28.主婦、闘う
どこから見ても強そうだ。
身体の周りにパリパリと電気が走ってるし。
そして、どう見ても私たちを睨みつけている。
龍は口を開いた。
「出て来い。そこにいるのは分かっている」
その声は雷鳴のように低く響く。
ニコルの袖を掴む力が強くなった。
私はその手をそっと離し、ニコルに毛玉を預ける。
「私が行く。みんなはここにいて」
泣きそうな顔で首を振るニコルの頭を、私は撫でた。
「大丈夫、ちょっと話をして来るだけだから」
言葉が通じる相手なら、話し合いで何とか解決するかも知れない。
淡い期待だけど。
入り口の扉に向かう私に、アルが言った。
「私もお供いたしましょう」
アルは腰にあった剣を既に抜いている。
「良いけど、とりあえずそれは仕舞って。まずは話し合いがしたいから」
「左様でございますか」
アルが剣を仕舞ったのを見届けて、私はルードを振り返った。
「ルード、ニコルをお願いね」
「分かったよ、行ってらっしゃい」
ルードは緊迫感のかけらもなく手を振る。
あんなに恐ろしい敵が目の前にいるというのに、何だこの緊張感のなさは。
雨だから自分に出番はないとでも思ってるのか。
それとも、雨が降ってなければあんな奴は一撃だとでも思ってるんだろうか。
毒気を抜かれたような気がして、慌てて首を振った。
扉を開けて外へ出る。
大粒の雨に、私はすぐさま濡れねずみだ。
こんなに全身濡れたのは子供の頃以来だな。
呑気な事を考えていると、龍が再び口を開いた。
「先程、我が配下二名が人間に斃されたと耳にした。お前たちの仕業か」
腹に響く良い声だ。
こんなシチュエーションじゃなければ聞き惚れていただろうに。
いやいや、そんな事を考えている場合じゃない。
どうも頭が現実逃避してるようだ。
私は大きな黒い龍に向かって、声を張り上げた。
「そうだ。彼らが襲って来たから自分の身を守ったんだ」
「理由など必要ない。お前たちがやったというなら、我がその仇を取るのみ」
龍は咆哮を上げる。
雷光。
咄嗟に後ろに飛びすさる。
私がいた場所は、大雨が降っているにも拘らず草も土も焼け焦げていた。
やっぱり、言葉は通じるけど話は通じない相手だったか。
仕方なしに、私は『破魔の剣』を両手に持つ。
隣に剣を抜いたアルが立った。
「私が引きつけますので、チカさんは隙を見て逆鱗を突いてくださいませ」
逆鱗なら私でも知ってる。
喉の下辺りにある他と逆に生えた鱗だ。
「でも逆鱗って、触れたらパワーアップするんじゃなかった?」
元の世界では、だけど。
「確かに逆鱗に触れれば力は増しますが、理性が飛んで攻撃を見切りやすくなるのでございます」
なるほど、諸刃の剣だ。
まあ、アルが言うのだから、勝機はそこにしかないんだろう。
「分かった、やってみる」
アルは頷いて龍に向かって行った。
雷撃を躱しながら地面に剣を走らせる。
幾度かそれを続ける内、何かの模様が地面に描かれているのに気づいた。
あれは、魔法陣?
次の瞬間、模様の中心から赤黒いものが吹き出す。
マグマの身体を持つ蛇だ。
電撃に体を削られるのも構わず、蛇は龍に絡みついた。
蒸気が吹き上がり、周囲が霞む。
龍は悲鳴のような声を上げながら、激しく身をくねらせた。
龍の顔が天を仰ぐ。
今だ。
私は全力で駆け出しながら『破魔の剣』から刃を出した。
と思ったんだけど。
手応えがない。
「あれ?」
手元を見る。
『破魔の剣』は私のイメージに全く反応していない。
何で?
「チカさん!」
顔を上げると、黒い尻尾が眼前に迫っていた。
それは見事に私を捉え、地面に叩きつける。
私は泥にまみれながら地面を転がった。
地味に痛い。
いや、地味じゃない。
痛い。
体を起こす。
アルが近寄る気配がした。
「いかがいたしましたか」
握りしめていた『破魔の剣』の中身を確認する。
入っていたのは、双方共に透明なビー玉が三つ。
「ごめん、魔力切れだ」
そういえば、城でルードと対決して以降魔力の補充をしていない。
森では私が闘う事がなかったので、すっかり忘れていた。
「困りましたね。私も召喚で魔力を使い切りましたし、あの召喚獣も長くは持ちません」
「いや、大丈夫」
私は立ち上がる。
手足は繋がっているし、ちゃんと動く。
肩と背中と腰は痛いが、ただの打ち身だと思う。
「まだ私の魔力があるから、それで行ける筈」
『破魔の剣』を握り直し、自分の中の力をそちらに移すイメージをする。
『破魔の剣』が淡く黒い靄を纏った。
思った通り、行けそうだ。
靄は晴れ、絡み合った二つの姿が露わになっている。
赤い蛇はボロボロと表皮が剥がれ、今にも身体が崩れそうだ。
躊躇している暇はない。
龍を目指して駆け出した。
龍が私を見つけて吼える。
私目がけて雷光が襲いかかった。
私は左腕を前に出す。
黒い靄が左腕を中心に膜を張り、雷をいなした。
雷は次々と襲って来る。
それを避け、弾き、龍の懐まで辿り着いた。
私は走って来た勢いそのままに、黒い身体へ駆け上がる。
両手に長い爪を出して、龍の首に取りついた。
龍は振り落とそうと首を振る。
そうは行かない。
離れたら終わりだ。
見上げると、鱗の並びが一箇所だけ乱れていた。
あそこだ!
左手を触手に変えて龍の首に巻きつける。
どこまで伸びるか分からないけど、振り落とされなければ良い。
触手をロープ代わりに立ち上がり、右手の爪を逆鱗に突き立てた。
先程までとは比べ物にならない轟音が、龍の喉から迸る。
フッ、と両手から感覚が消えた。
魔力が尽きたのか。
落ちる。
痛いのやだなあ。
しかし、地面に激突する前に抱き留められた。
アルだ。
この人にお姫様抱っこされるの、二回目だな。
抱きかかえられたまま、ニコルが待つ家の前まで下がる。
赤い蛇が龍から剥がれ落ちるのが見えた。
龍は狂ったようにのたうち回っている。
周りには雷光がばら撒かれ、あちこちから火の手が上がっていた。
「良くぞ逆鱗に触れてくださいました。後の事は我が主にお任せくださいませ」
視界が影に遮られた。
私たちの前に大男が立っている。
自分の身の丈程もある大剣を肩に担いで。
「雨も止んだし、やっと余の出番だ」
ちょっと、その剣どこから持って来た?
問いを口に出す気力も、私には残っていない。
ルードは剣を下段に構えて走り出した。
気づいた龍が、一直線に彼に向かう。
怒号と共に大きく口が開けられた。
そこに飛び込むように地面を蹴るルード。
決着はあっけなかった。
龍の上顎から上が、重たい音を立てて地面に落ちる。
続いて、黒く輝く長い身体が大地を揺るがした。
こうして王様は、美味しいところを全て掻っ攫ったのだった。




