41話 真実は誰が知るか
体が動かない。動かせない。
アリーセの体は軽い。だから、その気になれば、イルゼは彼女のことをいつでも突き飛ばせるのに全く体が動かない。
アリーセの怒りを灯した目と、力強く胸ぐらを掴むその手に、思考が停止してしまっていた。
口を半開きにさせたまま、呆然とアリーセを見上げるイルゼ。アリーセはイルゼから先ほどの質問の返答がなかったことにご立腹らしい。両手でイルゼの頬を包み込み、呼吸音を感じ聞き取れる程、顔を近づけてきた。
「ねぇ、イルゼは何処に行くつもりなの」
「………」
「答えて」
「……ま、まだ決まっては…ただ貴方の傍から離れようとしか…」
「ふーん。どうして?」
「……そ、それは…」
言えない。
アリーセの強力なプレッシャーにまたもイルゼは負けそうになるが、ぐっと堪えて歯を食い縛る。
アリーセは頑固な態度を示すイルゼを無言で見下ろす。そして、己の出す圧がイルゼに通じないと分かるや否や、はぁと溜め息をついてイルゼの頬から手を離した。
「それって、イルゼが私のお兄様やお姉様たちを殺したから?だから、私の傍に居られないって思ってるの?」
「…………は?」
アリーセは今、何と言った。
私の兄姉を殺したと、そう尋ねてきたか。まるで全ての真実を知っているとでも伝えるかのように、今、アリーセが、そうやって。
「な、なんで…」
あり得ない。そんなワケがない。
イルゼがアリーセの親族を皆殺しにしたことを、アリーセが知っているわけがない。あの現場をアリーセが見れたわけが無いし、イルゼが話したこともないのだから。
それなのに、何故アリーセはイルゼの所業を把握しているのか。そうイルゼが愕然と目を見張る前、アリーセは薄く微笑んだ。
「知ってたよ」
「…………え」
「知ってた。全部知ってたよ。私が神になったことも、お兄様も、お姉様も全員、とうの昔に亡くなってることも」
「ど、どう、して……」
「だって、呪いに掛かっていた間も、頭はちゃんと動いてたもん。声が出なかったり、体が思い通りに動かなかったりしただけだよ。何が起こったのかは、ちゃんと把握してた」
唖然とするイルゼに、アリーセは淡々と事実を告げる。
呪いにかけられ、会話は封じられてしまったものの、脳機能が低下していたわけではないため、周りの事情は読み取れたこと。
時折城を出て、周りを見て回っていたこと。その時に家族が皆いなくなっていることを知り、自分の体に何が起こったのか悟ったこと。
つまり、アリーセは全て知っていたのだ。
イルゼがアリーセの家族を抹殺したことも、その上でアリーセを神にして、百年もの間無駄に時を重ねていたことも、全て。
「…そ、そんなのおかしい…あり得ない」
しかし、イルゼは受け入れられない。
アリーセの説明を受けても尚、イルゼは彼女の話を理解できない。
「どうして?」
「だって、私のしたことを把握されていたのなら、どうして私に何もしなかったのですか?私は歴史に名を残すような殺人犯で、百年もの間、貴方を閉じ込めていたんですよ?そのことに気付いていたのなら、さっさと私を拒絶していたはずでしょう」
イルゼがアリーセの家族を殺したと知っていたのなら、何故アリーセはイルゼに何もしなかった。
普通ならイルゼのことを殺人犯だと罵り、拒むのが普通だろう。それなのに、アリーセは何もしなかった。ただじっとイルゼの隣に寄り添って、離れようとするとスボンの裾を掴んでくることしかしなかった。
イルゼの震えた吼えに、アリーセは大きな目を更に大きくさせる。そして、パチパチと瞬きをした後に、またも大きなため息をついた。
「………バカじゃないの」
「え」
「好きだからだよ」
「……は?」
「私はイルゼのことが好き。だから隣にいた、一緒にいた。それだけだよ」
アリーセは恥じらうことも、間を置くこともない。自然な流れでイルゼと目を合わせ、イルゼの心を射貫いてきた。
お前が好きだという、真っ向な告白を以て。
「冷静そうに見えて感情な所が好き。お料理が上手で、いつも私の食べたいものを聞いて作ってくれる優しいところが好き。私の前では敬語にする必要もないし、恭しく接する必要はないよって言ってるのに、癖になってるから直せないっていう、ちょっと不器用なところが可愛い。それでいて…」
「も、も、もっもう大丈夫です!お心は分かりました、充分伝わってきておりますので…」
「いいや、まだまだ話足りてないよ」
「じゅ、充分です!これ以上話されたら私の心臓が止まります!」
イルゼは咄嗟にアリーセの口を抑える。そして、反対の手で己の胸元を開けると、ぶり上がってきた熱を冷ます。
本当にこの方は急に何を言い出すのだ。お陰さまでイルゼの顔は林檎のように真っ赤に染まり、頭は脳ミソが沸騰したかのように蕩けきっている。もうまともにアリーセのことすらも見れない。
一方、アリーセはイルゼが初めて触れて来たことに満足したらしい。嬉しそうに口を覆うイルゼの手を掴みとり、己の胸へと移動させていた。
「私はイルゼと生きていたい。その願いを叶えるために、多くの人が犠牲になろうが知ったことじゃない。親が死のうが、兄姉が殺されようとどうでもいい。だって、私が大事なのはイルゼ、貴方だけだもん」
「………私が、一番…」
「うん。だから、イルゼが私を神にしてくれて、命を救ってくれてすっごく嬉しかったよ」
「え」
「やっと言えるね。助けてくれて、ありがとうって」
アリーセはイルゼの心臓の上に顎の乗せて、ニコニコと微笑む。
そこには自分の家族が殺されたことに対する怒りや悲しみの痕跡はない。いや、それどころではない。彼らに感心すらないとでも云うように、何の感情も乗っていない。
アリーセの瞳の中にいるのは、イルゼだ。そして、彼女の心を占めているのも、またイルゼで。
「……私のことを許して下さるのですか」
「許すも何も怒ってないよ」
「…私は貴女の傍にいても、いいのですか」
「逆。私の傍にいないと許さないよ」
アリーセは細い指でピンとイルゼの頬をつつく。
愛くるしい仕草にイルゼはふっと視線を下ろして、情けなく笑った。あぁ自分はバカだった、愚かだったと。
あんなにアリーセの隣にいたのに、彼女のことを何も分かっちゃいなかったと。
「アリーセ様。私は先程、嘘をつきました。なので、撤回してもよろしいでしょうか」
「いいよ」
アリーセはイルゼが何を言う気なのか、既に悟ったらしい。ニマニマと悦に浸った顔で、イルゼのことを見つめている。
本当に強かな方だ。流石、王族の姫様だ。
イルゼはアリーセの賢さと自信に苦笑しながらも体を起こし、彼女を自分の太股の上へと導く。すると、アリーセは下からイルゼの顔を覗いて、先程と同じ質問をしてきた。
「ねぇ、イルゼ。貴方はこれから何処に行くの?」
「いいえ。私は何処にも行きません。一生、貴女の隣にいます」
イルゼは前を向く。アリーセの勝ち気な瞳に負けぬよう、しっかりとアリーセを見返して、固い意思を伝える。
すると、アリーセは即刻、「よろしい」と支配者らしく微笑んだ。そして、そっとイルゼの頬に手を伸ばす。
ひたりと伝う、人肌の温度。イルゼが照れくさくなって目を細めれば、アリーセはそっと顔を近づけてきた。
直後、アリーセの柔い唇がイルゼへ口に重なる。
火敵星の神の座は、いつの間にかアリーセからイルゼへと譲られていた。
登場人物
イルゼ…アリーセの眷属兼付き人。アリーセの親族を皆殺しにした。
アリーセ…火敵星の神。呪いに掛けられ、意識不明の状態が百年続いていた。




