40話 姫の反乱
自分は中途半端だ。
イルゼは下を向いたまま、虚ろに嗤う。
『好きなら死ぬ気で過去くらい隠しきれ。守れ。取り繕え。嘘をつけ』
ノアに怒鳴られたセリフが脳内を巡る。
アイツは本気で出来るのだろう。息を吐くように嘘をついて、何食わぬ顔で元の関係に戻れるのだろう。きっとアイツがイルゼと同じ立場だったら、アリーセの手を拒むことはせずそのまま受け入れていたのだろう。
しかし、イルゼにそんな度胸はなかった。
アリーセを前に、彼女を騙そうとする意思が消え失せた。そんなことはしてはいけないと、本能が怯えていた。
「………え。どうしたの、イルゼ」
己の拳を握りしめたまま、一切動かないイルゼ。その原因が自分にあるとは微塵も思っていないであろうアリーセは、呆然に明け暮れる。
彼女の手は相変わらず虚空で漂ったままだ。そして、その奥にある彼女の顔はイルゼが殺した兄姉たちが見せた今際の表情によく似ている。絶望に染まっていた。
「イルゼ……」
「すみません。少々取り乱しました」
イルゼは下げていた顔を上げると、不自然に開いていたアリーセとの距離を埋める。
が、アリーセの手を掴むことはない。ギリギリ触れられない距離で留めて、口で「アリーセ様」と応えるに留めた。
「唐突で申し訳ありませんが、私の話を聞いて下さいますか」
「………いいよ」
アリーセは怪訝そうな顔をしたものの、コクりと頷く。イルゼは話を聞いてもらえることにまずは安堵し、久方の再会で熱くなった脳を冷ます。
最初の予定通り、アリーセに本当のことは言わない。
イルゼが貴方の全員家族を殺しました。だから、貴方は火敵星の神となって今も生きてます。なんて言ったら、間違いなくアリーセが苦しむ。だから、嘘はつく。
そして、無事にアリーセから神の座を預かり、呪いを解くことが出来たら、彼女が何気ない日常を送れるようになったら、イルゼはアリーセから離れよう。アリーセから距離を取ってしまえば、イルゼの吐いた嘘はバレることはないだろうから。
吐いた言葉が嘘だと発覚する時は、罪悪感に負けたイルゼが全てをゲロる以外、あり得ないのだから。
頭が冷めて、しっかり回る。イルゼは小さく息を吐いた後、まっすぐにアリーセと向き合った。
「貴女は戦地に赴いた際、魔族に呪いに掛けられてしまってます。放っておけば死に至る悪辣な呪いを、一介の魔族に」
「うん。もちろん覚えてるよ。すごい苦しかったからね」
「現在、その日から百年経ってます」
「え」
「アリーセ様は呪いに掛かってから百年もの間、意識が朦朧としたままだったのです」
正確には百年と一ヶ月だ。
とんでもなく長い間、アリーセはまともに話せないまま、ろくに動けない状態が続いていた。
アリーセは膨大な時の流れに愕然としたらしい。己の腕に咲いている黒花の呪紋に触れて、可憐な目を見開いていた。
「貴方はお父様から火敵星の神の座を譲り受け、不老不死の体になっています。ですが、呪いを解かぬまま神になってしまったので、百年もの間老いも死にもしないまま、眠り続けていた。そして、その間にも呪いを解く方法が見つからず、百年もの時間が経ってしまいました」
「……そう、なんだ」
「ですが、今は呪いを解けます。治して下さる方が見つかったのです。なので、まずは私に神の座を預けて下さいますか?そうしないと、呪いが解けないもので」
ここからが本題だ。
アリーセの呪いを解くには、彼女から神の座を奪う必要がある。だから、アリーセから神の座を預かれる程の信頼を得られなければ、話が進まない。
残念ながら、現在既にアリーセからイルゼへの信頼はゼロだろう。目を覚ましていつも通り名前を呼んだら、号泣されて、伸ばした手は拒絶されたのだ。嫌われていてもおかしくはない。
イルゼはここから挽回しないといけない。だから、まずはどうやって呪いを解くのか具体的に説明して信用を得ようとした。が。
「神の座を?分かった。いいよ」
「…えっ」
「呪いが解けるなら何でもいいよ。どうすれば神の座を渡せるの?」
アリーセは困ったように笑いながら、腕を差し出した。その仕草はあまりにも無防備で、こちらを信頼しきっている。信じてしまっている。
「……いいのですか。そんな簡単に神の座を預けてしまっても。神の座を亡くしたら、今は止まっている呪いが再び進行し出します。なので、下手したら死ぬかもしれないんですよ」
「うん。いいよ。イルゼが言うなら大丈夫でしょ」
「…………」
アリーセはイルゼを疑うつもりがない。全面的にイルゼを信じている。頼っても平気だと。イルゼはアリーセに虚偽は述べないと。
しかし、イルゼは信頼されるに足る人物ではない。
イルゼは、アリーセを神に仕立て上げるために、彼女の親族を皆殺しにした。アリーセの呪いを解くのに躍起になって、大量の魔族を葬った。そして、現在進行形で、彼女に嘘を伝えている。
そんなに大きな信頼を寄せられるような、人格者からはかけ離れている。
「……ありがとうございます。なら、早速神の座をお預かりします」
罪悪感がギリギリと胸元を締め付ける。嘔吐感も込み上げてきて、もう吐きそうだ。
しかし、抑える。本音を吐いてしまいたい衝動を呑み込む。イルゼは微笑を浮かべて、伸ばされたアリーセの腕に手を伸ばした。
神の座は、神がその人物に触れれば譲渡出来ると、ノアから聞いた。だから、アリーセとイルゼの手を重ねて身を委ねて貰えれば、神の座はイルゼに移る。
アリーセにこんな汚い手で触れたくない。が、アリーセを救うためだ。イルゼはそっとアリーセの熱を感じようとして。
「ねぇ。神の座を渡す前にさ、一個だけいい?」
アリーセに腕を掴まれた。ガシリと逃がさないというように、力強く。
そりゃ聞きたいこともあるだろう。急に百年寝てただの、神の座を寄越せだの言われたのだ。イルゼはアリーセの質問に全て答える義務がある。
だから、イルゼは間を置くこともなく「どうぞ」と答えて、手を引っ込めた。
「イルゼはさ、これからどうするの?」
「……え」
「これからも、私の傍にいてくれるんだよね」
アリーセは俯いていて、顔は見えない。だが、口調から台詞から彼女の心情は読み取れた。寂しさと少しの疑心、そして、イルゼから期待どおりの返事を得ようとする縋りを。
アリーセは鋭い。彼女はおそらく、イルゼの気持ちを呼んだのだろう。
アリーセの呪いを解いたら、イルゼは彼女の元から立ち去ろうとしているその意思を。
相変わらず賢い方だ。人のことをよく見ている。イルゼは心中感心して、畏れを覚えてしまった。が。
「……傍におりますよ。貴方の近くに」
何食わぬ顔をして、首を降った。そして、アリーセの推論を真っ向から否定する。
ここで素直に貴方の隣からは離れる算段ですと話したら、アリーセはまず怒るだろう。そしたら、神の座も譲ってもらえない。それだけは避けたい。アリーセの呪いは絶対に排除したい。
イルゼは質問はそれだけかと、無造作にアリーセを顔を覗き込む。そのせいで。
「嘘つき」
アリーセの瞳と、目が合った。怒りと失望がドロドロと渦巻いている、深い闇を抱えた瞳と。
すぐに気付いた。アリーセの逆鱗に触れてしまったと。地雷を踏み抜いてしまったのだと。
背筋が凍る。体が強ばる。何も言えない。言葉が出ない。
イルゼが我を忘れたその隙に、アリーセはドンと強くイルゼの胸を突き飛ばす。そして、無防備に腹を晒して倒れたイルゼの上に馬乗りになった。
「イルゼ。貴方、何を考えてるの」
心臓を支配するかのように、アリーセがイルゼの胸ぐらを掴む。
満天に広がる青空を背景にこちらを見下ろす彼女は酷く歪んでいて、イルゼの心を震え上がらせた。
登場人物
イルゼ…アリーセの眷属兼付き人。アリーセの親族を皆殺しにした。
アリーセ…火敵星の神。呪いに掛けられ、意識不明の状態が百年続いていた。




