32.主婦、魔王と対峙する
作り物のように美しい顔がこちらを向く。
気怠げだった金色の瞳は、私を捉えると明るく輝いた。
「メトロ。やっと来てくれた」
彼はやおら立ち上がると私に近づく。
そして優美な仕草で、私の頰に触れた。
「会いたかった。どこに寄り道をしていたんだ、ずっと待っていたのに」
言うと私を抱きすくめる。
私はされるがままになっていた。
正確には、感情の渦と動悸で動けなかった。
どこかで会った記憶のあるこの人を、思い出せないままで。
どこかで会った?
いや、違う。
会った訳じゃない。
夢だ。
彼は、メトロさんと私が『契約』した夜に見た夢の中で、私が別れを惜しんでいた男性だ。
私が?
そうじゃない。
多分あれは、メトロさんの記憶だ。
だって、会った覚えもないのに、彼を見た私の身体はこんなに震えて、私の心臓は早鐘のように鼓動を刻んでいる。
その感情が歓喜なのか絶望なのか、恋慕なのか憎悪なのか、私には判断できなかった。
「ん? メトロ、お前縮んだか?」
小首を傾げた彼は、私と自分の身長を比べている。
私はやっとの思いで口を開いた。
「違う」
「何が?」
「私は、メトロさんじゃない」
「何だと」
潮が引くように、その表情が冷たくなる。
私から離れ、上から下まで私を見回すと、彼は冷え切った声を出した。
「貴様、私のメトロに何をした?」
言葉が氷の刃になって私に降りかかる。
動悸に涙がにじんだ。
「私の」って何だ。
メトロさんはあんたの所有物か?
「あなたこそ」
メトロさんに何をした?
姿を見ただけで、こんなに感情が揺さぶられる。
それ程の事をした筈だ。
一体何をしたら、ここまで深く人の心に爪痕を残せる?
グイ、と胸倉を掴まれた。
「メトロを返せ、人間」
空いた手が、動悸の治らない心臓の辺りを捉える。
魂を、身体から引きずり出そうとしている。
「離して!」
その手を掴んで、私は必死の抵抗を試みた。
自分の魔力を晶玉に込めるように、手の先に集中させる。
パァンッ
小さな爆発が起きた。
私と彼は、同時にその場から吹き飛ばされる。
彼は畳に倒れ、私は欄干に背中をしたたか打ちつけた。
お陰で、さっきまでの動悸は鳴りを潜めている。
見ると、彼はすでに立ち上がって、羽織を脱ぎ捨てていた。
「メトロの魂をどこで手に入れた?」
その美しい相貌が、怒りに歪んでいる。
きっと何をどう言い訳したって、彼は聞く耳を持ちはしないだろう。
私も立ち上がる。
背中は痛いが仕方ない。
「私はメトロさんと『契約』した」
魂と引き換えに『魔王』を救けるって。
だから私はメトロさんの魂を手に入れた。
でも、今の私には『魔王』を救ける理由がない。
どうしてメトロさんの魂を奪おうとする相手を、わざわざ救けなくちゃいけないんだ。
メトロさんを守れないなら、『契約』なんて知った事か!
私は『破魔の剣』を両手に持った。
彼が訝しげな表情をする。
妙な筒を取り出したとでも思ってるんだろうけど、今の私には関係ない。
晶玉と自分の、ありったけの魔力を拳に込める。
「あなたにメトロさんは渡さない!」
彼の顔目がけて右拳を送り込んだ。
躱される。
左拳で腹を狙った。
こちらも躱される。
素人が繰り出す拳じゃ、お話にならない。
彼は優雅な身のこなしで、私の攻撃をいとも簡単に避けている。
このままじゃ魔力の無駄遣いだ。
一つ呼吸を置く間に、彼がその手を伸ばした。
小さな光が煌めく。
私はとっさに腕を交差させた。
爆発。
『破魔の剣』を盾に、何とか耐える。
周囲に逃げた爆風が部屋の装丁を舐め、襖を飛ばした。
彼は笑っている。
「中々やるじゃないか、人間風情が」
腕を下ろさずに、私は返した。
「人間は人間でも、あなたと同じ異世界人だからね」
笑みはそのまま、彼の眼光に鋭さが増す。
「そうか。あの馬鹿、何度やったら諦めるのかね」
あの馬鹿が誰なのか、それも今の私にはどうでも良い。
それよりも、目の前の『魔王』に一発喰らわせる方法だ。
一瞬でも良い。
隙を作りたい。
私は両手に、小さい刃をいくつも並べる。
ただ飛び道具を使っても悉く避けられて終わりだ。
しかし、勝機がない訳じゃない。
刃を放った。
それは彼に向かう振りをして、その辺に転がった調度品や襖に突き刺さる。
しっかり刺さったようだ。
それを一気に自分に向かって引き寄せた。
小さなものから大きなものまで、先程の爆発で散らばった数々の瓦礫が飛ばされて来る。
視界が一気に狭くなった。
跳ぶ。
瓦礫に呑まれた彼の脳天に、拳を叩き込んだ。
筈だった。
捉えられたのは私の方だ。
首を掴まれ、もがいても離れない。
「返してもらうぞ、メトロの魂」
彼の手が胸にめり込む感触。
くぐもった声を上げるので精一杯だった。
視界が白く霞む。
そこで私は意識を手放した。




