25.主婦、森を行く
森に入って三日目、私たちは探し物をしていた。
「何でこんな大事なものを入れてくれてないかな。森に入るのに一番重要じゃない」
「だよねえ。余も不思議でならないや。ニックに頼んだのが間違いだったかなあ。あいつ気は良いんだけど、忘れっぽいんだよね」
ルードは全く悪びれる様子もなく、やれやれと肩をすくめている。
人の、というか自分自身の生死に関わるのに、良くそんな呑気でいられるものだ。
「まあ、あれが無くても最悪そのまま飲めば良いんだし」
「あんた、あれをそのまま飲んだ事ある!?」
ルードの肩を掴むには身長が足りなかったので、私はその腕を掴んだ。
「無いけど」
「じゃあ一口でも飲んでみてから言って」
「え、チカは飲んだ事あるの?」
「あるよ」
この世界に来て早々、飲まされましたとも。
メトロさんに魔物じゃないかって疑われて。
「カンタレラは、そのまま飲めるような代物じゃないからバロメッツで割るんでしょ」
という訳で、私たちはバロメッツを探している。
「そのまま飲んだ事がある人に言われると、説得力あるね」
私が手を離すと、ルードは溜め息を吐く。
「何だか、森に入ってから全然敬われてない気がする。余、一応王様なんだけどな」
敬われたいならお城にいれば良いのに。
それが嫌なら、もう少し旅の役に立ってほしい。
この三日間で彼がやった事と言えば、テントの寝心地にケチをつけてニコルにキレられ、ご飯の量が少ないと言ってニコルにキレられ、靴擦れができたと言ってニコルにキレられ。
今では何をやってもニコルにキレられている有様だ。
アルもルードを擁護しようとしたばかりに、ニコルに目の敵にされている。
このパーティで目下最強なのは、寝食の管理をしてくれているニコルなのだ。
でも、テントの寝心地は更に良くなったし、ご飯もルードの分は増やしてあるし、靴擦れの薬も出してあげていた。
ツンデレなのか?
そのニコルは、森の中では意味がないと頭の布を取り去っている。
青い髪の毛が頰にかかり、綺麗な顔に良く映える。
さっきからキョロキョロと辺りを見回しては耳を澄ませるような仕草をしているけど、それで何か手がかりが見つかるのだろうか。
「そもそもバロメッツってこの辺りに生えてるの?」
「あれは森の中に生えているものです。魔力を含んだ土が必要なので」
「そうなんだ」
魔力って土にも含まれてたりするのね。
「森から土を持ち帰れば、鉢植えなんかでも栽培できますけど。煩いのであまりオススメはしません」
「煩い?」
「しっ、静かにしてください」
ニコルは私の口を片手で塞ぐと、もう片方の手で自分の耳に手を当てた。
「聞こえますか? 鳴き声」
言われて、私も耳を澄ましてみる。
しばらくすると、小さくメェェェと聞こえた。
私はニコルの手を口から外す。
「聞こえたけど、あれ、羊?」
「バロメッツの鳴き声です」
「え、バロメッツって植物なんじゃないの?」
「行けば分かりますから。早くしないと実が全部弾けてしまう」
どういう事だかさっぱり分からないけど、とにかく私はニコルについて行った。
後の二人もそれに続く。
少し開けた場所に、一本の木が生えていた。
高さ一メートル程の、細い枝が根元からいくつか伸びた木だ。
枝がキラキラ輝いて見える。
いや、輝いているのは、枝にくっついたフワフワとした綿のようなものだ。
声はその綿のようなものから出ている。
近寄ると、それは綿ではなく、手の平サイズの羊だった。
小さな金色の羊が、木にぶら下がってメェメェ鳴いている。
「良かった、まだいくつか残ってますね。アルさん、ルードさん、お仕事です。弾けてない実を摘んでください」
「えー、余もやるの?」
「当然です。急いでください、実が弾けたら意味がないんですから」
ブツブツ文句を言う主人に代わって、アルが実を摘みはじめた。
「チカさん、そこに空袋がありますから、広げてもらえますか?」
「分かった」
「アルさん、これにバロメッツを入れてください」
「承知いたしました」
私たちに指示を出しながら、ニコルは道具を広げる。
私が持っている袋から一つ実を取り出すと、手で丁寧に皮を剥き始めた。
中からは、眠ったように動かない羊が出て来る。
それをまな板に置いて首をスパッと切り落とすと、横の鍋に首を下にして放り込んだ。
三回程その作業を繰り返してから、ニコルは私を振り返る。
「どのくらい集まりました?」
「十二個だよ」
「それだけあれば暫く持ちそうですね。袋の口を閉じてください」
「でもこれ、中でメェメェ言ったりしない?」
「摘んでしまえばそれ以上熟しませんから、大丈夫ですよ」
それなら安心だ。
私は袋の口を閉じた。
「あ、もう袋閉じちゃったの?」
実にタイミング良くルードが大きな実を持って来る。
ニコルがヒヤリとした視線をルードに送るのが感じられた。
「チカさんにあまり迷惑をかけないで貰えますか」
「う、うん。ごめん」
「良いよ、袋開けるからちょっと待って」
「チカさんも、王様だからってルードさんを甘やかしてると、付け上がりますよ」
私にまでとばっちりが来たじゃないか。
そもそも私を甘やかしまくってるニコルが言うなってセリフだけど。
どうしてそこまでルードを嫌うのか。
「余は何でこんなに嫌われてるの?」
同じ事を考えていたらしいルードに、私は首を傾げてみせる。
ニコルは知らん振りで鍋の中の実を取り上げ、赤黒い液体の溜まり具合を確認した。
改めて見るとちょっと気持ち悪いな。
小さいから何とか見ていられるけど、あれ、羊だよね。
羊の血をカンタレラに混ぜて飲むんだよね。
私が羊を見ているのに気づいたニコルは、笑って言った。
「この毛、綺麗でしょう? そこの王様のお召し物にも使われてるんですよ」
そうじゃない、けど「そうなんだ」と答えて、私はルードの服を見る。
確かにこの羊と同じ色合いの糸が部分的に使ってあるようだ。
「意外と高く売れるんです。今は嵩張るので捨てちゃいますけど」
捨てるなんてもったいない!
まあ、持っていて魔物を斃せる訳でもないし、仕方ないか。
「では、ここでカンタレラを飲んでから先に進みましょう」
やっぱりそうなるよね。
中身を知らなければ何ともなかったのに、知ってしまった後の抵抗感は凄まじい。
怖いもの見たさでカンタレラの原料も聞いてみたいが、今はやめておこう。
ちなみにカンタレラは、真っ白な粉末を水でしばらく煮ると何故か濁った緑色の液体になる。
どんな化学反応が起きているのか、はたまた魔法なのか、見ているだけでは分からなかった。
ルードと私は、なるべく何も考えないように勢い良くカンタレラを喉に流し込む。
ニコルは飲めない。
アルはアレルギーがあるとかで飲まなかった。
こっちの世界にもアレルギーってあるのか。
そりゃそうか、同じ人間だもんね。
魔物に襲われる可能性が増えるのかもしれないけど、飲んで具合が悪くなったら先に進む事すらできなくなるから仕方ない。
私たちは羊の鳴き声に別れを告げ、再び歩き出した。
今回は料理しませんでしたが、バロメッツの果肉? はカニの味がするそうですよ。




