40.主婦、告白する
「何しようとしてた!」
「話をしようとしていただけだ」
「あんなに近寄らなくても話はできるだろうが! ホント、戻って来て良かった」
「どうしてわざわざ戻って来たんだ。やる事は沢山あるだろう」
「あんたが変な事してないか気になったからだろうよ!」
ギャアギャアと言い合う二人を、私はぼんやりと眺めていた。
『魔王』が伝えたい事って何だろう。
雑記を読めば分かる事なら、そう言う筈だよな。
そもそも、私に色々伝えようとする動機が分からない。
彼自身は『勇者』が自分を斃しに来なくて退屈だとか言っていたけど、雑記を読む限りふざけた理由で『魔王』をしているようには思えないし。
そういえば、私が死にかけてた時の水晶玉の映像で、ルードと何やら話してたな。
「だからここに連れて来た」とか何とか。
ルードは多分、初めから私を『魔王』に託すつもりだったんだろう。
それを『魔王』に伝えるために、わざわざついて来たのか、ご苦労な事だ。
確か「メトロが魔力を手に入れた」とも言ってたよな。
でも『魔王』にこの程度で斃せるかって怒られてた。
私みたいなへっぽこ異世界人の魔力を手に入れたところで、『魔王』に敵う訳がないんだろう。
それで、ルードは私を鍛えようと思った、のか?
うーん、でもどうして『魔王』は自分を斃そうとする人間を鍛える必要があるの?
私にも、自分を斃す気があるなら協力する的な事言ってたし。
自殺願望でもあるのか、『魔王』のくせに。
そもそも『魔王』って何だ?
魔物の長?
それって、元人間でもなれるものなの?
私がそんな事をとりとめなく考えている間にも、二人の不毛な言い合いは続いていた。
「後継候補って、もしやこの子との子供に跡目を継がせるとか、そういう意味じゃないでしょうね」
「ああ、それは良い考えだ。『魔王』と『勇者』の子供なんて最強じゃないか。ペンタクル、お前頭良いな」
「え、冗談ですよね。本気でそんな事考えてないですよね!」
「実際妙案だ。そんな事を思いつくお前は天才だな、いや変態か?」
「エロ親父に変態って言われた!」
その内容は、いつの間にやら私にとって不穏なものに変貌していた。
ただ見守っていたら貞操が危うい。
私はおずおずと挙手をした。
「あのー」
二人がこちらを向く。
「私、こんなでも一応元の年齢三十五だし、元の世界に夫と子供いるし。メトロさんさえ蘇らせる事ができれば、元の世界に戻りたいと思ってて」
あれ、静まり返っちゃった。
え、二人ともまさかのドン引き?
どの辺が?
私が三十五だったとこ?
それとも夫と子供がいるとこ?
冷や汗が頰を伝うのが分かった。
どうしよう、この空気をどうにかする言葉が思い浮かばない。
挙がっていた手をゆるゆると下ろして、私はその場に正座し直す。
とりあえず謝ろう。
「ご、ごめんなさい」
下げた頭を少し上げてちらりと見ても、二人はまだ固まったままだ。
再び視線を落とし、私は次にどうすれば良いかを必死で考えた。
しかし思考は完全に空回っている。
考えあぐねている内に、『魔王』がボソッと呟いた。
「そうか」
顔を上げると、居住まいを正した二人が目に入る。
「悪かった。元の世界に戻るなど考えた事もなかった。私には、愛しい人も未練が生まれる状況もなかったからな」
『魔王』も私と同じ異世界人でしょうよ。
本当に、元の世界への未練はなかったと言うつもり?
今の日本がどうなってるかを聞きたがったりしたくせに。
口をへの字にした私にお構いなく、『魔王』は何故か眉間に皺を寄せていた。
「お前がこちらに来た時の状況を教えてくれないか」
何で? という言葉は飲み込む。
それ程真剣に、『魔王』はこちらを見ていた。
「ええと、就職情報を見てて、その中に異世界で働いてみませんかって募集があったから、応募したらこっちに来てたんだけど」
自分で説明してて、そんな仕事ありえねーと思う。
そして、そのありえねー仕事に募集してしまった自分を馬鹿だなあと思う。
『勇者』の肩書きはあるけど、結局全然働いてないし、果たしてあの募集に意味はあったんだろうか。
「特定の相手を召喚するのでなければ、その方法は効率的かも知れないな。しかし、元の世界に戻りたいと言うような人間が召喚されるとは思えない。元の世界で何か、ここにはいたくないと強く思う事がなかったか?」
そんな事を聞かれても、気楽な専業主婦にそこまで現実が嫌になる事なんてそうそう……
あー。
そういえば、あの数日前に市役所でもらった緑の紙。
些細な事でブチ切れた私が、衝動的にもらって来たんだった。
窓口のお姉さんは、やたら親切に色々教えてくれたっけ。
苗字が変わるか否か、子供の親権をどちらにするか、住所の変更はどうか、それによって書く内容が変わるとか何とか。
後々トラブルにならないための話し合い方とかが書かれた紙も、一緒に封筒に入ってたな。
もちろん出すつもりはない。
まあ、もらった時は出す気満々だったけど、数日経って、出さないでいようと思えるくらいには落ち着いたんだ。
こっちに来て数週間経って、そんな出来事があったという事も忘れかけていた。
いや、考えないようにしてただけか。
どっちにしろ、もう自分の中では解決したつもりの問題だった。
ちなみに白紙のまま、結局夫に見せる事もなかったそれは、私の下着が入った引き出しに仕舞い込まれている。
微妙な反応の私に、『魔王』は怪訝そうに眉を寄せていた。
私は苦笑してみせる。
「あると言えば、あるような。ないと言えば、ないような」
その返答に『魔王』は一度目を伏せ、少し険しさを増した視線を私に戻した。
「もしかすると」
『魔王』は言いかけて首を振る。
次に彼が口にした言葉は、私にとっては朗報だった。
「元の世界に戻る方法に、心当たりがなくもない。だがその前に、私に力を貸してくれないか」
そんな事で元の世界に戻れるなら、いくらでも力を貸しますけど。
「何をすれば良いの?」
「ルドルフは」
分かった!
ルードはやっぱり黒幕だったんだ!
ルードに『魔王』と『勇者』のアホなシステムをやめさせれば良いのね!
「魔物と人間が互いに牙を剥く現状を変えたがっている」
あ、れ?
違った。
「私がそれを知ったのは『魔王』になった後だ。私は自ら『魔王』を辞める事は出来ない。だから、お前に私を斃してほしい」
言ってる事が良く分からないんですけど。
魔物と人間が敵対しないために、どうして『魔王』が斃される必要があるの?
ルードと『魔王』が和解すれば良いだけの話じゃないの?
「『魔王』が不在である必要があるんだ。彼女を引っ張り出すには」
「彼女?」
誰?
『魔王』は自嘲するように笑った。
「『魔王』の後ろに立つ者だ。私を操る黒幕だよ」




