42話 お早いお帰り
床に散らばっていた釘を拾い終えた後、ゆづりは宇宙空間部屋に赴いていた。
ノアが「イルゼを待っている間、茶会でもしようぜ」と誘ってきたのだ。しばらくイルゼは帰って来ないだろうからと。
「ゆづり」
一人白い椅子に腰掛け、アリーセの処置をしているノアが帰って来るのを待っていたゆづり。その最中、背中から自分の名前を呼ばれる。
「ソフィー…」
「はい。こんにちは」
ゆづりが無造作に振り返れば、そこには白衣を纏った美女ことソフィーが緩やかに手を振っていた。
ソフィーの表情はいつものように柔らかく暖かい。瞳も穏やかな日光のように目映い。しかし。
「あの、その格好は一体…?」
ソフィーの服には、普段とは異なり、所々に白い靄がついていた。おそらく雪だろう。数多の雪がソフィーの肩や頭に積もっている。髪もヒタヒタと濡れてしまっていて、ペタリと沈んでいた。
まるで雪遊びでもしていたかのような姿だ。ゆづりが分かりやすく戸惑えば、ソフィーはパッパッと己の髪についている雪を振り払う。
「すみません。先程まで月祈星にいたもので」
「月祈星に…」
「はい。修復の準備ですよ」
「そうですか。その…お疲れ様です」
月祈星は現在、大雪に襲われ壊滅状態になっている。その危機を挽回しようと、ソフィーは一人星を治そうと躍起になっている。
そして、ゆづりも星の元締めである『創造者』に月祈星を元に戻して貰うために、創造者を探しているのだ。
「ゆづりはどうですか」
「え」
「創造者探しは順調ですか」
「それは……」
はっきり答えるならノーだろう。
イルゼとの関係は何とか持てたものの、創造者に関する情報は今のところ得られていないのだから。
「今のところは何も……でも、前には進んでて…」
ゆづりはモジモジとスカートの裾を掴んで、事の顛末を説明する。
かつての火敵星の神である『理想者』や『異端者』の記録を探るために星に降りたものの、イルゼと敵対して散々な目に会ったこと。
長年謎だった現代火敵星の神こと『統治者』がアリーセであると突き止めたこと。
しかし、アリーセは呪いにかけられており、まともに意志疎通が出来ない状況にあること。それを見かねたノアがイルゼとアリーセに手を貸し、現在アリーセの呪いを解こうとしていること。
ソフィーは波瀾万丈なゆづりの話に、驚いた素振りを見せる。そして最後に「それは…大変でしたね」と眉を下げて微笑んでいた。
「やっぱり辛いですか?生きて、色々な星を巡ることは」
「いいえ、別に……。むしろ楽しいです」
「楽しい、ですか」
「はい。何か冒険ってカンジがして色々とワクワクするっていうか……あっでも、創造者探しは真剣にやってますよ。真面目に頑張ってます」
「ふふ。いいんですよ。そんなこと気にしなくても。ゆづりの好きなようにしてくれることが、私にとって一番喜ばしいんですから」
ソフィーはそっとゆづりの手を掴む。そして、一本一本ゆづりの指に手を掛けて、握りしめていたスカートの裾を解放していった。
「ソフィー…」
ソフィーの手は冷たい。冬の日に冷水で手を洗ったかのような寒さだ。
咄嗟にゆづりは、ゆるゆると絡んでくるソフィーの指を握り返す。暖かくなるように。彼女の芯が暖かくなるように。ムギュムギュと。
すると、みるみるソフィーの手が暖かくなっていく。そして、ほんのりと赤く染まり出していた。
「ただいまー!…ってソフィーもいたのか」
ゆづりが夢中でソフィーの指に絡んでいた最中、ノアがやかましく声を上げて、部屋に入って来る。ゆづりがソフィーから目を離して、ノアを振り返れば、彼はお気楽な顔をして、腕にホップなクッキー缶を抱えていた。
「よぉ、ソフィー。元気にしてたか?」
「はい。たった今、ここに戻ってきました。ノアは色々と大変な状況だったそうですね」
「そうなんだよ。今やっと区切りがついたところでさ」
ノアはズカズカと椅子を引き、腰を下ろす。そして、持ってきたクッキーを大胆に皿にぶちまけて、ボリボリと貪り始めた。
まるで仕事終わりに居酒屋で飲み暮れるサラリーマンのような姿だ。よほど憔悴しているのだと見える。まぁ、ノアはイルゼと交戦した上で、口論もしていたのだ。当然と言えば当然なのだろう。
「今はイルゼさんとアリーセさんの仲が改善されるのを待っているんですよね。上手く行きそうなんですか?」
「あぁ。イルゼがちゃんと嘘をつけば、なんとかなると思うぜ」
「……嘘?」
「そうそう。イルゼがアリーセの周りの人を殺してんだけど、アリーセには秘密にしておきたいらしいんだ。で、辻褄の合う嘘をアリーセに話すことになってんだよ」
「…え」
何気なく口を回すノアに対し、ソフィーは唖然としていた。柔和だった頬を硬直させ、紅茶を注いでいた手がピタリと止まる。そして、正気かとでも言うように、ノアのお気楽な顔を見捉えていた。
「ちょっ、ノア……」
ソフィーの反応はごもっともだ。普通の人は殺人なんてしない。人を殺したと聞いたら、誰もが動揺する。少なくとも、こんな茶会で気軽に話すことじゃないはずだ。
ゆづりは余計なことを言うなとノアをキッと睨む。すると、ノアも良くなかったと思ったらしい。即座に口を抑え、「ヤベッ」と青ざめていた。
「これはアリーセには内緒な。頼むぜ」
「はい。分かりました」
ソフィーは自分の口元に人差し指を立てる。加えて、困ったように苦笑して、顔を伏せた。
お気の毒だ。ソフィーはイルゼとアリーセには何の関係がないのに、ノアの一言で巻き込まれることになるなんて。
「気を付けてよ、ノア。アリーセには絶対言っちゃダメだからね」
万が一、イルゼとの約束を破り、アリーセに事実を漏らしてしまったら、イルゼはまず怒るだろう。下手したら、もう一度険悪な関係になってしまうかもしれない。
そんなことになってしまったら、ゆづりの創造者探しに支障をきたす。それにノアの要求である月祈星の修復にイルゼとアリーセを付き合わせることも、おそらく難しくなるだろう。それだけは勘弁被りたい。
「あいあい、分かってるよ」
杞憂するゆづりに対して、ノアはもう話を逸らしてしまいたいらしい。ズルズルと音を立てて紅茶を啜り出す。
ゆづりとしてはそんな適当に流さないで欲しかったが、言ったところでムダだろう。ノアのお喋りな気質など、一回二回注意したところで治りゃしない。彼が余計なことを喋らないように祈るだけだ。
本当にこの先やっていけるのかと心配が解けないままのゆづりに、助け船を出したのはソフィーだ。彼女は優雅に紅茶を注いだカップをゆづりの前に滑らせながら、「でも」と口を開く。
「嘘とやらがアリーセさんに発覚しても、ノアにとってはそこまで問題はないでしょうけどね」
「えっ」
「ノアは魔法の腕がいいですから、都合の悪い記憶を消すとか、そういう魔法も使えるのでしょう」
「そ、そうなの?ノア?」
「まぁ、出来ないことはないな」
ノアはそこまで自慢する気はないらしい。やけに淡々としている。が、しっかりと肯定はしていた。自分は人の記憶を封じることが出来る、と。
それなら、ノアが下手に物を話してしまっても問題はない。おそらく無いとは思うが、ゆづりがヘマをしたときもノアの魔法に助けてもらえる。
ゆづりは最悪な状況に対しての保険が出来たことに、ほっと安堵のため息をつく。そして、ソフィーに薦められるまま茶菓子を口に運んだ。
イルゼはしばらくは帰って来ない。百年もの間、アリーセと会話出来ていなかったのだ。とても数分で会話が済むとは思えない。
だから、このままのんびりイルゼの帰宅を待とうとリラックスしようとしたのだが。
「何をしている」
不意に穏やかな茶会に、怒鳴り声が入り込んだ。
あまりにも場違いな大声に、ゆづりは肩を揺らし、ソフィーは眉をひそめ、ノアは椅子から飛び上がる。
そして、三人同時に声のする方を振り返って、それぞれ手を止めた。
「帰った。さっさとアリーセ様の治療をしろ」
宇宙空間部屋と廊下の境目に、イルゼがいたのだ。
彼は何しているんだと言いたげな顔で、こちらをジロリと睨んでいた。
登場人物
ゆづり…主人公。八星を作ったとされる『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神。ゆづりの創造者探しに協力してくれている。
アリーセ…火敵星の神。イルゼのことが好き。
イルゼ…火敵星の魔族。アリーセの眷属。
ソフィー…地球の神。ゆづりを不死の体にした。




