9.主婦、仲間になる
私たちは、確かに魔物を斃しに森へ行った。
そしてちょうどお誂え向きの小さな魔物に遭遇した、そこまでは良かったのだ。
問題はそこからだ。
想定より小さくて可愛い毛玉、もとい魔物にすっかり腰が引ける私。
最初怯えている様子だったのに何故か知った人を見つけたかの様に私に走り寄る毛……魔物。
ついつい抱きかかえる私。
呆れるメトロさん。
だって、フサフサのモフモフが自ら腕に飛び込んできたら、抱きしめたくもなるじゃない!
そして、一度抱っこしたら離れなくなった毛玉を連れて、私たちは帰宅したのだった。
毛玉は全体が白く、耳と尻尾の先だけ黒い。
見た目はネコ科の猛獣、虎やライオン辺りに似ている。
体長に対して足が大きいのが可愛い。
多分子供だ。顔がまだあどけない。
背中を撫でてやると、茶色い瞳をこちらに向けてゴロゴロと喉を鳴らした。
「もしかして、この子ただの猫なんじゃ」
「違うな。俺にはちゃんと牙を剥く」
それはメトロさんが怖い顔で睨んでるからではないでしょうか。
「魔力も持ってるぞ。ほら、唸るとヒゲに電気が走る」
メトロさんが手を近づけると、毛玉はフーッと背中の毛を逆立てた。
確かにパリパリとヒゲの辺りに小さく火花が散っている。
静電気の類にも見えるけど。
まあ猫だろうと魔物だろうと、連れて来てしまった事実は変わらない。
ずっと膝に乗せている訳にもいかないし、どうしたものか。
「この子、どうしたら良いですか?」
「俺に聞くなら捨てて来いとしか言わんが」
「えー」
「じゃあ、俺が今日の晩飯にしてやるからよこせ」
「それは無理です!」
「じゃあどうするんだ?」
私は無言でメトロさんを見つめる。
メトロさんは眉根を寄せた。
「またその目か。良いだろう、好きにしろ」
あら、今度はえらく諦めの良い事で。
溜息を一つ吐いたメトロさんは、ボソッと呟く。
「魔物に懐かれるなんて、まるで『魔王』だな」
『勇者』を目指しているのにまるで『魔王』だと言われた事よりも、その表情があまりに暗かった事に私は動揺した。
言葉だけならただの皮肉だと思えたのだけど、何か過去の記憶と繋がるものがあったのか、そこには憎悪にも似た感情がある。
そりゃ『勇者』にとって『魔王』は斃すべき存在だ。
とは言え、そこまで感情的になるほど『魔王』に対する何かがあったのだろうか。
親でも殺されたのかな。冗談じゃなくて。
毛玉をここに置く事でその感情を刺激してしまうなら、それは私の本意ではない。
「あの、やっぱりこの子、森に帰してきます」
私の声に我に返ったのか、メトロさんは顔を上げる。
「その必要はない。どうせまたお前の所に戻ってくるのがオチだろうしな」
言われてみればその通りです。
森からここに帰るまでに、一通りの事をやった結果がこれなんだし。
「晩飯の支度をしてくる」
「あ、手伝います」
「いや、そいつが邪魔しないようにそこにいてくれ」
「……はい」
しばらくすると、テーブルにご飯が並んだ。
いつもの肉と草のスープにカチカチのパン。
毛玉用に干し肉も用意してくれている辺り、やっぱりメトロさんは優しい。
「毛玉ー、お肉食べる?」
干し肉を毛玉の鼻先でヒラヒラさせると、毛玉はメトロさんを見て軽く唸る。
「心配するな、毒なんて入れてない」
自分の席につきながら苦笑するメトロさんの言葉に安心したのか、毛玉は肉を食べ始めた。
この子、人間の言う事は分かってるみたいだけど言葉は喋らないな。
まだ小さいからなのか、それとも喋れる魔物と喋れない魔物がいるのか。
どっちだろう。
そういえば、私がこの世界の人たちと喋れているのも不思議だ。
初めから普通に会話してたから全く気にしてなかったけど、日本語を喋りそうな人達じゃないのにな。
まあ、コミュニケーションが取れるに越した事はないから構わないか。
「毛玉、美味しい?」
私の問いかけにニャーと答えて、毛玉は再び肉をムシャムシャする作業に戻る。
「毛玉って、そいつの名前か?」
「そうです。考えるのめんどくさいし、もうこれで良いかなって」
メトロさんは、そうかとだけ言ってパンを齧った。
私もスープに手を伸ばす。
いつもの味だ。
何だか安心する。
私が一度何か作ってみようとしたら、これより更にとんでもなくマズイものが出来上がり、私は何もするなとメトロさんに言われたのだった。
元の世界では、食べられないほど不味いものが出来上がった事はなかった筈なんだけど。
やっぱり身体が縮んで他の色んなスキルも縮んでしまったに違いない。
食事が粗方片付いた頃、メトロさんが口を開いた。
「チカ」
「はい」
「俺の仲間にならないか?」
「はい?」
仲間って何だっけ?
メトロさんは食べ終わった皿を端に避けると手を組む。
「俺の仲間になって一緒に『魔王』を斃しに行く。そうすればお前の願いを叶えられる」
ああ、そうか。
メトロさんは『勇者』だから、私が仲間になって一緒に『魔王』を斃せば私が『勇者』にならなくても願いを叶えてもらえるって事か。
でも、願いを叶えられるのは『勇者』になって『魔王』を斃したら、だよね。
仲間には権利がないんじゃないの?
「それじゃあ、メトロさんの願いが叶えられないですよね?」
「俺は願いを叶えてもらうために『勇者』になった訳じゃない」
どういう意味?
「俺は『魔王』を斃せればそれで良いんだ。だから願いを叶えてもらう必要はない」
てっきりメトロさんにも何か叶えてもらいたい願いがあるんだと思っていたんだけど。
だから私を『勇者』にしたくなかったんだとばかり。
私が『魔王』を斃したらメトロさんの願いは叶えられなくなるから。
ポカンとしている私に、メトロさんは続けて言う。
「俺が『勇者』になったのは『破魔の剣』が必要だからだ。『魔王』を斃すためにな」
「どうして? やっぱり親でも殺されて敵討ちのため?」
「何だやっぱりって」
「違うの?」
メトロさんは呆れ顔だ。
「違うな」
「じゃあ何で」
「約束したんだ、俺が『勇者』になって『魔王』を斃すって」
「誰と?」
聞いてみてから、心当たりを思い出した。
「あの本を書いた人?」
「ああ、そうだ」
きっとその人が元の世界に戻る前にでも、その約束をしたって事なんだろう。
納得はしたけど、何か引っかかるような気がする。
それが何なのかはっきり分からないから、メトロさんに聞くこともできなかった。
「それよりお前だ。剣も握った事がない奴に『勇者』の認定試験はどう頑張っても通らないだろう」
「あ、はい。そうですね」
やっぱり認定試験とかあるのね。
誰でも『勇者』になれる訳がないわな。
「修行しても良いが、その様子じゃ何年かかるか分からんからな。俺の仲間として同行すれば、俺の願いとしてお前の願いを叶えてやれる」
「でもそれって、お荷物抱えて『魔王』斃しに行くようなものなんじゃ?」
「そんな事はない」
メトロさんはそこで、ちらりと毛玉を見た。
「お前には魔物に好かれる何かがあるらしい。一緒に行けば、魔物と不必要に戦って消耗する心配がなくなる。俺にとっても好都合なんだ」
そうか。
それなら私も無理して魔物と戦わずに済むし、時間をかけて『勇者』になる手間も省ける。
「どうする?」
「なります、仲間!」
そうと決まれば、後は王様の所に仲間の申告をしに行くだけだ。
王城のある王都へは、町から馬車で七日ほどかかるらしい。
歩いて行くには遠いので、町で色々準備する事になった。
町にまた行ける事が、正直嬉しい。
町の人たちに温かく迎えられるのもだけど、物理的に暖かいから。
新しい服を買ってもらっても、やっぱりここは寒かった。
歩いて半日しか離れていないのだから、場所の問題じゃない筈なんだけど。
毛玉を湯たんぽ代わりに抱き締めて、私は忙しくなりそうな翌日以降に想いを馳せながら眠った。




