二十七話 古参の神のアドバイス
ゆづりがドアを開けると、昨日と同じような心地の良いそよ風が吹き込んだ。そして、その風をふんだんに浴びて、大きなブナの木がふさふさと揺れている。
「いらっしゃい」
風に乗って声が届いたかと思うと、目の前の木が溶けるように消えた。その代わり、若緑の髪を揺らしている少年が現れる。説明するまでもないだろう。彼はここの主である、理解者だ。
彼はゆらゆらと地面を踏んでこちらに寄ってくる。そして、ゆづりの手元を一瞥すると首を曲げた。
「本は」
「あの、今日は本の翻訳じゃなくて話を聞きに来てて」
「話」
昨日と異なる用件に理解者は不可思議そうな顔をする。が、すぐにコクりと頷き、部屋の奧へ戻って行く。ゆづりはあちこち鳥が飛び回るのを観察しながら、彼の後を付いていった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
理解者はノロノロと小さな木製の椅子を引くと、座れと言うようにゆづりに差し出す。ゆづりは素直に椅子に座った。しかし、理解者は座らない。何を考えているのか、何を見ているのか、ボッーと虚空を見つめ立ち尽くしているだけ。
一人で座っていると気まずいのだが。ゆづりが自分も立ち上がろうかと逡巡していれば、唐突に理解者が口を開く。
「話って」
「……その、神と眷属のことをもう少し聞きたくて」
「うん」
「主が亡くなったら、眷属も死んじゃうんですか」
「うん」
「れ、例外とかは全くなく?」
「ない」
理解者は拍子抜けするくらい簡潔に返答する。ゆづりはよほど当たり前のことを聞いているようだ。
「なんで」
「え」
「なんでそんなこと聞くの」
「その…紅玉って人知ってますか?叛逆者の眷属だった人なんですけど」
「知ってる。よく知ってる。それで」
「私、土獣星で紅玉に会ったんですよ。彼、普通に生きてて…いや、不老不死だから普通じゃなさそうですけど」
「……」
「それで何で生きてるんだろうなって気になってて…」
理解者はじっと遠くを見つめて固まる。そして、ブツブツと何か呟きながら、思考に明け暮れていた。
ゆづりは彼の肩に乗っているピピがダンスをするのを見つめて、彼の返答を待つ。すると、彼は遠くを見つめていた目をサッとゆづりにずらし、口を開く。
「いすずが神で、紅玉が眷属。それか逆、とか」
「……えっ、眷属って叛逆者からいすずへみたいに乗り換え出来るんですか」
「うん。理論上は」
「り、理論上…?」
「眷属になるには神からの強い想いが必要。愛とか絆とかそういう強い心がいる」
神から特別な感情を頂ければ、新しい神の眷属になることは可能らしい。
紅玉の例を出せば、彼が叛逆者からも、そして、いすずからも何かしら想われていれば、二人の眷属になれるということだ。
叛逆者の眷属が紅玉なのは納得できる。二人は兄弟だし何かしらの信頼や愛情などがあったのだろう。しかし、いすずと紅玉の間に何かあるとは思えない。そもそも疎遠っぽかったし、まるで赤の他人のような雰囲気だったのだから。
あまりよく分からない。ゆづりが消化不良で唸っていれば、理解者もうーんと首を捻り出す。そして、呆気なく分かんないと首を振った。
「違うならボクには分からない。だから、他の人の所に行くといい」
「他の人?ノアのところですか」
「ううん。在監者のところ」
「ざいかんしゃ…」
『在監者』は金時星の神の名前だ。未だゆづりが会えていない神の一人でもある。
だから、在監者がどういう人なのかも知らないし、そもそも金時星がどういう星なのかも、ゆづりは把握していない。
「参考までに聞きたいんですけど、在監者ってどんな人ですか。その、会ったことなくて」
「異常者。怪物。ボクには理解できないニンゲン」
理解者は相変わらず抑揚のない声で答える。が、そこには僅かに嫌悪感があった。少し気が合わないヤツに向ける気ではなく、害虫に遭遇した時に出るような、心からの拒絶感。
滅多に感情を出さない理解者でさえ、表に出てきてしまうくらいの嫌悪。そして、はっきり告げられた侮蔑の言葉。
否応でも在監者の性格が察せられてしまう。同時、会いたくないなという気持ちが高まってしまった。
「…その人は紅玉について何か知っているんですか」
「ううん。分かんない。でも、金時星には過去を見る権能がある」
「過去を見る?!」
「金時星は時計の星。時空を操る。ニンゲンの過去も見れる」
しかし、そんな気になることを言われては、行かざるをえないだろう。
ゆづりは理解者から手短に金時星の部屋を教えてもらう。そして、木黙星を後にして金時星に向かった。
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「……失礼します」
教室の扉に酷似している、上半分にガラスが嵌め込まれている扉。
ゆづりは理解者から聞いた特徴の扉を引く。すると、出来た隙間からカチコチと、チープな置き時計からするような機械音が聞こえてきた。
その音に惹かれるよう、ゆづりは部屋の中に入る。すると、多くの時計がゆづりを迎え入れた。
「…すっごい」
多くの時計といっても、十個や百個のレベルではない。おそらく千、いや数千、下手すれば一万はあるであろう。上下左右ありとあらゆるところに時計が飾られている。
時計が一杯ある部屋というより、時計が住んでいる世界にゆづりが入り込んでしまったような感覚だ。ゆづりはまるで本の世界のような空気に呑まれ、ノロノロと部屋の中央へと歩みを進める。すると。
「やぁ、お嬢ちゃん。ここに何か用かい?」
そんな気さくな声と共に、背後からポンと肩に力が乗せられた。急なタッチにゆづりがギョっとして振り返ると、長身を灰色のスーツで覆った男が立っていた。
「あ、あなたは…」
「あー自分、金時星の神やってます。俗にいうなら『在監者』だね」
在監者はゆづりに恭しく会釈をすると、友好的に口端を上げる。しかし、ゆづりはろくに挨拶も出来ぬまま硬直してしまった。
理由は単純。ゆづりの思っていた人物像と本人が全く違ったからだ。
理解者のあの反応から、在監者はてっきり強面で口が悪いとか、無言で態度が悪い人とかなのかと思っていた。
しかし、実際は友好的で礼儀正しいそうだ。話も難なく通じる。こちらにも敵意は見せてこない。
癖の強い神たちの中では、普通の方に入ると思う。
だが、勿論怪しい点も色々とある。その筆頭は両目を黒い布で隠していることだろう。左目なんか布に加え長い前髪でも覆っているため、形すら見えない。
次は格好と性格の乖離だろうか。彼はスーツに手袋と革靴といったフォーマルな様相をしているが、話し方や振る舞いに上品さや厳粛さは全く無い。むしろかなり軽く、悪くいえばチャラついた印象を覚えた。
チグハグなイメージはあるが、そこまで嫌悪するほどの人間じゃない。理解者は何故、彼を毛嫌っているのだろう。
ゆづりが不思議に思いつつ在監者を見上げる傍で、彼も物珍しいものを見るようにゆづりを観察していた。




