39.主婦、愚痴を聞かされる
ひとしきり後悔して、涙が止まるくらいには落ち着いた頃に、ペンタクルが食事を運んで来てくれた。
「調子はどうだ? ……えらく顔色が悪いな」
そりゃあそうでしょうね。
自分でもそうじゃないかなと分かるくらいだから。
「主様が後でまた様子を見に来ると言ってたぞ」
できれば来ないでほしい。
今は合わせる顔が見つからないし。
「……あのエロ親父、また何かやらかしたのか」
見ると、彼の目には怒りがこもっている。
私がだんまりを決め込んでいたせいで、何か誤解させてしまったようだ。
「いや、違う、あの人は何もやってない」
「何かされたら大声出せよ、ここなら誰かしらの耳に入るから」
「いや、だから」
「全く、あいつは女には見境いがなくて困る」
「そうなの?」
「そうだよ。あいつ、世の中の女は全部自分のものだとでも思ってんだろ」
この人、仮にも自分の上の立場にある『魔王』に向かって何という言い草だろう。
過去に女を寝取られでもしたのか?
「あなたと『魔王』って」
「ん? ああ、確かに主様は俺にとって恩人だ。拾ってもらった恩はある。けどな、それとこれとは話が別だ。この間だって、女を連れ込んだは良いけど途中で逃げられたらしく、俺に代わりを用意しろとか言いやがる。断ったら、じゃあお前で我慢してやるだとよ。俺は女じゃねえっての」
うん、それは単にからかわれてるだけだよね。
それにしても、この人良く喋るな。よっぽど鬱憤が溜まってるのか。
「それで、結局どうなったの?」
「女装までさせられて、挙句冗談だとか言って終わりだよ。覚悟決めた俺が馬鹿だった。そもそもその場にワンドもいたのに、俺に振る事自体がおかしかったんだ」
私は笑いを堪え切れなくなった。
口に手を当てて必死で上がる口角を押さえる。
このガタイの良い男が女装したら、さぞかしインパクトがあっただろうな。
ちょっと見てみたかった。
「おい、大丈夫か? 具合が悪い奴に変な話して悪かったな」
そうじゃない、と声に出す事もできず私はただ首を振る。
ペンタクルは親切にも背中をさすってくれた。
魔物って、雑記にも書いてあったけどホントに子供みたいなんだな。
こんな姿を見せられたら、誰だって魔物に恐怖なんて抱かないだろうに。
いや、この人がたまたま愛すべき馬鹿なだけかもだけど。
落ち着きを取り戻した私は、一つ咳払いをしてペンタクルを見る。
その瞳は何だっけ、あれ、あの宝石。
エメラルド?
違うな。もっと濁ったような、中国っぽい感じの……そうだ、翡翠。翡翠みたいな色をしている。
瞳孔は猫みたいに縦に長い。
やっぱり普通の魔物はこんな目なんだな。
きっと『魔王』が特別なんだ。
心配そうにこちらを見る彼に、私は口元の手を下ろして笑ってみせた。
「もう大丈夫。ありがとう」
ペンタクルは安堵の表情を浮かべる。
そして、ふと思い出したように言った。
「そういえば、あんたの仲間に大剣使いがいたよな。あいつ、何者なんだ?」
大剣使い、ルードの事か。
彼が何者かなんて、私が教えてほしい。
雑記に書いてある事が本当なら、魔物と人間が対立するように仕向けているのは彼のように思える。
何のためかは分からないけど。
私の表情が曇ったのを見て、焦ったようにペンタクルが言った。
「あ、いや、言いたくないなら良いんだ。結局は俺の勘違いだったしな」
「勘違い?」
「ああ。俺がガキの頃、あいつが持ってたのに似た剣で助けられた事があるんだ。顔は良く見えなかったし、名前を聞く間もなくどっかに行っちまったしで、覚えてるのは剣だけなんだが」
ペンタクルは腕を組んで天井を仰ぐ。
「どう見ても同じ剣だと思ったんだけどなあ。三十年は前の話だから、人間ならもう良い年の筈だ。あいつはどう見ても五十過ぎた人間には見えないから、やっぱり人違いなんだよ」
うーん、多分それルードで合ってると思うよ。あの人、五百年くらい生きてるみたいだから。
でも、もしかすると別人かも知れない。無責任な事は言わない方が良いかな。
「ルードの事なら『魔王』が知り合いみたいだし、『魔王』に聞いてみたら良いんじゃないかな」
結局、私は自分に責任が向かないよう誘導する事にした。
ペンタクルは、そうかと膝を打つ。
「そういえば、あいつ主様の名前を知ってたもんな。主様に聞いてみるとするか」
「何を聞きたいんだ?」
唐突な廊下からの声に、私もペンタクルもそちらを見た。
『魔王』が格子の一角の扉から入って来る。
噂をすれば何とやら、だ。歓迎はしてないけど。
私は咄嗟に下を向いた。
ペンタクルが言う。
「ちょうど良い所に来た。ちょっと聞きたいんですけど、この子と一緒に来た図体のデカい奴、あいつ何者なんですか?」
また直球ストレートな聞き方だな。この人らしいけど。
ペンタクルの隣に『魔王』が座る気配を感じて、私は更に頭を垂れた。
「言ってなかったか? あいつは人間の王様だ」
「え、そんな奴が何でここに?」
「この子を連れて来たに決まってるだろう」
「何のために」
「『魔王』を斃すためだ」
「『魔王』って主様の事じゃないですか!」
あー、また漫才が始まった。
どこかよそでやってくれないかな。今は楽しく聞いていられない。
「仕方がないだろう。私は『魔王』で、『勇者』に斃されるべき存在なんだから」
「それは知ってますけど。『勇者』の仲間に王様がいるなんて普通あり得ないでしょ」
「実際王様が仲間だったんだから仕方ないだろう」
「仕方ないとかいう問題かよ」
大分話が逸れて来たな。そう思っていた所で『魔王』が言う。
「まあ無駄に長く生きているから、『勇者』の仲間になれば何かの役には立つかも知れないな」
「無駄に長くって、見た目より老けてるとしてもせいぜい三十代だったけど」
「ルドルフは五百年は生きているぞ。私より余程長生きだ」
「あいつ、人間じゃないんですか?」
「いや、人間だ。『契約』で寿命を無くしたらしい」
長く生きているって、そういう意味だったのか。
便利なもんだな、『契約』って。寿命をなくす事もできるんだ。
「それなら、やっぱりあの時見たのはあいつだったんだな」
立ち上がり、嬉しそうな声でペンタクルは言う。
「主様のお陰で、ガキの頃の夢が叶いそうです。ありがとうございます!」
そして、彼はそのまま行ってしまった。
どうして『魔王』と二人にするかなあ。
顔を上げられないじゃないか。
ええと、まずはメトロさんを助けられなくてごめんなさいと謝るべきか?
いや、それは何か違うな。
でも、私がメトロさんを助けられた可能性があるのは事実なんだし。
こっそり溜め息を吐いた私に、『魔王』が声をかける。
「あの時、この国の人間が『勇者』をどう思っているか知っていれば、メトロを助けられたのに。そんな所か」
図星を突かれて、私は思わず顔を上げた。
『魔王』は優しい目をこちらに向けている。
「後悔は消せないものだが、それに囚われすぎるのも考えものだ。前に進めなくなるからな」
分かっているけど、そう割り切るには時間が足りなかった。
せめて明日なら、少しは心の整理もできていたのに。
じわりとまた涙が滲んできた。私は再び下を向こうとする。
それを阻んだのは、彼の手だった。
顎に指をかけられた私は、図らずも金色の瞳をまっすぐ見る事になる。
真摯な眼差しが私を捉えた。
何故だか母親に諭されている気分だ。例えがおかしい気がするけど。
「お前には悪いが、落ち込んでいる時間はない。伝えなくてはならない事がまだまだあるんだ」
言葉の意味を図りかねて、私は瞬きをした。
次の瞬間。
「こンの、エロ親父があっ!」
怒声と共に、『魔王』は私から引き剥がされた。




