れたらしい。此方に振り向く精霊に、健吾は冷や汗が垂れるのを感じる。
チラリと周囲を確認すれど、誰も動かない。争う蠍と子竜、弓を番えて静止する狩人、甲殻を広く展開する人魚、それぞれの契約精霊を見守る人々。
「あ〜、っと。止まってくれたりは...」
『愚者が口を開くな。』
「そこまで!?」
迫る【母なる守護】だが、契約者もそばに居る訳ではなく、三日目の感覚も覚えている。【積もる微力】が居ない分、闘牛の意思は常に此方に突き刺さるものの、避け続ける事に専念すれば不可能では無い。
流石に自分の身長よりも高い、背中の上に登るのは無理でも。横に横に回り込み続ければ、旋回の苦手な【母なる守護】には対応出来る。問題は体力が持つかどうか。
「くそ、埒が明かねぇ...」
『息が上がっているぞ?それで喰らえ等良く言ったものだな。』
「いつの話を根に持ってんだよ、みみっちいな!?」
『そんなに潰されたいのか、小僧!』
反射的に健吾が叫ぶ内容に、激昂する雄牛は角を振り回す。低く下げられ、目の前を何度も過ぎる凶器に、健吾の精神の疲弊が進む。
猛攻により、遂にバランスを崩した健吾に、闘牛のが迫る。確実に入ると確信される、そんな瞬間。【母なる守護】の眉間に赤い光が突立った。
『生温いわ!手出し無用!』
『どんな頭蓋をしているのか...いや、契約の切れかかった我が原因か。』
色褪せても見える弓を再び引き、ルクバトを走らせる。案の定、興味が移ったのか、【母なる守護】は其方を追う。
不意打ちでもなければ、角で弾かれてしまう。肩より後ろを狙えば良いのだが、それでは大したダメージが見込めない。
首や眼球といった急所に狙いを絞り、チャンスを伺う。突進による単純な直線移動以外ならば、ルクバトの方が速く。この木が生い茂る山の中で、直線移動等無謀だ。
『しかし、終わりが見えないな...時間が無いと言うのに!』
四穂と【泡沫の人魚姫】は、毒と損傷から諦めている様だが、殆ど無傷と言える【疾駆する紅弓】はそうもいかない。
真樋に付けられた傷も殆ど癒えており、同時に何本もは厳しくとも弓も引ける。まだこのゲームを降りるには、あまりに早いと感じた。
『焦っているのか、賢人モドキめが。』
『なに?』
『無様だな、あれ程に傲慢に弓を番えておったのは誰だったか。』
『言われずとも理解している。』
『であろうな。故に我が、その焦燥から楽にしてやろうか?』
一瞬、意味を理解出来ずに眉を歪ませるが、折り返した雄牛を見て報復の宣言だと悟る。
屈辱には屈辱を。【母なる守護】にとって、見下ろされる事が耐え難い屈辱。では、【疾駆する紅弓】は?生真面目な彼の、精霊の屈辱ならば、考えるに易い。
『お嬢、防げぇ!』
『く、もうそんな体力は...!』
厚い盾状に展開し直した甲殻を、地面に突き立てたその瞬間、とんでもない衝撃が片腕にのしかかる。嫌な音と共に、腕がダラリとぶら下がる。肩が外れた様だ。
このまま押し潰される、その前に甲殻をバラし、四穂を尾で打ち払った。
「あぐっ!」
地面を転がった四穂に、堅い欠片が降った。見覚えのあるそれに、嫌な予感が胸を刺す。軋む身体に鞭打って顔を上げれば、土の上に落ち無防備な姿を晒す精霊。
カチ上げた頭を、ゆっくりと下ろしながら振り返った【母なる守護】は、鼻息も荒く地をけった。
『死に損ないめが...我の邪魔をしおってからに。』
「...せに。」
『む?』
「【泡沫の人魚姫】の事、何も知らない癖に!」
口から血を垂らす彼女の元へ這いより、抱きしめる。とても、とても小さな華奢な体。甲殻を失った彼女は、いつも前に出て守ってくれた精霊は、自分よりも小さいと思えるほどに細かった。
片腕を失った。下半身も鱗が剥げボロボロで。契約者の自分がこの有様では、力も出なかっただろう。骨も内蔵もグチャグチャなのか、上半身も有り得ない曲がり方をしている。
『ふん、泣くほどに悲しいのであれば、こんな前線に出るべきではない。逃げて逃げて、逃げ回り、弱者らしくいれば良い。』
『貴様の様にか?』
やっと逸れた注意。その隙を縫って放たれた矢が、【母なる守護】の片目を奪う。
咆哮して悶絶する精霊を前に、駿馬を駆る精霊が主に並び立った。
『...お嬢、聞こえているかは分からないが。我は貴女を尊敬する。』
薄らと目を開けたのが、視線を感じる力で伝わる。聞こえていたらしい。光栄だとでも、皮肉げに笑うのが瞼の裏に浮かんだ。
「ごめんね、ボクの相棒...ありがとう。」
『ある..ま、私はあ..と居れて、しあわ...た。』
頬に添えられた手は、とても冷たかった。握りしめても、握り返される力はあまりにも弱い。
四穂の胸に、冷たい痛みが走った。その瞬間、精霊の手が落ちる。光となり消えゆく、零れ落ちた手。それを取ることは出来ず、目に涙が溜まるのを感じた。
『フゥ〜...!貴様ァ、許サレンゾ!』
目を潰された【母なる守護】が、金属化しながら荒ぶっている。こうなると精霊を倒す事はまず不可能だ。
横に駆け出したルクバトの馬上から、二回続けて矢を放つ。おそらく鋼であろう表皮に、ほんの小さな傷をつけた矢が、地面に落ちて霧散する。
『厄介な...せめて身につけている金属を剥がせれば良いのだがな。』
もし九郎が契約者であったなら。目敏くそれを見つけ、射抜けと命じただろう。そして見つからない程の大きさの金属であれば、貫けたに違いない。
しかし、願えども無いものは無い。今すべきは、現状の手札で如何に戦うかである。眼球や口内まで、くまなく金属となった敵を、射抜く方法。
『そんなものある訳が無い、か。』
弓を背負い、手綱を両手で握った精霊が愛馬を駆けさせる。行うべきは殲滅ではなく防衛、ならばこのまま突き落とすのみ。
金属は重くはあるが、この落ち葉の積もった土の上ならば滑る。足場が危うい場所を選び、一方的に弓を射続ける。
『潰レロォ!』
『なにっ!?』
飛んできた木に、ルクバトは跳躍して回避する。突撃して来ないのであれば、此方の機動性を捨てる必要は一つもない。
すぐに場所を移し、全力で駆けながら弓を引く。突き立たない矢等、意にも介さずに【母なる守護】は猛進する。
『諦メィ!』
『断る...!』
僅かに横にずれ、回り込んだルクバトが横を蹴りあげる。鑪を踏む精霊に、引き絞った矢を連続で放つ。足りない。よろけた体が戻り
「だぁらあ!」
『ヌゥ!?』
きる前に、折れた木が突っ込んでくる。流石の質量に足が浮き、そのまま横倒れになった精霊に、ルクバトの後ろ蹴りが飛び出した。
踏ん張りの利かない金属の塊を、精霊の軍馬が蹴り出せばどうなるか。結論は目の前の光景、落ち葉の上を滑り落ちていく、である。
『ふぅ...助かったぞ、小僧。』
「あれ、ほっとくと、また、襲われ、かねない、からな!あぁ、腕いてぇ!」
投げられる大きさの物を【母なる守護】が選んだとはいえ、生木をそのまま担いで走った健吾は、息も絶え絶えにそう返す。
『残る脅威は...あれか。』
馬上から【魅惑な死神】を睨みつけ、狩人は弓に手をかけた。




