38話 イルゼ=カペル
イルゼがアリーセと出会ったのは、イルゼの家族が全員殺された時だった。
殺された理由は知らない。どうせ、イルゼたちが魔族だったから殺してもいいと思ったとか、そんなところだろう。
運良くか悪くか、イルゼが森を出て買い物を済ませ、家に帰ってきた時には殺戮は終わっていた。
火が放たれたのか、家は廃材と化して無くなっていた。
父は撲殺されたらしい。頭が潰されて外に寝ていた。
母と妹二人は炎に呑まれたのか、真っ黒に焦げた状態だった。その上で十人程度のニンゲンに、ノコギリで四肢を切られたり、肌を削られたりと弄ばれていた。
幼いイルゼでも、すぐに状況を理解できた。同時、今まで感じたことの無い怒りと悲しみがこみ上げ、その全ての感情をニンゲンにぶつけた。
持っていた紙袋を投げ捨て、手から糸を出す。そして、作り出した太い糸でノコギリを持っていたニンゲンの腕を切断した。近くにあった腹にも、何十もの細い糸を通して穴を開けた。逃げ惑うヤツの足を膝上で切った。
怒りに任せた攻撃に、ニンゲンたちは怯む。次々と命を散らす。が、すぐに我に返ったようで、武器を持つとイルゼに襲いかかって来た。
幼い頃でも、イルゼは強かった。今と遜色無い程度には、仕上がった武力を持っていた。
といっても、十人相手に圧倒できる力は流石にない。ジワジワと勢力を取り返したニンゲンたちに、劣性に追い込まれてしまう。
そして、このまま押し切られて、自分も家族の隣に並ぶのかと覚悟を決めた瞬間。
「よくないよ」
唐突にニンゲンたちの首が十個飛んだ。誇張ではない。同時に十個もの生首が、イルゼの目前を飛んだのだ。
「………は…」
死んだ。いきなり死んだ。
イルゼは鮮やかなほど綺麗に断絶された首を見下ろす。そして、気絶するように地面にしゃがんだ。
力が抜けた。あまりにもグロテスクな光景と、もう死ぬことはないだろうという緊張の緩和で、イルゼの魂はどっかに飛んで行ってしまっていた。
しかし、すぐに彼女の意識は現実に引き戻される。
「大丈夫?」
鈴を転がすように美しい声が、イルゼの視線を上へ誘導した。そしてまんまと目を向けたイルゼは、その姿を目に入れる。その瞬間、意識を全て目の前の人物に奪われたのだ。
リンゴのような艶のある赤髪。芽吹いたばかりの葉のような柔和な緑。フリルや刺繍が施された豪奢なドレス。
誰が見ても美しいと称賛し、人によってはその瞬間恋に落ちるであろう容姿。
しかし、イルゼにとっては彼女の美貌などどうでもよかった。
そんなことよりも、彼女の頭に角が無く、背中に羽も無く、目に鋭い瞳孔もない、ごく普通のニンゲンの容姿をしていたことに目を見張ったのだった。
「ニンゲン……?」
「うん。そうだよ?」
ギョッとして立ち上がったイルゼに、目の前のニンゲンは小首を傾げる。まるでそんなことがどうしたんだと言っているような仕草だ。
しかし、イルゼにとってはその人の種族ほど最重要事項なものはない。
ニンゲンと魔族は仲が悪い。だから、イルゼを助けたのは、通りすがりの魔族だと思っていた。
間違ってもニンゲンが助けてくれたなんて、微塵も想像していなかった。まだ、イノシシやカエルが手を貸してくれたというほうが信じられる程度には。
「お前……なんで助けた?」
イルゼは傷ついた体に鞭打って、相手に立ち向かう。
一介のニンゲンが魔族に手を貸した。そんなの、何か企んでいるとしか考えられない。例えば、会話をすることでイルゼを油断させて殺しやすくする、とか、この間に更にニンゲンを呼んできてイルゼの家族以外の魔族を根絶やしにしようとしている、とか。
獰猛な獣のように殺意を向けるイルゼに、ニンゲンは呆気に取られた顔を見せる。しかし、すぐに何が面白かったのか、ケラケラと笑いだした。
「なんでって、そんなの貴方が殺されかけてたからに決まってるじゃん」
「………意味が分からない。私は魔族でお前はニンゲンだ。助けるならニンゲンの方だろう」
「そうなの?私が見た限りでは、あの人たちを擁護する点が見つからなかったよ。どうせ鬱憤晴らしに手を出しただけだろうしね」
このニンゲンは人ではなく、状況を見てイルゼを助けると判断したらしい。
今思えばそれだけのシンプルな理由だったが、当時のイルゼには全く理解出来なかった。それくらい魔族とニンゲンの溝は深く、陰湿なものなのだ。
「貴方が魔族だろうがニンゲンだろうが関係ない。被害にあってる方を助けた。それだけだよ」
「はぁ…」
「っていうか、そんなことよりすべきことがあるでしょ?」
「……すべきこと?」
「名前だよ、名前!私はまだ貴女のこと知らないんだけど」
「………」
何を言っているのか、微塵も分からない。
イルゼは全く読めない会話の展開に、我を忘れて立ち尽くす。
が、目の前のニンゲンはイルゼのことなどお構い無しだ。はらりはらりとスカートの裾を揺らして、こちらの顔を覗いてきていた。
「私の名前はアリーセだよ。アリーセ=カルク。貴方のお名前は?」
「……イルゼ…」
イルゼはニンゲンことアリーセの圧に負け、本名を告げてしまう。すると、アリーセは何度も何度もイルゼと呟き出す。そして、「素敵な名前ね」と微笑むと、そっと手を差し出してきた。
「………?」
またも意味が分からない。この手はなんだ。何をしたいんだ。
イルゼが怪訝な顔をしてアリーセの顔を見つめていれば、彼女はもうと小さく息を吐く。そして、ダラリと垂れていたイルゼの手を掴むと、己の指と絡み合わせた。
握手だ。コイツ、自分と手を繋ぎたかったのか。
イルゼは予想外の行為に呆けてしまうものの、すぐに我を取り戻す。
「これからよろしくね、イルゼ」
そう言って笑う、アリーセの眩しさに当てられた。優しい笑みのはずなのに、太陽をも負かすような熱と存在感を放っているアリーセに何もかもを奪われて。
イルゼはいつの間にか、一人の人間に恋をしていた。
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あの出会い以降、アリーセはたびたびイルゼの住む森にやって来ていた。
彼女はどうやら王族という偉い身分を持っているらしく、来る度来る度、人目を避けて城を抜け出したと語っていた。
ちなみに、あの出会いの日もアリーセは城から抜け出して森に遊びにいていたらしい。
「王城は退屈だよ。まともに剣も握れないからね」
アリーセはよくそう言っていた。話を聞く限り、アリーセは王城だと剣の鍛練どころか、剣を持つことすらも憚られるらしい。それに反抗するようアリーセは剣片手に城を抜け出し、イルゼの元で練習している。
「強いのに勿体ないな」
アリーセが剣で獣を刈る姿を見たイルゼの感想も、いつもこれだ。
イルゼは剣術など毛ほども知らぬが、それでもアリーセの腕がいいことは人目でわかった。真っ直ぐな太刀筋、少し目を瞑ればたちまち見失う剣筋、しっかりとした体感。
虫一匹殺せぬような可愛らしい顔をしているのに、実際は己より数倍ある害獣にも恐れを知らずに突っ込んでいく。
その途中、ヒラヒラのドレスも鬱陶しいからと裾を剣で切ることもよくあることだ。その結果、城のニンゲンに怒られたとぼやくのもルーティンの内。
「イルゼが王城に来てくれたらいいのに」
「私は魔族だ。ニンゲンの巣になんて行けるわけがないだろう」
「えーじゃあ、理由を作ったら来てくれるの?」
「出来たらな」
冗談だと思った。身分もなければ教養もない、野蛮な魔族なんかを城へ招待するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。
だが、アリーセは本気だった。あれから一ヶ月姿を消したと思ったら、次の再開の日彼女はこう言った。
「さっ、城に来て」
「……はぁ?」
「前に言ったでしょ、城に来て欲しいって!」
混乱するイルゼをよそに、アリーセはどんどん話を進めていく。
王族のニンゲンには、一人に一人、付きっきりで世話をして貰う付き人が存在しているらしい。付き人は軽い審査はあるものの、一応誰でも指名してもいいことになっていること。
だから、アリーセは付き人にイルゼを指名した。そして、既に現王である父から、イルゼを付き人にすることを許してもらったらしい。
「イルゼは私の付き人に選ばれました。だから、私と一緒に城に住もう」
「バ、バカじゃないのか?!そういうのはニンゲンがやる仕事だろ?!」
「うん。実際、魔族の人を付き人に選んだのは私が初めてらしいよ」
「なっ……今すぐ他の人を選べ!」
「いやだよ。私はイルゼに傍にいて欲しいんだもん」
「だからって……」
そうホイホイとついて行っていいのか。人間の素窟の象徴である王城なんかに。魔族であるイルゼなんかが。
「ね、おいでよ」
「………」
はいと頷くには、懸念が多すぎる。だから、イルゼは即答しなかった。できなかった。
しかし、アリーセはそれが気に入らなかったらしい。狼狽えているイルゼの腕をガシリと捉える。そして、そのままイルゼの顎を掴み、無理矢理目線を合わせてきた。
「なら、イルゼは私が他の人と暮らしてもいいの。何処の馬の骨だが知らない人と仲良くしててもいいの?」
「そ、それは……」
ノーだ。嫌に決まっている。
アリーセが他の人と仲睦まじく会話しているのを想像しただけで、イルゼの心はドロドロとした嫉妬心で燃え上がるというのに。
「ね、イヤでしょ?私と一緒にいたいでしょ?」
「ま、まぁ…それはそうだな…」
「なら、私の付き人になってよ。それとも、私と一緒はイヤ?」
「……もう…」
ズルい人だ。己の価値を知っていて、イルゼがそれを否定出来ないことは分かっているだろうに、わざわざ口で言わせるなんて。
「分かった。アリーセの付き人になるよ」
「やった!」
イルゼがアリーセの意思にまたも負けて頷けば、彼女はその場で跳び跳ねる。そして、両手を天に掲げ、熱烈な笑顔を見せた。
もう十八歳近くになるのに、随分と子供らしい仕草だ。イルゼは眉を下ろして、眩しいものを見るかのように目を細める。
「ねぇ、イルゼ」
「ん?」
「はい」
唐突に、アリーセが手を差し述べる。太陽の日を浴びてヒラヒラと光る白い腕。その元にあるアリーセの無邪気な顔。
見覚えのある光景だ。
イルゼはそっと、伸ばされたアリーセの手を握る。すると、アリーセは満足げにふんと鼻を鳴らしていた。
「イルゼ。これからもよろしくね」
「あぁ」
「それと、ずっと私の隣にいてね。約束だよ」
「……あいあい」
アリーセはイルゼの手を口元まで運ぶ。そして、手の甲に軽くキスをした。加えて、あぁも真摯な想いをぶつけてくるものだから、イルゼの心はもう滅茶苦茶だ。
今にも沸騰しそうな顔を抑えて、人の言葉を発せた時点で上出来だろう。アリーセはむっと頬を膨らませていたが。
「もう、適当な返事をして」
「………それは、もう…お前のせいだろ」
「えぇ?!」
イルゼはこれ以上流されて堪るかと、アリーセから顔を背ける。背後からはアリーセがギャアギャア喚く声がしていたが、返事はしない。振り返ったら真っ赤になった顔を見られてしまうし、声を出したら上ずってしまうだろうから。
と、イルゼは声にも態度にもアリーセへの好意は出さなかった。しかし、心の底には彼女への強い想いがあった。本気でアリーセを守りたい。彼女との日々が何処までも続き、彼女が幸せになれたらいいと願っていた。
だから、殺した。アリーセを助けるため、彼女の親族を奪い、父親を死に追いやった。そして、血で染まった神の座をアリーセに与えた。
彼女に生きていて欲しい。その一心でアリーセの全てをイルゼは殺した。
登場人物
イルゼ…火敵星の魔族。アリーセの眷属。
アリーセ…火敵星の神こと『統治者』。百年もの間、呪いに掛けられていた。




