5.主婦、町へ行く
この世界の衣服は着心地が悪い。
この世界の食事は質素だ。
この世界の家は寒い。
現代日本というぬるま湯の中で35年の間暮らしていた私には、この世界の衣食住全てが満足のいかないものだった。
仕方ないのは分かってる。
メトロさんのせいじゃない事も分かってる。
だから文句は言えないけど、ちょっとくらい愚痴らせてくれても良いじゃないの。
だって毎日カッチカチの味のしないパンに草を煮ただけのスープですよ。
白いご飯が食べたいよー!
今も寒くて目が覚めて、ゴワゴワの布をすっぽりかぶって半泣きの私である。
私たちが暮らしているのは、森にほど近い小さな村の跡だ。
随分前に魔物に襲われて壊滅したらしい。
村中が荒らされていたが幸いにも無傷の家があったため、メトロさんはここに住み着いたそうだ。
メトロさん、魔物が出る森の中に入っていたりこんな所に住んでいたり、かなり訳ありっぽいんだけども。
衣食住の用意をしてくれているのはメトロさんだし、何より入江大樹に似てるしどこから見ても悪い人じゃなさそうなのに、どうしてこんな所に一人でいたんだろう。
興味は尽きないものの、追求して追い出されても嫌なので黙ってここの生活スタイルを学ぶ事一週間。
私は帰りたいと切に願っていた。
あったかい部屋で柔軟剤の効いた服に包まれて、美味しいご飯を食べて……
あ、ホントに涙が出てきた。
少し歪んだ視界に動くものが映る。
メトロさんを起こしてしまったらしい。
「どうした、眠れないのか?」
「いや、寒くて……」
「こっちに来て一緒に寝るか? それとも俺がそっちに行くか?」
「いえ、どっちも遠慮します」
どうもこの人は私を完全に子供扱いしてる気がする。
子供扱いも何も見た目は子供以外の何者でもないんだけど、中身はおばさんですからね。
メトロさんは27歳と言っていたから、私の方がホントは8つも歳上なんですよ。
さん付けも本来おかしいんですよ。
メトロさんはそんなどうでも良い事を考えていた私に近付いて、優しく頭を撫でた。
いくら好きな俳優に似た男前でも、一週間も一緒に暮らせば慣れるものだ。
もう話しかけられても触れられても動揺なんかしない。
頭を撫でられるのは単純に嬉しいけど。
「準備ができたから明日には町に行ける。そうすれば今より良い食事も暖かい服も手に入るから。今日はもう寝よう、な」
彼はこの一週間、町に私を連れて行くための準備をしていたのだ。
ここから町までは歩いて半日ほどかかる。
裸足で行くには遠いから獣の皮を舐めして履き物を作ったり、道中寒くないように毛皮を羽織りものに加工したり。
他にも森へ行くからと何度か留守番させられた日もある。
毛皮の加工は私も手伝ったが何故か使い物にならない物体が出来上がり、逆に手間がかかる事になってしまった。
元の世界にいた頃はボタン付けくらいなら楽勝だった筈なのに、手足が縮んで器用さのスキルも縮んでしまったらしい。
はい言い訳です、すみません。
「寝ます。おやすみなさい」
「ああ、お休み」
寝ていた場所に戻るメトロさんを目で追いながら横になる。
この寝床も譲ってくれたもので、メトロさんは今草を敷き詰めた上に布を敷いて休んでいる。
つくづく良い人だな、この人。
そう思って目を閉じた。
ーーーーー
次の日、早朝から起き出して腹ごしらえを済ませると、私たちは町へ向けて出発した。
メトロさんは私が3人は乗れそうな荷車をガラガラ引っ張っている。
疲れたら乗って良いそうだ。帰りは荷物がいっぱいになるから乗れないらしい。
食料と私の服を買うと言っていたけれど、どれだけ買い込んだらいっぱいになるんだろう。
というか、そんなに買えるお金持ってらっしゃったのね。
荷車は馬が引けるような構造だ。残念ながら馬を飼ってないのでメトロさんが引っ張っている。
私はその横を付いて行くだけだ。
それでも二時間もすればバテてきて、あと少しで着くという所で動けなくなった。
仕方がないので荷車に乗せられて舗装されていない道を行く。
メトロさんも疲れてるだろうにと思ったのだけど、この世界の事を説明してくれた時より余程楽そうだった。
多分あれこれ考えるより何も考えずに体を動かす方が性に合ってるんだろう。
「着いたぞ、あそこだ」
指された方に目をやると、木で作られた枠、おそらく門が見えた。
門番なのか兜と鎧をつけた人が二人立っている。
町の周囲は魔物避けのため、ぐるっと柵で覆われているようだ。
そんなに大きな町ではないのだろう事は、門構えから簡単に想像できた。
それでも廃村より全然マシだろうけど。
「検問があるから、少し待っててくれ」
メトロさんはそう言うと、少し離れた所に私ごと荷車を置いて二人の方に行ってしまった。
懐から何やら取り出して門番たちとやり取りしている。当然何も聞こえないし門番たちの表情も良く見えない。
身分証の提示だろうか、この世界の身分証ってどんなものだろう。運転免許やパスポートみたいのがあるのかな。
あ、こっち見た。私の事を話してるのか。
何て言ってるんだろう、とりあえず手を振ってみるか。
門番の一人が手を振り返してくれた。
程なくしてメトロさんはこちらに戻ってきた。
「入るぞ」
門をくぐる。
通りすがりに門番二人にまた手を振ると、今度は二人とも振り返してくれた。
自分の中身がだんだん外見相当になって行ってる気がするが、多分気のせいだろう。
町は小さいながら活気にあふれていた。
今日から三日間、市が立っているそうだ。
客引きを軽くあしらいながら、メトロさんは市を突っ切って行く。
どうやら目的があるらしい。
市が途切れる所まで進んで右側の路地に入ると、そこに何やら小ぢんまりとしたお店があった。
メトロさんは私を荷車から抱き降ろすとそのドアを開ける。
「やあ、いらっしゃい」
「メトロさん! 久し振りねえ!」
そこにいたのは恰幅の良い中年の男性と、若い女性、あと奥の方にもう一人いるようだ。
顔馴染みなんだろう、メトロさんも「しばらくだな」と挨拶している。
「あら、この子は? 可愛いわねえ、メトロさんのお子さん?」
「え、いや……」
グイグイくる金髪のお姉さんに、メトロさんは引き気味だ。
こういうタイプ苦手そうだもんね。
答えられないままのメトロさんを放っておいて、お姉さんは私に向き直る。
「お名前は? あ、お姉さんはジュリア。お名前言えるかな?」
満面の笑みだ。
ちゃんと私の目線までしゃがんで対応してるところを見ると、子供の相手には慣れてるようだ。
私は自分が子供を産んでからその辺にいる子供もえらく可愛く見えるようになったけど、もしかしてこの人も子供いるのかな。
「私はチカ」
「チカ! 可愛い名前ねえ。年は幾つ? 分かるかな、何歳? 五歳、六歳?」
「十歳です」
「そうなの!? もっと小さいかと思った! やだわあメトロさんったらこんな歳のお子さんいたのねえ。可愛い〜!」
完全にメトロさんの子供だと思われてるし。
しかし私実は五、六歳に見えてたの?
十歳の時に戻りたいと願ってこの身体になったのだと思って十歳くらいの感覚でいたけど、実はもっと小さかったって事?
そりゃメトロさんも必要以上に子供扱いする訳だ。
メトロさんにもちゃんと十歳って言った筈だけど、信じてなかったとかそんな所か。
「ようこそテオの店へ! このおじさんが店主のテオドール。で、あっちの奥にいるのがニコルねえ。ニコル、こっちきて挨拶なさいな」
奥にいた人物が出てくる。
イスラムの女性のように頭に布を巻いた少女だ。
透き通るような肌と吸い込まれるような青い瞳の美少女。
「こ、こんにちは。ニコルです」
「こんにちは、チカです」
私がその美しさに見とれる暇もなく、ぺこりと頭を下げたニコルは奥に引っ込んで行った。
「ごめんなさいねえ、あの子人見知りで。歳も近いみたいだし、仲良くしてやってね。しかしあの子もうちょっと愛想ってものを知った方が良いと思うわよう。半端ものなんだから」
「これ、ジュリア」
テオに窘められ、ジュリアは首を竦める。
半端ものって何だろう。
良い言葉じゃないようだけど。
「気にしないでねえ、チカ。それにしても可愛いわあ。うちの子なんてもう反抗期真っ盛りでえ」
こちらも思っていたよりお年を召しているようで。
もしかしてテオとジュリアは夫婦なのかな。
頭を撫でられたりほっぺプニプニされている私を気の毒そうに眺めていたメトロさんは、ふと我に返って懐から何やら小さな袋を取り出した。
「今回の分だ。ついでに二泊したいんだが、部屋はあるか?」
「はい、毎度。市が立つ日は宿はいっぱいなんですが、旦那のことだからいらっしゃると思って部屋は押さえてますよ。お嬢さんとご一緒でよろしいですかい?」
「ああ、構わない」
テオは受け取った袋の中身を手に出す。
ビー玉のような小さな玉が三つ転がり出た。
「三つですな。少しお待ちください」
言うと、カウンターの向こうでしばらくゴソゴソしてから戻ってきた。
先程の袋の中身がパンパンになっている。
「こちらに入れておきますよ。宿代は引いておきましたんで」
「ああ、ありがとう」
「こちらこそ、毎度ありがとうございます」
何だろう、あのビー玉。
お金に換えられるみたいだけど、何がどう特別なんだろう。
しげしげとやり取りを見ていた私に気づき、テオはにっこり笑う。
「チカちゃん、お父さん今回も晶玉をたくさん持ってきてくれたからお金持ちだよ。お小遣いいっぱいもらえると良いね」
メトロさんをちらりと見ると、お父さんという言葉に困惑気味のようだ。
はじめに否定しないからそんな事になるんですよ。
面白いから放っておこう。
私は笑顔で返す。
「お父さんにお小遣いいっぱいもらうね!」
ギョッとしたメトロさんの顔はとても良かった。
こうしてお金を無事手に入れた私たちは、今日は宿でゆっくりして明日から買い物をすることになったのだった。
町へ行くまでの一週間、主婦は家事をしていません。
何故かって?
便利家電とお惣菜に頼りきりのポンコツ主婦だからです。




