31.主婦、魔王の城に入る
「ここなの?」
「そうにゃ。ここに主しゃまがいるにゃ」
「『魔王』って、大きくて黒くて尖ってて不気味で、羽根のついた魔物が周りを飛んでるお城に住んでるんじゃないの!?」
叫んでいるのはルードだ。
どうもイメージが限定的だから来た事があるのかと思ってたけど、違ったようだ。
確かに、これまで見て来たこちらの世界の雰囲気にはそぐわない。
異世界の中に異世界がある感じというか。
目の前には、夕まづめの空を背負って日本風の大きな城が聳えていた。
鯱鉾の代わりにガーゴイルが飾ってあったり、細かい所は西洋ファンタジー風なんだけど、やっぱり全体的には日本風だ。
「それ、いつの話にゃ? 少なくともここ五十年はこんな感じにゃ」
「五十年? 短いのか長いのか分かんないな。ってか毛玉はこの城が建つの見てたの?」
「見てたにゃ。城の建て替えはそれはそれは見事だったにゃ」
「絶対嘘でしょ!」
「嘘じゃにゃいにゃ!」
二人がギャアギャア騒ぎ立てているのをよそに、ニコルとアルは鋭い目つきで城を見つめている。
魔物の存在を感じるんだろうか。
「あの屋根の角度、流れるようなフォルム、実に素晴らしい」
城マニアか。
「お掃除が大変そう。魔法でやっても何日かかるかしら」
掃除の心配か。
『魔王』の城を前にして、全く緊張感がない。
先行きがすごく不安になって来た。
「じゃあ、中に入るにゃ」
「え、正面から入っちゃって大丈夫なの?」
「正面から入らずにどこから入るにゃ? 晩ご飯でも一緒に食べながら主しゃまとお話するにゃ」
いやいや、確かに話を聞きたいとは言ったよ?
でも、晩ご飯を一緒に食べるとか考えてもいなかったんだけど。
一応、いつ戦闘になっても良いように準備してるんだけど。
晶玉は、途中でやっつけた小さい魔物の魔力で、一つ分は使えるようにしてある。
アルは黒い龍の心臓をいただいたらしく、魔力の補充は充分だそうだ。
ルードの馬鹿でかい剣は、仕組みは分からないが手の平サイズに縮まって、今はルードの首に下げられている。
ニコルは……戦闘に参加させるつもりはないし、準備の必要もないだろう。
気持ち的にも、話は聞きたいが拗れてしまう確率が高いだろうと踏んでいた。
なのに、一緒に晩ご飯とか、どこまで緊張感のない対面なのか。
「こっちにゃ」
人の気も知らず、毛玉は正面の大きな門の横にある、通用口のような扉を開けた。
ここで引き返す訳には行かない。
私たちは中に入る。
馬をその辺に繋いで、広場のような場所を抜けると、本丸の周りをぐるりと堀が囲んでいた。
堀にかかった石橋を渡ると、もう一つ壁があってやっと城の入り口だ。
人間が城に入って来ているのに誰も出て来ないのは、毛玉が案内役だからなのだろうか。
それとも他に理由があるのか。
「何してるの、チカ?」
城の中に上がるため靴を脱ごうとしていた私に、ルードが不思議そうに問う。
「え、靴脱いでるんだけど」
「そのまんま入っちゃダメなの?」
「ダメでしょ、お城に上がるのに土足のままじゃ」
「何で?」
そうか。
この国には、そういう文化はないんだっけ。
「こういう造りの家では、靴を脱いで上がるのがマナーなの」
「そうなんだ」
あっさり納得してくれたものの、西洋ファンタジーの冒険者的な格好をした一行が靴を手に城へ入るのは、何かシュールだ。
やっぱり土足のまま上がれば良かったな。
素足にひんやりとした木の感触を確かめながら、私たちは毛玉について廊下を行く。
しばらく行って、毛玉が口を開いた。
「そういえば」
ルードが短い悲鳴を上げる。
同時にバタン、と何かが閉まる音がした。
振り向くと、背後にいた筈のルードとアルがいない。
「このお城、色んにゃカラクリがあるから気をつけてって言おうと思ったけど、遅かったにゃ」
いやいやいや!
カラクリがあるなら城に入る前に言って!
「ニコル、靴履いて! 急いで!」
「は、はい」
やっぱり靴を脱ぐんじゃなかった。
そういえば、道中裸足だった毛玉は足も拭かずに平然と城に上がってたのに、今頃気づいた。
慌てて立ったまま靴を履こうとしたニコルが、よろけて横の壁に手をつく。
壁がぐるりと回った。
「きゃっ」
手を伸ばそうとしたが遅い。
ニコルは壁の向こうに追いやられてしまった。
「ニコル!」
壁は、押しても引いても蹴っても持ち上げようとしてもビクともしない。
壁を思い切り殴りつけて、私は毛玉を睨んだ。
「ここを開ける方法知ってる?」
「あ、あたしは知らないにゃ」
「じゃあ、どこに繋がってるか分かる?」
「え、えーと、分からにゃいけど」
毛玉はオドオドと目を泳がせながら言う。
「で、でも、きっと大丈夫にゃ。カラクリの先にいる人たちが、主しゃまの所に連れてってくれるにゃ」
それって、侵入者として『魔王』に引き渡されるって事じゃないだろうか。
「本当に大丈夫なんだろうね」
「ほ、ほほ、本当にゃ」
「ニコルに何かあったら、タダじゃおかないよ」
「ははははは、はいにゃ」
私の剣幕がそんなに凄かったのか、毛玉は冷や汗を垂らしている。
「じゃあ、私たちも主しゃまの所に行こうか」
「は、はいにゃ」
無論、用心していなかった私が悪い。
これは八つ当たりだ。
分かっていても、私は毛玉を睨むのを止められなかった。
角を曲がって階段を上がって、それを何度か繰り返して毛玉は足を止める。
「ここにゃ。ここに主しゃまがいるにゃ」
機嫌を伺うように、毛玉は私を見た。
「ありがとう、毛玉」
口でだけお礼を言って、私は負の感情を向こうにいるであろう人物へぶつけるつもりで襖に手をかける。
一つ深呼吸をした。
勢い良く襖を開ける。
そこには、豪奢な着物に身を包み、脇息にだらしなく体を預けた金色の髪と瞳の男がいた。




