23話 糸をほどけば
ゆづりが、男とノアが揉める場から抜けたした直後。
「あの女……!」
男はゆづりが戦場から抜け出したのを見るや否や、ノアを放ったらかしにして追いかけようと走り出していた。
しかし、男の逃走をノアは許さない。
彼はカエル顔負けの跳躍を見せると、男の進路に立ち塞がった。同時、ノアは指を鳴らして、シャッターを閉めるようにゆづりと男の間に幕を下ろす。絹のように滑らかで、真っ白なカーテンを。
「これは…」
「糸だよ。お前さんのを真似してみたんだ。なかなかのクオリティだろ?」
「こっのクソ野郎!」
「クソ野郎じゃなくてノアな。お前は?」
「死ね!」
「ハイハイ、シネさんな!覚えとくぜ」
ノアの発言に激昂した男は、形振り構わずノアへ手を向ける。直後、綱引きに使う縄のような太く重い糸が男の手から伸び、ノアの体を抉るよう床に叩きつけられた。
バラバラに砕けた大理石の破片を、ノアは臆病とも取れる後退を重ねて回避する。そして、距離を取ったまま男に叫んだ。
「危なっ!ちょっ、シネ!話を聞いてくれよ!」
「うるさい、黙れ!」
「いやだね!話を聞いてくれるまでは黙らないぜ、シネ!」
「私の名前はイルゼだ!余計なことをほざくな!」
「えっ、だってそう言ったのはお前じゃんって分かった、黙るから!」
男、いやイルゼはノアの態度に更に苛ついたようで、無言で糸を叩きつけてくる。一方ノアはヘラヘラと笑いつつ、迫りくる糸を真っ正面から掴んだ。そして、腕力に任せて糸を手繰り寄せる。
「くっ…!」
糸を引っ張られたことで、イルゼは体勢を崩して階段を踏み外す。その隙にノアはすかさず開いた距離を詰めると、イルゼの胸ぐらを掴んだ。そして、勢いのまま床にダンと叩きつける。
勝った。ノアがフフンと鼻を鳴らすと、イルゼは不満そうにブンブンと体をよじって抵抗を見せる。
しかし、無駄だと見なしたのかすぐに諦め、ダラリと腕を床に下ろした。
「よし、話を聞いてくれ!」
「……抜糸」
「…あ?」
イルゼがボソリと何かを呟いた瞬間、シュルシュルと音を立てて彼の体が解れていった。比喩でも何でもなく、文字通り、糸がほどけるように。
人間ではあり得ない変貌にノアが目を見開く下で、イルゼがほどけて出来た糸はサラサラと空中へと溶けていく。そして、気づいた頃には、ノアの下には何も無くなっていた。
なるほど、訳が分からない。
ノアは今の現象を意味不明で即断すると、後ろへ大きく飛ぶ。そのコンマ数秒後、ノアのいた場所に天衣が舞い降りるように細い糸が落ちてきた。
綺麗だな、なんて見惚れてはいけない。見た目は雪のように弱く儚いが、床に落ちた途端、床に根を張り足を奪おうと迫って来たのだから。
「っ?!何だ?」
ネズミ花火のように、床を回転しながら迫る糸。急な進撃にノアが空中に飛んで逃げれば、糸は繭を作るよう纏まりだす。
そして、人の大きさまで成長した繭は、バキリと大きな音を立てて割れる。チリチリになって消える糸片。それと一緒に出てきたのは、燕尾服を身に付けた女性だった。
イルゼとそっくりな顔たちと、琥珀色の瞳、黒髪を備えた女性。
「…あぁ、なるほどね」
イルゼが男の姿から女の姿に変わった。
ノアは即座に今の現象を理解して、挑発的に口角を上げる。そして、天井を蹴り飛ばし、女の姿をしたイルゼに襲い掛かった。
相手の姿が大きく変貌したことに驚きはある。恐れもある。しかし、関係ない。戦闘において気にすることは容姿ではなく。
「強さのみ!」
ノアは首を切らんというように飛んでくる糸を、素手で掴む。直後、魔力を流して糸を燃した。
爛々と燃え盛る炎は糸を伝って、イルゼの顔へ迫る。そして、彼女を灰に化すほど強く炎を上げる。しかし。
「抜糸」
イルゼが口を開いた刹那、彼女の体がほどける。それに伴って、盛んに揺れていた火も消えた。まるで何事も無かったかのように。
「…おいおい、厄介すぎるだろお前」
体から分裂した糸で作られた、人の大きさの繭。それを割って出てきたのは、男の姿をしたイルゼだ。
彼にはケガどころか、汚れ一つない。着ている燕尾服も黒髪も何もかも全て、完璧な執事としての姿でしない。
やりづらい。
イルゼのカラクリを大体理解したノアは、らしくもなく舌打ちを繰り出す。
彼、いや彼女の攻撃の仕組みはこうだ。
イルゼが「抜糸」と詠唱をしながら、己の髪を引っ張る。すると、彼の体が糸状に変わり、繭を成す。そして、繭が割れれば、糸になる前の性別の姿へと変わっている、といったカンジだろう。
容姿が変わるだけなら、たいした脅威ではなかった。体を糸に変えて逃げられるのも、その前に叩けばいいだけの話のため恐れはない。
しかし、イルゼの姿が変わると同時に、彼の攻撃方法も変わるのだ。それが厄介でしょうがない。
「抜糸」
イルゼが男の姿で繰り出す糸は頑丈で、当たれば体が潰れる程の強靭さを誇る。しかし、手数は少なく、暴力でゴリ押ししようとする意図が透けるように分かる。
「抜糸」
一方、女の姿で出される糸は数が多く、あっという間に場を支配していく。ただ、一つ一つはまるで空を漂う羽のように脆く、切れやすい。
どちらも一長一短。しかし、イルゼは状況に当て嵌めて器用に使い分けている。だから、簡単にイルゼの尻尾を掴むことは出来ない。
ノアは一方的に糸に嫐られ、撒かれて、また翻弄されてを繰り返していた。
「…もー、本気出すか」
ここまで来たのなら、もう最終手段だ。
イルゼの糸に床に叩きつけられていたノアは、歯軋りをしながら起き上がる。そして、多くの指輪が嵌まっている己の指を、相手に向けた。
「なぁ、イルゼ」
「なんだ」
「城、ちょっと壊す」
「……は?」
ノアはイルゼに破壊申請をすると同時、両手を合わせる。刹那、天井を支配していたシャンデリアが割れ、床へ破片を撒き散らした。
雪のように降るガラス片。普通の人間が下にいたのなら、皮膚が裂けて大惨事になっていたのだろう。
しかし、ここには不死の変人しかいない。
現に、イルゼは危険な雨から避けることはしなかった。ただ、城の設備を破壊されたことに対する怒りを瞳に灯して、睨むだけ。
しかし、すぐにその高慢さは彼から消え去ることになる。
「……?」
バラバラに散っていくシャンデリアの欠片が、急に膨張し始めたのだ。水を吸って大きくなるビーズのように、名残も残さず形を変え出す。
警戒心の強いイルゼは、すぐさまガラス片に反応して目を見開く。
しかし、もう遅い。既に、ノアの魔法は完成してしまっていた。
「……くっ!」
小さな風船程度に膨らんでいた破片たちが、唐突に張り裂ける。そして、それぞれの暴力の形を持ちだした。
吹き荒れる風。降り注ぐ豪雨。轟く雷鳴。炸裂する炎。
この世の自然災害を詰め込んだような魔法への変化に、イルゼは咄嗟に己の髪に手を掛ける。そして、「抜糸」と詠唱をして己の体を崩そうとして。
「行かせない」
止められた。
イルゼの目前に広がる派手な魔法。それを囮にして、ノアがイルゼに飛び込んでいた。
そして、相手が認識する間も与えず、ノアは右手で彼の口を押さえた。それと同時、空いている手で彼の腕を引く。
「きっ、さま…!」
体勢を崩して前倒しになったイルゼの額を、ノアがつつく。すると、イルゼの目から光が失せ、ゆっくりと瞼が落ちていった。
そして、三秒後には魔法が全身に回ったらしい。イルゼは床に膝をついて、体を床に投げ出した。
「本当、ごめんな」
蜘蛛の巣のように広がる黒髪。静かに鳴る寝息。閉ざされた琥珀の瞳。
ノアはイルゼが寝たのをしっかりと確認すると、ポケットから小さな釘をポトリと落とす。そして、ゆづりを追いかけた。
登場人物
ゆづり…主人公。八星を作った『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神。ゆづりの協力者。戦闘力は神の中でも随一。
イルゼ…火敵星の神である『統治者』の眷属。ゆづりとノアに何故か嫌っている。




