33.主婦、謝られる
白いのか黒いのか分からない空間。
狭いのか広いのか、暗いのか明るいのか、もっと言えば上下があるのかないのかさえはっきりしない。
そこにぼんやりと見えるのは、メトロさんだ。
だんだん姿がはっきりして来た彼は、呆れ顔で今にも溜息をこぼしそうにしている。
やっぱり、『契約』無視して『魔王』と乱闘した件ですよね。
「ごめんなさい。でも『魔王』がメトロさんの魂を奪おうとしたから」
メトロさんは、今度こそ溜息を吐いた。
「悪かった。謝る」
「へ?」
何で私が謝られてるの?
「お前を使って『魔王』を斃そうとした」
「え、っと?」
「お前の魔力が欲しかったんだ。人間の力じゃあいつに敵わない。晶玉に込められる魔力はそんなに大きくない。だからといって自分が魔物になったら本末転倒だ」
理解が追い付かない頭を必死で回転させる。
つまり、『魔王』を斃すためには魔力が必要で、でもメトロさんは魔力を持ってない。
どこかから手に入れる必要があったと。
ああ、そうか。
だから魔力を持つ人間、つまり私を手元に置いといたのか。
考えてみたら、まだ子供もいない若い男性が、何の得もないのに小さな子供の面倒を見るなんて、有り得ないもんな。
腑に落ちたと同時に、胸がチクリと痛んだ。
随分前に刺さったまま、抜けない棘だ。
彼に必要だったのは、私じゃなかったんだ。
いや、今はそんな事は置いておこう。
頭を切り替えて、私はメトロさんを見る。
「斃そうとしたって言うけど、メトロさんと『魔王』はこ……」
恋人同士なんじゃないの、と言おうとして思わず口ごもった。
私が元いた世界では、大分受け入れられてるように見えて、まだまだ偏見の色が濃かった。
私の周りにはいなかったけど、簡単に公言できない程度には社会は受け入れていなかったって事だと思う。
こちらの世界ではどうなんだろう。
混血のように酷い目に遭うのか、それとも普通の事として受け入れられてるのか。
『魔王』はそれを隠す素振りがミジンコたりとも見当たらなかったけど、メトロさんも同じだとは限らない。
「えっと、ねえ」
「何だ、はっきり言え」
「いや、その。二人は恋人? みたいな?」
メトロさんは目を丸くすると、次に鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。何をどう考えたらそうなる?」
え、だって『魔王』の様子を見てれば、誰だってそう思うじゃない。
「違うの? でも『魔王』が私のメトロって言ってたよ」
「あいつにとって俺は所有物なんだろう。退屈しのぎに俺を『勇者』に仕立て上げるくらいだからな」
「ええと、つまり、メトロさんにとって『魔王』は」
「師匠であり、敵だ。それ以上でも以下でもない」
真偽の程は定かじゃないけど、本人がそう言うんだからそういう事にしておこう。
もっと大事な事をスルーしたような気がするけど、多分気のせいだ。
「だったら、どうして『魔王』を救けてくれなんて『契約』したの?」
「そこは正直どうでも良かった。お前に魂を預ける事で、お前の身体を乗っ取りたかっただけだ。結果は失敗だったがな」
そのセリフには何だか現実味がない。
今際の際に、どうでも良い事を言えるだろうか。
『魔王』と対面した時だって、あんなに動揺してたのに。
私は恋愛感情以外であそこまで強い感情を知らない。
否定されたけど、やっぱり本当は……いやいや、本人が否定してるんだからそっとしておこう。
デリケートな問題に首を突っ込むもんじゃない。
「それに、『契約』は異世界人とは交わせないらしいからな」
「え?」
「異世界人は魂を持たないから、『契約』自体できないそうだ」
「そうなの?」
情けない声が出た。
『契約』自体が成立してなかったなんて。
メトロさんとの『契約』だから、私は『魔王』を救けようと躍起になってたのに。
結局、最後はそれを反故にしちゃったんだけど。
しかも闘った挙句に負けて……
負けて?
「私、『魔王』と闘って死んだの?」
「いや、寝てるだけだ」
「私、『魔王』に心臓えぐり出されたよね」
「お前の心臓は無事だ」
「何で?」
「王様と執事と半端者が頑張ってくれてたぞ」
見てたんかい!
あれ?
「ちょっと聞いてみるんだけど、もしかして私の中に入ってからずっと私と同じもの見てた?」
「ああ、見てたぞ」
それが何か? みたいな顔で私を見るメトロさん。
「うわああああああ!」
私は思わず頭を抱える。
ずっと見てたって事は、ニコルとのあれこれも全部見られてたって事じゃん!
もうお嫁に行けない!
ニコルが!
「心配するな。半端者との事は見なかった事にしてやる」
「見てるじゃん! 責任取ってニコルと結婚してあげて!」
「落ち着け、俺には魂しか残ってないから無理だ」
あ、そうか。
「どうしてお前は半端者の事になるとそんなに頭に血が上る? 娘でもあるまいに」
「娘みたいなものだし。あと半端者って言わないで、ニコルって言ってあげて」
メトロさんは曖昧に笑いながら頷いた。
多分ドン引きしてる。
「そろそろ起きる時間だ。あいつがお待ちかねだぞ」
「あいつ?」
「『魔王』だ」
あら、『魔王』がお待ちかねなん……だ?
「え、ちょ、何で」
メトロさんの姿が俄かにかき消え、私の視界からいなくなった。
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「やっと起きたか、小僧」
目を開けて最初に飛び込んだのは、金色の瞳を持った美人の顔だった。




