26.主婦、森を抜ける
森を抜けたのは、出発してから七日後の事だった。
もう少しかかるかと思っていたけど、意外と近かったな。
カンタレラのお陰か、運が良かったのか、強い魔物にも遭遇しなかったし。
豚やウサギみたいなものが出たので、ルードが仕留めてニコルが料理してくれたりはした。
ああいうものが魔物のくくりに入るのか、はたまたこの世界固有の生物なのかは私には分からない。
ただ、美味しかったのは事実だ。
あと、妙なキノコを見つけて食べたルードのせいで大変な目に遭った日もあるが、あまりにバカバカしかったので割愛させてもらう。
目の前には人間の住む所と同じく丘陵地帯が広がっていた。
遠くに集落のようなものも見える。
「とりあえず、『魔王』がどこにいるか調べないとだよね。あそこに見える村に行ってみる?」
一同はギョッとして私を見た。
「行ってみるって、あれ魔物の村だよ? 人間が行ったら食べられて終わりでしょ」
「でも、それじゃあいつまで経っても『魔王』に辿り着けないよ。それに、もしかしたらあそこに『魔王』いるかもよ」
「いないよ! 『魔王』が住んでるのは、大きくて黒くて尖ってて不気味で、羽根のついた魔物が周りを飛んでるお城だよ」
随分イメージが限定的だな。
「あのさ、ルード。一度はっきりしておきたいんだけど、あなた『魔王』の事知ってるよね」
「……知らないけど」
思いっ切り目が泳いでますよ。
ルードが『魔王』について何か隠しているのは間違いない。
どうにか情報を引き出したいものだ。
今の何も知らない状態のまま『魔王』に会ったとして、メトロさんとの『契約』を果たす事が可能だとは思えない。
斃すにしても、話を聞いて助力するにしても、どんな容姿かすらも知らないのだ。
この人が『魔王』です、と違う人物を連れて来られても、分からない自信がある。
「ルードは『魔王』を討伐したいんじゃないの? なのに『勇者』に『魔王』の事を全然話してくれないなんておかしいよね」
「だから、余は何も知らないんだってば」
絶対嘘だ。
「なら、ルードが自分で『魔王』を斃しに行けば良いよ。剣の腕は立つし、魔法が使える執事もいるし」
「王は『勇者』にはなれないんだよ」
困ったようにルードは言う。
意味が分からない。
「『勇者』の認定をするのは王様でしょ。王様なら『勇者』にならなくても『魔王』を斃しに行って問題ないんじゃないの?」
「そういう訳に行かないんだよ。『魔王』は『勇者』が斃さなきゃいけないんだ。そういう決まりなんだよ」
「決まり?」
何なの決まりって。
戦争に国際法があるみたいなもの?
そんな決まりをわざわざ作ってまで人間と魔物は対立してるの?
益々意味が分からない。
「ホントは、余がこんな所まで来るのも決まりに反してるんだけど」
「じゃあ『魔王』は『勇者』が斃すって決まりも破って良くない?」
「いやいや、だから公式にじゃなくてお忍びで来てるんだよ。余がここに来てるって分かったら、向こうに何を言われるか」
へえ、そうですか。
「つまり、あなたは『魔王』の事を知ってるって事ね」
「あ……」
ルードは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「あー、それは。えーと」
「あのね、私は怒ってる訳じゃない。あなたの知ってる事を教えてほしいだけなの」
「……ホントに怒ってない?」
上目遣いでこちらを見るルードに、私は思わず溜息をこぼす。
図体は一丁前のくせして、ホントに中身は子供だ。
国民の前であれだけ偉そうに出来るのに、どうして今それが出来ないのか。
「怒ってないから教えて。『魔王』がどんな姿かだけでも」
しばらく目を伏せていたルードは、縮こまったまま答える。
「今の『魔王』は、見た目普通の人間と変わらないよ。元『勇者』だから」
「そう」
驚きは無かった。
『勇者』が『魔王』になるって噂がある事はメトロさんに聞いていたし、ルードたちの言葉の端々に、そんな雰囲気が醸し出されていたから。
「驚かないね」
「うん、そんな気がしてたよ」
「そうなの? 余はてっきり『勇者』が『魔王』になるとはどういう事だあ、って言われるとばかり」
「良くある話でしょ、強い者が闇堕ちするのは」
「え、あちら側では良くある話なの?」
良くあると言っても、物語の世界の話だ。
実際にそんな事があるかどうかは知らない。
「それは置いといて、その人の見た目は? 元『勇者』ならルード知ってるよね」
「うん。金髪に金色の目で、とても美しい人だったよ」
あれ、その人どこかで見かけた気がする。
どこだっけ?
記憶を辿ろうとする私の腕を、ニコルが掴んだ。
「チカさん、あれ」
声が怯えている。
指された方を見ると、魔物が二体こちらに向かっていた。
一体は象程の大きさの鎧竜みたいな魔物、もう一体は小柄な人間にコウモリの羽が生えた魔物だ。
そういえば、ここ魔物が棲んでるんだった。
のんびり喋ってる場合じゃなかったな。
ニコルを下がらせていると、アルが静かに前へ出た。
その手に、彼に似た細身の剣を携えて。
「ここは私にお任せくださいませ」
「待って、どうするつもり?」
止めようとした私を、ルードが無言で制する。
確かにアルは、試験でルードが負けそうになった時、私を引き離すという荒業をやってのけた。
そのくらいの実力はあるのだろう。
でも相手は二体だし、一人で斃せるとは考え難い。
でも、と言いかけた私に視線だけ送り、彼はこんな場面だというのに口角を上げる。
「ちょうどお腹が空いていたのです」
私がその意味を問い質す前に、アルは二体の魔物に向かって跳躍した。
それは凡そ人間のできる動きではない。
地面に落ちるスピードを利用して、羽根のついた魔物の首をいとも簡単に刎ねる。
「二人とも、あんまり見ない方が良いよ」
自分も目を逸らしながら、ルードが言った。
ニコルは既に目を固く閉じ、耳を塞いで蹲っている。
それでも私は、アルに目を戻した。
そして後悔した。
ドウ、と地鳴りと共に横倒しになった魔物に目もくれず、アルは首がなくなった方の魔物の腹に剣を突き立てる。
切り裂いた腹の中に手を突っ込むと、何やら掻き回す動作の後に拳大のものを引きずり出した。
心臓だ。
彼は躊躇もせずそれに噛り付く。
実に美味しそうに。
一つ丸ごと食べ終わると、やおら大きな魔物に近づき、そちらの腹も裂いた。
流石にもう見ていられなくて、私は視線をルードに向ける。
「これ、どういう事なの」
ルードは顔をしかめて、そっぽを向いたまま口を開いた。
「あれは対価なんだよ」
「どういう意味?」
ルードは中々答えようとしない。
痺れを切らして私がルードに手を伸ばすと、後ろから声がかかった。
「私からご説明いたしましょう」
振り返った先には、先程の凄惨な光景など無かったかのように綺麗な姿の執事がいた。
あちらに転がっている筈の二体の魔物の姿もない。
恐らく、魔法を使って痕跡を消したのだろう。
「私が魔法を使えるのは、その対価に魔物を食べるからです」
その顔に張り付いた笑みには、自嘲の色が見える。
「昔々、馬鹿な私のご先祖様が魔法を使いたいが為に魔物と『契約』したのです。その対価が、魔物の心臓を食べる事でした。それ以来、代々私の家系は魔物の心臓を食料としているのですよ」
『契約』って、子孫代々受け継がれていくものなの?
てっきり当事者の間だけで他には波及しないと思ってた。
私の疑問に気づいたのか、ルードが補足する。
「『契約』にも色々あってね。その場で終わるものもあるし、子孫にまで続くものもあるんだよ」
「私も若い時分こそそんな『契約』をしたご先祖様を恨みましたが、お陰でルード様の執事としてお傍に仕える事が出来ております。今では感謝の念すら覚えますよ」
当然、彼にも葛藤はあったのだろう。
それを解消したのは時間か、ルードの存在か、あるいは両方か。
いつの間にか立ち上がっていたニコルが口を挟んだ。
「ルードさんに仕えるのって、そんなに良い事ですか?」
またまた王様を名指して失礼千万な事を。
しかしアルは今度は優しく笑う。
「それは勿論。毎日がイレギュラーで埋め尽くされますので、退屈いたしません」
それは良い事なんだろうか。
アルにとっては良い事なんだろうな、きっとそうだ。
不可解そうに首を傾げるニコルの肩を叩いて、私は言った。
「そういう事にしとこう」
「でも」
「とにかく、ここに長居してまた魔物が襲って来ても大変だし、先に進もうか。はい出発」
そうして、私は馬を引いて強引に先に進むのだった。
空気だったアルが、やっと日の目を見ました。




