6.主婦、勇者を見る
案内された部屋は、狭いながらも綺麗に整えられていた。
当然ベッドは一つ。
「心配するな、俺は床で寝るから」
うん、心配してたよ。絶対そう言うと思った。
「ジュリアさん、私すごく寝相悪くて一緒に寝るとお父さんを蹴っ飛ばしちゃうから、もう一組お布団用意してもらえないですか?」
「あら、お父さん思いねえチカちゃん。良いわよう、お布団もう一つ持ってくるから安心してね」
はい、これで解決。
子供産んでから図太くなった主婦なめんなよ。
その日の夜、テオ達に誘われて晩ご飯をご馳走になることにした。
ジュリアの手料理だそうだ。
家事とかしませんよ的な顔をしてるのに、私より余程スペックが高いらしい。
客人に料理を振る舞うなんて、私には到底できない芸当だ。
メトロさんは何度かジュリアの料理を食べた事があるらしく「俺が作る飯よりずっと美味い」などとおっしゃっていた。
まあ、あれより下は中々ないよね。
こっちに来てからまともに料理もした事ない私が言うなって感じだけど。
呼ばれた時間まで少しあるので、店でのやり取りで気になっていた事を聞いてみる。
「メトロさん、しょうぎょくって何?」
袋の中のお金を数えながら何を買うか算段していたらしいメトロさんが顔を上げた。
おもむろに腰に下げている袋から筒状のものを取り出す。
蓋を開けると中から三つのビー玉が転がり出た。
「魔力を封じ込める玉だ。こっちが空、こっちは魔力が入ってる」
空の方は無色透明、魔力が入っている方は黒い煙のようなものが中でゆらゆら動いている。
どんな仕組みかは、見ただけでは全く見当もつかない。多分教えられても分からないと思う。
「魔力って何?」
「魔物が持ってる力の事だ。人間にも魔力を持つ奴はいるが少ないな」
へえ、と言いつつ手を伸ばすと、メトロさんは手を引っ込めた。
「子供が触るにはまだ早い」
「え、どういう事」
「さて、そろそろ時間だ。行くぞ」
はぐらかされた。
子供にはまだ早いってどう言う意味よ。てか中身は大人だから問題ないですし。
なんて言っても多分何も教えてはくれないだろうな。
晶玉とお金を片付けて立ち上がったメトロさんに私も続く。
テオの店の二階に行くと、親子ゲンカの真っ最中だった。
「ちょっと待ちなさいよジャン!」
「うっせーババア!」
「ババアって何よ年上には敬意を表す!」
「ババアにババアって言って何が悪い!」
これが噂の反抗期息子か。
あー、うちの息子も将来うっせーババアとか言っちゃうのかなあ……
しかし、ドアの向こうでこう派手にされちゃ入り辛い。
メトロさんも固まっちゃってるし。
「メトロさんにもこんな頃あった?」
「え? いや、これ程酷くはなかった、筈だ」
「じゃあちょっとはあったんだ」
「ま、まあ。って大人をからかうな」
この町に来てからメトロさんの新たな面が沢山見れて非常に嬉しい。
廃村じゃ中々会話の糸口を見つけられなかったんだよね。
睨んでくるのもご褒美です。
「とにかく半端ものと一緒に飯なんて食いたくねんだよ!」
おや、また半端もののお話?
ニコルの事だろうけど、これはもしやあれか?
勢い良くドアが開き、威勢良く少年が飛び出してきた。
金髪でジュリアにどことなく似たその少年は、危うく私にぶつかるところで立ち止まる。
「大丈夫か? ぶつからなかった?」
私を心配してくれてるところを見ると、根は良い子らしい。
可愛いと思うと同時に、おばちゃんは少し意地悪をしたくなりました。
「お兄さん、ニコルちゃんの事好きなの?」
ほら、やはり真っ赤になりましたよ。
思春期の男の子は可愛いのう。
「ちょ、違うし! そんなんじゃねえし!」
耳まで赤くなって否定の言葉を叫ばれてもねえ。
ニヤニヤが止まらないわおばちゃん。
その後ろからジュリアが顔を覗かせる。
「あらチカちゃんにメトロさん。ごめんなさいねえ、煩くて。チカちゃん、こいつはジャン、私の息子よ」
「チカです、よろしく」
「……よろしく」
「ジャン、今日はお客さんも一緒なんだから、逃げるんじゃないわよ」
「……分かったよ」
溜息をついたジャン少年は、ちらりとこちらを見る。
「さっきの、母さんにだけは絶対言うなよ」
まあ、聞こえてると思いますけどね。
その後の夕食会は終始和やかに行われた。
ジュリアさんの料理はこちらに来てから初めて満足できたし、約一名を除くみんなが私たちを歓迎してくれた。
そして矢張りテオとジュリアは夫婦だそうだ。
ニコルは元々私たちが今住んでいる廃村の住人で、村が襲われた際メトロさんに助けられてここに来たらしい。
それからテオの店で手伝いとして働いているという事だ。
かれこれ六年になるという。
今ニコルは十六歳だそうなので、村がああなったのは彼女が十歳の頃の話だ。苦労したんだろうな。
半端ものの意味を知りたかったが聞ける雰囲気ではないので自重した。
食事にもお喋りにも満足したところでその夜はお開きとなり、私たちは部屋に戻ってそのまま寝た。
次の日は市で肉や干した草や日持ちのする果物などを買い込み、荷車が粗方埋まった。
昼から時間が空いたので、メトロさんは私をジュリアのところに連れて行った。
「済まないが頼まれてくれないか。俺には女の子の服は分からないから。これで買えるだけ買ってやってほしい。貴女の好みで構わないから」
残ったお金を全て差し出して、メトロさんは頭を下げる。
ジュリアは笑って首を振った。
「メトロさんの頼みなら断れないわよう。それに、女の子の服選びって楽しくて好きなの。ニコルは私には選ばせてくれなくてねえ。ああ楽しみだわあ。行きましょうチカちゃん」
そうして私は町に連れ出され、日が暮れるまで着せ替え人形にされたのだった。
その夜も食事に呼ばれた。今夜はジュリアが夜まで出かけていたためニコルが作ったそうだ。
「ジュリアさんに比べたらまだまだ」なんて言っていたけど、こちらもすごく美味しかった。
ニコルは将来良いお嫁さんになりそうだ。
恥ずかしがり屋で控え目なのを軽々カバーする容貌と料理の腕があるんだから、ちゃんと捕まえとかないと誰かに掻っ攫われそうだけど、果たしてジャンは大丈夫かしら。
次の朝、夜が明けきらない内に起き出して帰り支度をしていた私たちは、けたたましい鐘の音を聞いた。
メトロさんがやにわに立ち上がる。
「チカはここで支度を続けてくれ」
そう言い残して、私に質問の余地も与えずメトロさんは部屋を後にした。
鐘の音はまだ続いている。町に何か緊急事態が起きた事は明白だ。
帰り支度は大方終わっているし、メトロさんがどこに行ったのかも気になる。
これは行ってみるしかないでしょう。
私は荷物をそのままに宿を後にした。
テオの店は森に最も近い見張り台の側にある。
鐘の音は見張り台からしていた。
柵の内側なので何かが来ても心配いらないと夕飯をいただいた時に言われている。
それでも客は避難しているのだろう、人の気配がなかった。
この音、消防車なんかのサイレンと同じく人の耳に不快な音質なのか、聞いていると無性に胸がざわつく。
少しイライラしてくるのを抑えつつ見張り台まで辿り着いて辺りを見回すと、柵の向こうに何かが見えた。
近づいて柵の隙間から顔を覗かせる。
メトロさんだ。
いや、彼だけじゃない。
その向こうに何かいる。
犬が三匹? いや、あれは犬じゃない。
体高は人の背丈ほどもあるし、爪も牙も今まで見た事のある実在の生き物のどれよりも鋭い。
何より。
「人間風情が。下等な生き物のくせに我等魔物に牙を剥くか」
牙を剥いてるのあんた達だよね。
じゃなくて。
あれが魔物か。
あんな大きくて怖そうなの三匹も目の前にして、メトロさん一体どうするつもりなの。
私の心配をよそに、メトロさんは口端に笑みさえ見せている。
「この町には世話になっているんだ。お前達に踏み込まれたくない。中に連れもいるしな」
「面白い。ではお前が斃れればこの町を自由にできるのだな」
「違うな。俺はここで倒れたりはしない」
メトロさんは、晶玉が入った筒を取り出し握り締めた。
手元から黒い煙が上がって剣の形を成す。
それはまるで呪いの剣のように禍々しく煌めいていた。
剣を構えることもせず、彼は魔物に向かって足を踏み出す。
その目が赤黒く見えたのは気のせいだろうか。
そこからは速かった。
左の一匹の首が胴体から離れ、地面に落ちるより先に真ん中の一匹の首が飛ぶ。最後の一匹もそちらに向き直ると同時に首を落とされた。
ポカンと眺めているしかない私を、彼は振り返る。
心臓が掴まれたかと思った。
その目は人間のものに見えない。
たった今彼自身が斃した魔物に似た、いや、そのもののようだった。
「チカ……?」
次の瞬間には剣は搔き消え、その目も普段と変わらなくなっていた。
いつものメトロさん、だよね。
私が何か言うよりも早く、メトロさんは私の方へ歩み寄りながら口を開く。
「部屋にいろと言っただろう」
「あ、いや、ごめんなさい」
正確には宿を出る支度をしてろと言われたとか答えられる雰囲気じゃない。
「俺でも斃せる奴等だったから良かったものの、そうじゃなければ俺の次に獲物になってたんだぞ」
「はい……」
こんな剣幕のメトロさん初めてだ。
色んな意味でびっくりしてちょっと泣きそう。
「まあまあメトロさん、そんなに怒らなくても。ほらチカちゃん泣きそうよお」
背後からやんわり抱き締められる。
昨日買い物の際散々抱きつかれて感触は覚えた。ジュリアだ。
見るとテオと一緒に店から出てきたらしい。
「まあ『勇者』様が魔物に敗ける訳ないですからな。チカちゃんもその辺知ってて安心してたんじゃないですかい?」
いえ、知りませんでした。
てか、『勇者』様って何?
メトロさん『勇者』だったの?
知らなかったの私だけ!?
メトロさんを見ると目が泳いでる。
その辺の事、後できっちり聞かせていただきましょうか。
「本当にメトロさんが町にいてくれた時で助かりました。あの三匹の分は後で精算しておきますね。晶玉も換金しておきますかい?」
「いや、これはまたで良い」
また分からないやり取りが出てきましたよ。
帰りの道中でしっかり説明していただきましょう。
そうして、荷支度を整えた私たちは町を後にしたのだった。
異世界にも美味しいものはあるようで一安心ですね。




