22話 本物の実力者
ゆづりの目前で繰り広げられるノアの動きは、誰もが息を呑むほど美しく、残酷だった。
迫り来る糸の波を焔で断ち切り蒸発させ、流星郡のように落ちる玉を暴風で手解き空中に溶かす。クネクネと不規則の動きを見せる糸に対しては一貫して重力で潰す。
次々と千切れ消滅する糸に対し、ノアはケガどころか息も上がってない。実力の差がありすぎるのだ。もうノアから糸への一方的な残虐にしか見えてこない。
「つ、強」
今回は油断していたとノアの口から聞いたときは、正直負け惜しみだとしか思っていなかった。悔しいから適当な理由をつけて正当化しているんだろうな、と。
しかし、違った。ノアは強かった。
本気を出した彼には、誰も敵わないと初見で感じさせるくらいには腕がある。前回の負け戦は本人の言う通り準備不足だったのだ。
それはそれで、何をやっているのだと叱責してやりたいのだが。
「おっ」
そのままノアの勇姿を見ていれば、不意に彼の動きが止まった。同時、こちらに迫っていた糸も跡形もなく消えていく。
戦闘が終わったのか。ゆづりが疑心暗鬼になりながらもノアに近寄れば、彼はいつも通りの能天気な顔で振り返った。
「終わったぞ。終幕だ」
「よかった。ケガは?」
「無いに決まってるだろ!俺様は神なんだから。さっさと行こうぜ」
「うん」
ノアは先程まで猛攻を繰り広げていたことが嘘だったかのように、けろっとした顔で道を進んでいく。ゆづりはまた糸が生えてきて襲ってこないのかと少々逡巡したものの、ノアの何してんだよと呆れた声に急かされ彼を追った。
「今は一段落ついたけど、城に着いたらまた戦闘だろうな。ったく、骨が折れるぜ」
「なんで私たち、あんなに嫌われてるんだろうね」
「さぁな。俺様たちに因縁でもあるんじゃないのか」
「因縁?」
「ほら、一度城に入った人間は生かしちゃおけない…みたいなヤツだよ」
「怖っ」
「それか、俺様のことが大好きで喧嘩を吹っ掛けたくて堪らない、とか?」
「まぁ、それはないでしょ」
「なんでだよ!」
そんな茶々を入れつつ、男が敵意を向けている理由を考えること数分。おもむろにノアが「着いたな」と呟き、進路先を指さした。
彼の指先にあるのは今朝訪れた王城だ。相変わらず豪奢な城だが、てっぺんに夕日が刺さっているため少し印象が異なり、神秘さが増したような、そんな気がした。
「おい」
「あ、ごめん」
ゆづりがぼんやりと呆けていると、ノアに額をつつかれた。ちょんと軽くつつかれただけだったが、なかなかの威力で額が割れたのかと思うほど痛かった。そして、頭の中に指を突っ込まれたような気味悪い感覚も同時に来る。
なんだか変なテコピンだ。水魔星だとこの痛みが普通なのだろうか。ゆづりがどうでもいいことを考えながら額を擦る横で、ノアはキキィと耳に悪い音を立てて門を開けていた。
「今回は護衛はいないみたいだね」
「そうだな。城の中にしか気配がしないし」
死体は処理されたのか、門の近くに護衛の姿はない。そして敷地内にも人の姿はなく、切り揃えられた芝生と、色とりどりのアジサイが花壇に見えるだけだった。
庭はかなり綺麗だ。ゆづりがぼんやりと見惚れている内に、ノアは扉へ手を掛けていた。
「扉は開いてる。入るぜ」
「うん」
ノアはゆっくりと扉を開けると、隙間から石を投げ込む。すると、シュルシュルと音を立てて糸が出現した。
罠だ。昨日、城に入った時に襲ってきた糸の爆弾だ。
「物騒なもの仕掛けてんな!おい」
ヒラヒラと消えていく糸を前に、ノアは笑い声を上げる。そして、挑発とも取れる言葉を先に投げた。
彼の相手は虚空じゃない。暗い城の中に例の男が立っている。
「何をしに来た。部外者が」
男は階段を降りながら、こちらを睨んでいる。琥珀色の瞳には真っ直ぐな殺意しかない。
相変わらず、ゆづりたちは嫌われているようだ。
「前はごめんな、急に城に入って。でも、俺様たちは悪意があったわけじゃないんだ」
「出ていけ、狼藉人ともが!」
「だから、ちょっと聞きたいことがあるだけだって!悪者じゃない!」
「部外者が入るな!帰れ!」
気さくに話しかけるノアを、男は忌々しいものを見るかのように睨む。
話もさせてもらえない。問答無用で城に入ろうとするものを排除したいようだ。
「ちょっ、落ち着け、話を聞け!こっちに害意はないんだって!」
「うるさい!黙れ!」
「オーケー分かった。城に土足で入られるのが嫌なんだな。今から靴脱ぐからちょっと待ってろ」
「…………」
「おっ、違かったか。って危な!急に攻撃してくんなよ!なんでそんな怒ってんの?ここの神は俺様たちが星に入るの許可してるんだろ!」
「……」
男は答えない。
しかし、何か思うことがあるのかピタリと上げていた手を止めた。怒り一色だった顔も揺らぎ、戸惑いや躊躇いの色が差し込んでいる。その隙をノアは見逃さなかった。
「今だ、行け!」
「う、うん!」
ノアは男の方へ駆け出す。同時、ノアの叫び声につられてゆづりも走った。その直後、我に返ったらしい。男が止まれと吠え、こちらに手を伸ばしてきた。
でも平気だ。ゆづりは殺されても死なない。いくらでも攻撃してくればいい。
そう覚悟は据わっていたが、攻撃は来なかった。ノアがなんとかしてくれたのだろう。確認したいが振り返る暇はない。無我夢中で前にだけ進む。
「ここは見た、ここも見た。もっと奥に行かないと」
一度見た部屋は再び見る必要はない。前来たときは手前から手当たり次第開けて行っていた。なら今回は奥の部屋から見ていこう。
そう見定めたゆづりは扉には見てもくれず、廊下の奥へ奥へと走る。そして、突き当たりが見えてきた頃、近くにあった扉を開け放った。
すると。
「やばっ!」
シュルリと糸が抜ける音が目の前に広がる。刹那、ドアノブから糸が出現して、ゆづりを呑み込まんと襲ってきた。
しくった。罠を警戒するべきだった。
ゆづりが自分の軽率な行為に後悔すると同時、目の前に魔方陣が浮かんだ。そして、それは目前まで迫っていた糸を溶かし、消滅させる。
「これは……?」
意味の分からない現象。間違いない、魔法だ。おそらくノアが手回しをしてくれたのだろう。脳裏で彼がどうだと自慢げに胸を張っている姿が浮かぶ。
その姿にゆづりは助かるとだけ呟くと、足を止めずに次々と扉を開け放っていく。
寝室、客室、客室、客室、客室、寝室。人の姿は何処にもない。気配さえしない。
本当にここに人はいるのか。理想者の資料は残っているのか。ありとあらゆる疑念が浮かび上がってくるが、全部後回し。考える暇があるなら手を動かせ。
そう自分を鼓舞しつつ、手当たり次第にノブを捻っては開けてを繰り返した結果。
「この扉……」
いくら扉を開けたのか分からなくなった頃、一つ変わった扉を見つけた。他の扉と比べると質が一段高く、よく使われた痕跡もある扉だ。ゆづりは吸い込まれるようノブに手を掛けて回す。しかし。
「開かない!」
扉には鍵が掛かっているのか、押しても引いても開かなかった。
他の扉にはそんな仕掛けはなかった。間違いない。ここに何かある。資料室でもその他でも何でもいい。とりあえず変化が欲しい。
ゆづりはドンと扉に体当たりをしたり、ノブをガチャガチャと捻ったりした。しかし、人並み以下のパワーしか持たないゆづりでは、素手で重厚な扉を壊せるわけがない。
それでも諦めるわけにもいかず、ガチャガチャとあがいていれば、反対側からカチャリと鍵が開けられる音がした。同時、扉も押され、少し隙間ができる。
部屋は暗いのか、光は漏れてこない。そろそろとゆづりの足元を冷えきった風だけが抜けていく。夏の夜に吹く風のような、気味の悪い風だった。
ゆづりはその風に誘われるよう、扉に手を伸ばして。
「あ、あなたは…」
明らかになった部屋の中央、そこにいた娘に目を見開いた。
登場人物
ゆづり…主人公。八星を作った『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神。ゆづりの協力者。戦闘力は神の中でも随一。
イルゼ…火敵星の神である『統治者』の眷属。ゆづりとノアに敵意を抱いている。




