52.主婦、迫られる
何とか風呂には辿り着けた。
ニコルが蚊の鳴くような声を絞り出して場所を教えてくれたから。
ばら撒かれた媚薬は、ニコルを抱えてきた私の服にまで香りが移っちゃってる。
体を洗ったところで、同じ服を着れば再び同じ香りを身に纏う羽目になるな。
そこは気がきくアル辺りが、多分新しい服を持ってきたりしてくれるだろう。
うん、多分。
脱衣室を通り過ぎて、湯船から少し離れた洗い場の前に立った。
ニコルの服を脱がして、自分も服を脱ぐと、服は手近の桶に湯を張って突っ込んどく。
後でしっかり洗っておこう。
たっぷり湯をすくって、まずニコルの頭からかけた。
少し熱い気がするお湯は、香りを一気に取り払ってなんかくれない。
自分も一度湯をかぶってから、石鹸でニコルを頭のてっぺんから足の先まで手でゴシゴシ洗ってやる。
この風呂場が広くて良かった。
あったまった空気はそのままに、エキゾチックな香りだけ薄まっていく。
更に石鹸が香りを上書きしてくれた。
私の身体を洗ってからもう一回ニコルを洗ったところで、ニコルが顔を上げた。
香りが飛んで、元気になってくれたんだろうか。
あ、違う。
すごく申し訳なさそうな顔だ。
「ごめんなさい」
「何が?」
「その、色々迷惑をかけてしまって」
どの辺がどう迷惑だって思ったのか知らないけど、私は別に何も迷惑してない。
すごく心配はしたけどね。
ニコルは私が言葉を返すのを待たずに言った。
「私、誤解してました。人間は魔物より弱い存在なんだって。魔物と人間が闘ったら人間は絶対に勝てないから、魔物の血を半分でも持ってる混血は、人間より強いって」
再びガックリうなだれたニコルは、小さく息を吐く。
「でも、違ったんです。ずっと昔から魔物の獲物だった人間が、もし魔物より弱かったら、今こんなに繁栄してないですもんね」
何かを諦めたような表情だった。
そんな顔見てると、こっちまで胸が痛む。
「チカさんが魔物の国にいる間に、私はルードさんに許可をもらって、混血の解放運動を始めたんです。私たちは人間に虐げられる必要はないって思ったから。でも、今日分かりました。人間に勝てない私たち混血は、虐げられるべくして虐げられていたんですよ」
「それは違う」
思わず、傷はないけど痛々しいニコルを抱き寄せた。
ニコルは一瞬ビクッとしたものの、私に体を預けてくれる。
今までも何度か感じはしたけど、こっちの世界でも人間は変わらないもんだな。
自分たちとちょっとでも違う存在を見つけては、無理矢理にでも自分たちより下に見る。
「ニコルたちは虐げられるべきじゃない。虐げられても問題ないのは、あのクズみたいな奴らの方だよ」
ニコルがあったかい。
湯船に浸かってないから冷えたんだろう。
冷たくなった青い髪を軽く撫でてやると、ニコルは私の背中に手を回してきた。
「ありがとうございます。チカさんがきてくれて良かった」
「うんうん、私もニコルが無事で何より。さ、冷えてきたからお湯に浸かろう」
と言った筈だけど、ニコルは動かない。
「ニコル?」
「チカさん」
どうした?
「身体が熱いんです」
ん?
冷えて風邪引いた?
いやいや、風邪引いて熱が出たなら寒い筈だよな。
大体、くっついてる体温を感じる限り熱はないみたいだし。
「さっきから、何だかおかしくて」
ニコルが顔を上げた。
赤くなって目も潤んでる。
息も荒くなってるし、一体何事……
……あ、媚薬。
今まで何の違和感もなく使ってた言葉だけど、あいつら媚薬って言ってたよな。
それって、こういうことか。
「チカさんにこうして触れてもらってるだけで、私」
ヤバイ。
ヤバイです、これはヤバイですよ!
何がヤバイって、これ浮気になるんじゃない!?
それとも、ここ元の世界じゃないからノーカン!?
待て待てそうじゃない。
何とかニコルを落ち着けないと、このまま暴走されたら困る。
娘だと思ってた子から迫られるとか、大人の事情が許してくれませんから!
「ニコル、ちょっと落ち着いて」
「チカさん、私」
待って!
ちょっと待って!
首に腕絡めて切なそうにこっちを見るのやめて!
「ニコル、とりあえず湯船に入ろ。ね」
「入ったら、キスして良いですか」
ダメに決まってんだろ!
とか言ったら絶対またあり得ないほど落ち込むんでしょうねこの子は。
ああ、どうしよう。
迂闊だった。
こうなったのも、全部あいつらのせいだ。
あのクズどもめ、玉切り落とした位じゃ済まさないからな。
頭の中で奴らをギタギタにしている間にも、ニコルは豊満な胸を私に押し付け、とろんとした表情でこちらを見つめている。
そんな顔されても、私にはどうすることもできません!
何て言ったらニコルを傷つけずに引き剥がせるかなあ。
「ま、まあ、湯船に入ってから考えようか」
半ばニコルを引きずりながら、私は無駄にでかい浴槽の縁にたどり着く。
「危ないから、ちょっと離れようか」
「嫌です」
「え、こけちゃったら危ないでしょ」
「このままが良いです」
参ったな。
このままじゃ助けも呼べない。
「チカさん」
「は、はい」
「会いたかったです」
うん、私も会いたかったけど、こんな状況で会いたかった訳じゃないのよ。
もうちょっと健全に、服は着たままで再開を喜びたかったなあ!
「チカさん」
名前連呼するのやめて。
それ以上顔を近づけないでください!
待って、待って!
誰か助けて!
「チカしゃああああん!」
ん?
「あたしも一緒にお風呂入るううう!」
次の瞬間、私とニコルはスッポンポンの毛玉にタックルされ、三人揃って湯船に沈んだ。




