37.主婦、玉ヒュンする
連れて来られたのは城の最上部、つまり屋根の上だ。
無理と連呼する私を肩に担いで、彼は軽々と屋根に飛び乗り、鯱鉾代わりに置いてある、あんまり趣味のよろしくないガーゴイルの隣に腰かけた。
私は、ない玉がヒュンとなる現象に見舞われて彼にしがみつく。
「ほら、良い眺めだぞ」
眺めを堪能している心の余裕はない。
なんとかと猫は高い所を好むと言うけど、多分この人はなんとかの方だ。
ん? 人じゃなくて魔物か?
良し、余計な事を考える余裕が出て来た。
下さえ見なきゃ何とかなりそうだ。
いや、やっぱ腰が抜けてる。
無理。
早く下に下ろして。
そんな私を見て、彼はフフ、と笑う。
「今の日本にはこのくらいの高さの建物がたくさんあるんだろう?」
「い、いや、建物の中と外じゃ全然違うし」
「それを建てた連中は、外で作業をしていたんじゃないのか」
「私は作業員じゃないし」
「ああ、それもそうだな」
しがみつく相手がもしメトロさんなら、私は喜んでこの場に留まろうとしただろう。
しかし、相手は『魔王』だ。
どんなに綺麗な顔をしていようが、何も嬉しくない。
「その顔でそうしがみつかれると、メトロが子供の頃を思い出すな」
『魔王』は愛おしそうに私を見る。
正確には、私の中のメトロさんを。
「メトロさんとあなたは、どんな関係だったの?」
私の問いに、彼はしばし思案する。
「まあ、師弟だ。それ以上でも以下でもないな」
メトロさんと同じ事を言ってる。
どっちにも、明らかにそれ以上の愛憎というか、執着を感じるんだけど。
私の疑わしげな視線に、彼は苦笑した。
「私は今でもメトロを愛しているよ」
自分の感情と反して、心臓が締め付けられる感覚。
メトロさんが反応したようだ。
嬉しいのか、それとも拒絶しているのか、それは良く分からなかったけど。
「関係を聞かれれば、師弟以外の何ものでもない。でも、私にとっては息子みたいなものなんだ」
あ、何だそっちの愛してるなの。
私はてっきり……口に出さなくて良かった。
「だから、お前がメトロの命を奪った奴らの仲間だと思って取り乱した」
息子の命を奪った相手が現れたら、私でも取り乱す自信がある。
魂を取り返そうとまではしないと思うけど。
あれ、そういえば。
「メトロさんが人間の手にかかったって言ってたけど、本当なの?」
もしそうだとして、彼はどうやってそれを知ったんだろう。
彼は目を伏せた。
「お前を襲った魔物は、浅黒い肌をした黒髪の女だったろう」
「あ、うん」
ナイスバディの艶めかしい女性でした。
ツノ生えてたけど。
「あの時、私は彼女と一緒にいたんだ。それで向こうの様子が一瞬見えた」
ええと、つまりお楽しみの最中に彼女だけ人間に召喚されたと。
で、召喚された先は、メトロさんたちのいた場所だったと、そういう事ね。
「一人は魔法陣の前に、一人はナイフを持ってメトロの後ろに立っていた。そこまでしか見えなかったから、忘れていたんだ。お前が来るまではな」
あの魔物は恋人とかじゃなかったの?
忘れるとか酷くない?
まあ、『魔王』だから仕方ないか。
って強引すぎるだろ。
ともかく、あの時ネイサンが書いていたのは、ただの文字じゃなくて魔法陣だったんだ。
魔物を召喚するための。
魔物を使ってメトロさんを殺すために。
何で?
魔物から人間を護る存在である筈の『勇者』を。
行く行くは『魔王』を斃して魔物の脅威から人間を救ってくれる筈の『勇者』を。
「どうして、人間が『勇者』を」
『魔王』は一つ瞬きをした。
「そうか、お前はまだ何も知らないんだな」
え?
一通りの事は聞いて知ってたつもりだったんですけど。
私の動揺に構わず、『魔王』は続ける。
「部屋にお前の荷物を運ぶように言ってある。私の書いた雑記も入っていたな。あれを読めば理由は分かるだろう」
腰が抜けたままの私を抱えると、『魔王』は屋根を下りはじめた。
「もう一つは、こちらに来たばかりの頃に魔法の教則本を元に書いたものだから、あまり使えないがな」
あのやたら畏まった読み辛い本、この人が書いてたのか。
他に書ける人いないんだけど、何というか、人は見かけによらないな。
屋根の端まで下りて来て、『魔王』は立ち止まる。
下から吹き上げる風に改めて背筋を凍らせて、私は間近にある『魔王』の顔を見た。
飴色のまつ毛に縁取られた金色の瞳が、城下の景色を静かに見つめている。
その中にある黒い瞳孔は、人間と同じに丸い。
確か、私を食べようとした件の魔物のそれは、猫みたいに縦に長かった。
彼も異世界人だから、他の魔物とは違うのか。
ぼんやり取り止めのない事を考えて、要するに見惚れていた私に、『魔王』は呟く。
「あの時私があそこに行っていれば、メトロは無事だったんだろうか」
愁いを帯びたその顔は、人間離れした造形のくせにえらく人間臭かった。
「そんな事を考えても意味がないのは、分かっているのにな」
しっとり潤んだその瞳を、彼は私に向ける。
「お前と『契約』する時、メトロはどう言っていた?」
「え、『契約』は異世界人とは交わせないって」
言いかけて、違うと気づく。
この人は、メトロさんの遺した言葉が知りたいんだ。
「あなたを、救けてくれって言ってた」
その言葉を聞いた『魔王』は、それは嬉しそうに顔を綻ばせた。
ガーゴイル、ホントは雨樋の役目がないとそう呼べないんですね。
勉強不足で知りませんでした。
そのままにしてあるのは、ニュアンスで伝わるかなと思ったからです。
ご了承くださいませ。




