36話 集めたピースの正解を 下
アリーセを救うために、多くの人を手に掛けたイルゼ。
彼の口から告げられたやるせない過去に、ゆづりは同情から無言を貫く。
が、ノアは納得できないことがあるようで、「それなら」とさっそく口を開いていた。
「なんでアリーセの呪いを解くことを拒否したんだよ。俺様の腕が信用できないってか?」
「…それも勿論あるが、第一はアリーセ様のことだ」
「……は?呪いが解かれて、アイツに不都合なことがあるのかよ」
ノアは怪訝そうな顔をする。
呪いを解きたくて昔は頑張ったのに、何で今は解きたく無いんだ。頭上にクエッションマークが浮かんでいる。
が、アホ面をしていたのも束の間。すぐに答えが浮かんできたらしく、露骨に目を見開いてイルゼに突っ掛かっていた。
「まさか、呪いから解放されたアリーセが、お前の蛮行に気づくかもしれないからとかじゃないよな」
「ノア、それって…」
「今の状態のアリーセにはまともな感覚は無いだろ?だから、イルゼの犯行がアイツにバレてない。でも、元の状態に戻ったら隠してたことが露見するかもしれない。だからアリーセを治さないのかっていう話」
「……なるほどね」
自分が殺人犯ということがバレたら、アリーセに嫌われてしまう。だから、自分の過去は彼女には知られないでいたい。
何も難しい感情じゃない。すんなりと納得はできる。
しかし、しっくりとはこない。
あぁも一途にアリーセに生きて欲しいと願っていた人が、自分が疎まれてしまうからごときで、彼女の自由を奪うとは思えないのだ。
「……」
ゆづりは静かにイルゼに視線を送る。ノアの言う説明では無いのではという、淡い期待を込めた眼差しを。
すると、イルゼは予想通り首を降った。加えて、口でも「違う」とはっきり否定する。
「アリーセ様のためだ」
「……と、いうと?」
「アリーセ様が数多の犠牲の上に生きていることに気づいたら、どう思う。己が生きていることに罪悪感を持ち、必要のない葛藤に魘されることになるだろう」
「まぁ、それはそうかもしれないが……呪いに苦しむよりはマシじゃないのか」
「いいや、アリーセ様に掛けられた呪いは既に薄れていて、本人に苦痛は与えていない。声は出せないようだが、意志疎通も出来ている。だから、下手に呪いを解いて真実を知られるより、このままの方がいいと考えた」
ノアは返す言葉を失ったのか、ポカリと口を開けて固まる。
ゆづりも何と言ったらいいのか分からず、無言で俯くしかなかった。
ここでイルゼが期待を裏切り、アリーセに嫌われるのが嫌だから事実を隠しておきたい、など弁明していたら、自己中だの我が儘だのと容赦なく責められた。
しかし、イルゼは違った。
自分は軽蔑されても、殺意を抱かれても構わない。ただ、アリーセが今生きていることに、責任や重圧を感じさせるのが嫌だと訴えている。
「………」
だからといって、アリーセのこのままにしておくことが正しいのか。満足に動けず、喋れず、表情すらも変えられない今を、続けることが彼女のためなのか。
分からない。これからどうするのが正解なのか、何も言えば花丸がもらえるのか見当もつかない。それはゆづりだけではないはず。
そう思っていたが。
「そんなの簡単だろ」
この重々しい雰囲気を断ち切ったのは、ノアの一声だった。
彼は場にふさわしくないくらい、能天気な顔をして首を傾げる。
「なんで悩むことがあるんだよ。お前の人殺しをアリーセに隠しておけば済む話だろ」
「………は?」
「だーかーらー!今、アリーセが神の座にいるのは、多くの人の命を踏み潰しているからってことを隠すんだよ。それなら問題ないだろ」
暴論だ。少なくとも、そんなに堂々とした態度で話せるような解決策じゃない。
まず、自分の犯した過ちを相手に隠しておくなんて、倫理的に良くないだろう。それに、嘘をついたとしてもバレない保証はない。一回隠した後に真実が露見してしまったら、心証が悪いどころの話ではない。
イルゼもゆづりと似たような思考を辿ったのか、呆然と立ち尽くした後、ノアに突っかかっていた。
「アリーセ様に嘘をつけと?」
「そうだよ。バレなきゃいいだけだからな」
「……アホか。そんな簡単に行くわけ…」
「行かせるんだよ!」
イルゼの弱々しい主張を、ノアが真っ向から否定する。
イルゼはノアの剣幕に面食らったのか、ピタリと動きを止めてしまう。すると、その隙にノアが彼へにじり寄り、青い瞳で彼の全てを捉ていた。
「いいか、過去なんて簡単に隠せる。ましてや百年前のことだろ。誰もお前のやったことを目撃している人間はいない。みんなとっくに死んでるからな」
「それはそうだが……」
「アリーセの兄姉が全員居なくなった理由だって、いくらでもこじつけられる。寿命とか戦争とかでな。律儀にお前の殺人のことを話す必要なんてない。嘘をついてもどうだ。バレやしないだろ」
殺人の記録を消して、適当な嘘をついて。
まるでちょっとした細工をすれば問題はなくなるとでも言うかのようにノアは語る。
でも、実際はそんな簡単にはいかない。嘘をつき続けて偽りの幸福を作り出せなんて、相当の根性と信念がないと挫折してしまう。嘘をつき続けている自分が壊れてしまう。
しかし、ノアはそれを強いている。まるで洗脳でもするかのようにイルゼに迫っている。嘘をつけ、お前が背負えと。
その瞳には長年熟成されたようなおぞましい狂気が渦巻き、見たものを引摺りこむような危うさがあった。
「アリーセに生きてて欲しいんだろ?もう一回、普通に喋って笑って見て欲しいだろ?お前はあんな状態で生き長らえているアリーセが好きなのかよ」
「そんなワケがないだろう!でも」
「でもじゃない。好きなら死ぬ気で過去くらい隠しきれ。守れ。取り繕え。嘘をつけ」
「……」
「俺様なら絶対アイツの呪いを解ける。約束する、絶対だ。あとはお前がアリーセを守ってやれば、もう何も問題はないだろ」
ノアは言いたいことは言いきったらしい。高ぶっていた感情を抑えるよう、静かに口を閉じる。
しかし、瞳は黙っていない。ドロドロと濁った野心を解き放って、イルゼの意思に影響を与え続けている。
「……」
イルゼはノアの言葉に心動かされたのか、それとも瞳に宿る覇気にに呑み込まれてしまったのか、反論する様子はない。己のスボンを握り締め、下唇を噛んでいた。
ギュッと千切れるほど強く、歯を食い縛るように痛々しく、己のいたる所に力を入れている姿から、彼の葛藤がありありと感じられた。
「……本当に貴様はアリーセ様の呪いを解けるんだな」
「あぁ。もちろん」
「……アリーセ様に余計なことは言わないんだよな」
「約束する。ほら、ゆづりもそうだろ?」
「は、はい。変なことは喋りません」
咄嗟にゆづりは己の口を抑える。そして、ブルブルと首を振った。
弱々しく情けない仕草だが、イルゼと目だけはしっかりと合わせる。
絶対二人の仲を裂くようなことはしないと宣言するように。そして、どうか前に進んでほしいと訴えるように。
「……そうか」
不意に、イルゼがゆづりから視線を逸らした。それに伴って、イルゼから放たれていた緊張感も揺らいでいく。
緩んでいく重々しい空気感。ゆづりが小さく息を吐いた目の前、イルゼはゆったりと頭を下げた。
「今までの非礼を詫びる。どうか、アリーセ様を救って差し上げて下さい」
腰は九十度に。両手は太股に。
まるでお手本のように、美しく敬意の籠ったイルゼのお辞儀。
彼の気持ちをそのまま写したかのような礼儀正しさに、ゆづりは思わず目を見開く。
「うし、決まりだな。早速助けに行こうぜ」
しかし、ノアの様子は変わらない。
彼は相変わらずチャラチャラとした態度で、折れ曲がっているイルゼの腰をバンと叩く。そして、これ以上言うことはないとでも言うように、背中を見せて離れていった。
が、何か思い出したらしい。すぐに、「あっ!」と大きな声を出して、こちらを振り返った。
「ついでに、これで仲直りな。今までのことはチャラにして、これからは俺様とも仲良くしようぜ」
「……仲良く…」
「あぁ。どうせ長年引きこもってたお前に友人はいないだろ?それは可哀想だから俺様が仲良くしてやるよ」
「ぶっ殺すぞチビ虫が」
「お前なんてこと言うんだ!」
眉に皺を寄せ、こちらを睨み出したイルゼ。そんな彼に対し、ヘラヘラと挑発的に笑うノア。
似たような展開だ。今までに三度は見た、殴り合いやら殺しあいやらが始まる前兆。
しかし、今のゆづりが怯えることはない。
だって、二人の間に険悪な空気はなく、気の知れた友人と冗談を言い合っているような色しか見えなかったのだから。
補足
ゆづりも愛する人を救うためなら、容赦なく他人を切り捨てる人です。しかし、愛する人を傷つけることはしたくないため、相手に対して嘘を吐くといった行為はあまり好きではないです。
なので、多くの人を殺したイルゼに対してはそこまで嫌悪感を抱いていませんが、ノアの嘘をつけという提案にはつっかかってます。
登場人物
ゆづり…主人公。不死の呪いを解くために『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神様。ゆづりの創造者探しに協力してくれている。
アリーセ…火敵星の神様。呪いにかかっており意識不明。
イルゼ…火敵星の魔族。アリーセの眷属。




