149 - 「後家蜘蛛と闇の手」
公国領、旧王都ガザの酒場に、焦げ茶色のローブに身を包んだ冒険者らしき女が一人姿を現した。
女は、カツカツと靴を鳴らしながらカウンター席までやってくると、フードを取りながら席に座り、艶のある綺麗な黒色の長髪を首の横でまとめ直した。
その仕草と美貌に、周囲から「おお」という歓声があがり、野郎どもの視線が一斉に集まる。
だが、女は意に介さず、店主に話しかけた。
「マスター、酒を。何でもいい」
「あいよ。姉ちゃん見ない顔だな。何処から来た?」
「私が答えれば、酒がタダになるのか?」
「かっ! そうきたか!」
綺麗な見かけによらず、随分と負けん気の強い女の言葉に、酒場の店主が頭に手を当てながら笑う。
すると、女の言葉を聞いていた一人の酔っ払いが女の横の席に座った。
「マスター! 俺の奢りで、このお嬢さんにこの店で一番良い酒を」
「私にか?」
「そう! 君に! 何なら寝酒を共にしてもいいんだぜ?」
そう言いながら下卑た笑みを浮かべる男に、同じように話しかけるきっかけを探っていた男達が陰で悪態をついた。
「公国のクソ野郎か」
「何がこの店で一番良い酒だ。ツケて踏み倒す気だろうが」
「我が物顔でナンパしやがって……」
「振られろ! 振られろ!」
男達の陰口は、酔った公国兵には届かない。
だが、男達の希望を裏切るように、女は酔っ払いの要望をすんなりと受け入れた。
「そうか。じゃあ場所を移そう。ここは少々騒がしい」
「ワァハッ! おい! 聞いたかマスター!? 早く酒を用意しろ! 瓶ごとだ!」
店主が眉間に皺を寄せながら、咎めるように女に聞き直す。
「姉ちゃん、いいのかい?」
「何がだ?」
そうあっさりと言い返す女の瞳は、ルビーのように紅く、言われるがまま、流れに身を任せるような意思の弱さなど微塵も感じさせない力強さがあった。
「分かったよ。ほら酒だ」
カウンターに黒いラベルが貼られた酒瓶が置かれ、中に入った小麦色の液体がちゃぷちゃぷと揺れる。
「お代はツケておけ!」
男がそう告げて乱暴に酒瓶を奪うと、上機嫌で女を連れて酒場から出て行った。
月が人通りの少なくなった夜道を照らしている。
先程まで上機嫌だった男は、まるで別人になったかのように黙りこくっていた。
夜道を歩く二人に会話はない。
暫くして、寂れた宿へと着いた。
そして、二人で部屋へ入ると、男がドアに鍵を閉め――
そのまま意識を失って床へ転がった。
女は男が倒れたことに興味を示さず、先程から灯のない真っ暗な部屋の先をじっと見据えている。
そして口を開いた。
「灰色、探したぞ」
その言葉に、部屋の影から間延びした声があがり、その直後、灰色のローブを身に纏った者が姿を現した。
「まさか黒ちゃんにまた会えるなんてぇ、思ってもいなかったかしらぁん」
薄紫色の緩いウェーブのかかった長髪をくるくると指で弄りながら、間延びした声で答える。
その女は、マサトが後家蜘蛛抗争で拠点を潰して以来、ローズヘイムを離れ、ガザに潜伏していた後家蜘蛛の幹部の一人――灰色だった。
そして、黒ちゃんと呼ばれた紅い瞳の黒髪美人が、後家蜘蛛の頭領――黒崖だ。
黒崖は灰色の顔を見て口角を少し上げると、先程と変わらない口調で話しを進める。
「部下はどうした」
「ここに全員いるわぁん」
「よし、それなら話は早い。ここで巣を作る」
「はぁん、黒ちゃんは相変わらずせっかちなんだからぁん。もちろん、あの後何がどうなったか、詳しく聞かせてくれるかしらぁん?」
「そうだな。分かった。話そう」
黒崖が、事の一部を灰色へと共有する。
マサトに敗れたこと、その上でマサトの配下となり、呪われた適性を取り除いてもらったこと。
マサトの配下には、後家蜘蛛の他に、ドラゴンが三頭、ゴブリンが数百、そして、何万もの土蛙人が存在することなど。
それを聞いた灰色の反応は、意外にも淡白なものだった。
「嘘見たいな話ねぇ。あまりにも突飛過ぎて現実味がないわぁん。あっ、黒ちゃんがここにいると言うことは、赤ちゃんも近くにいるのぉん?」
「連れて来ている。背赤は見張りだ」
「ふふふん、何だか、最初の頃を思い出しちゃうわねぇん。三人だった頃の後家蜘蛛を」
懐かしい過去に思いを馳せる灰色とは打って変わり、黒崖が目を細めて嫌そうな顔をした。
「嫌な記憶を思い出させるな。で、やるのか? やらないのか?」
「やるわぁん。わらわとしては勝ち馬に乗りたいところだけどぉ。黒ちゃんと赤ちゃんが元気なら、あの男に組織を半壊させられた怨みは忘れることにするわねぇ」
「公国が勝ち馬か。まだ私の言葉を信じていないな?」
「だってぇ〜ん。内容が突飛過ぎて信じろという方が辛くないかしらぁん?」
「フッ、そうだな。それは追々自分の目で確かめろ。どちらが勝ち馬かすぐに分かるはずだ」
「そうさせてもらうわぁん。それで、巣作りは何から始めるのかしらぁん? また娼館からかしらぁん?」
「そうだ。灰色がいるならそれが手っ取り早い。だが、場合によってはすぐ手離す。身軽にはしておけ」
「分かったわぁん」
上機嫌に答える灰色。
すると、黒崖の目が突然見開かれた。
「どうしたのかしらぁん?」
「地下で何者かと衝突があった」
「衝突? 他には誰を連れてきたのかしらぁん?」
「ゴブリンだ」
「そ、そう。ゴブリン……」
「不思議か? ゴブリンといえど、実力は上級構成員とあまり変わらない。一部のゴブリンは、幹部クラスの働きを見せる程だ」
「も、もう分かったわぁん。黒ちゃんがそこまで言うなら本当なのね」
「ああ、本当だ。私は行くが、背赤を一人護衛に付けておく。何かあったら頼れ」
「あらぁん? いいの? 本当に?」
「構わない。お前の代わりはいない。死ぬなよ」
その言葉に、灰色が口に手を当てて驚いた。
「本当に黒ちゃんなのかしらぁん? 見た目がそっくりな別人ってことはないわよねぇ?」
「その指摘は、あながち間違っていないかもしれないな」
「どう言う意味かしらぁん?」
「さぁな」
そう告げると、黒崖は踵を返し、足音を立てずに部屋を後にした。
黒崖が立っていた位置のすぐ近くの影から、黒いローブに身を包んだ人影が浮かび上がる。
その顔を見て、灰色が目を見開いた。
「赤ちゃん…… 本当に毒が…… そう…… 綺麗になったわねぇん……」
灰色が背赤へと近付き、その赤い髪を手で梳きながら呟く。
相変わらず無機質な瞳を向ける背赤だったが、そんな背赤を見つめる灰色の瞳は、どこか古い友人を懐かしむような、優しい目をしていた。
◇◇◇
空気が淀み、呼吸をする度にカビ臭さが鼻をつく。
そんな地下の暗所で、ゴブリンと相対していたのは、漆黒のローブに身を包んだ集団だった。
「なぜ王都の地下にゴブリンが? しかもゴブリンとは到底思えないこの剣捌き。そして以心伝心しているかのような一糸乱れぬ連携技。私は悪い夢でも見ているのだろうか。またマリンに何か盛られて……」
男はそうブツブツと呟きながらも、華麗な剣さばきでゴブリンの攻撃をいなしつつ、流れるような動きで反撃し、着実にゴブリンを傷つけていく。
長身のこの男は、闇の手に所属する吸血鬼――ヴァゾル・ヴァンティアだ。
彼の愛用する赤黒い呪剣は、斬りつけた相手に、傷口が勝手に広がる呪いをかける遺産級の古代魔導具である。
ヴァゾルに斬りつけられたゴブリンは、一撃一撃は大したことのない傷だったが、見る見るうちに傷口が深くなり、出血と傷口により、反応が鈍くなっていった。
そして――
遂にはその隙を突かれ、ヴァゾルに心臓を一突きされて命を落とす。
そんなヴァゾルへ、脇で同じくゴブリンと応戦していた一人が不満をぶつけた。
「アタシは何も盛ってない。言い掛かりはやめて。にんにく投げつけるわよ」
そう話すのは、闇の手、ローズヘイム支部の簒奪者の一人、毒草使いの調合師――マリンだ。
彼女は薬での毒殺を得意とする調合師の暗殺者だったが、今は手に短剣を持ち、ゴブリンと白兵戦を繰り広げている。
すると、ヴァゾルが飛び退くようにマリンから距離を取った。
「く、臭い!? 臭い臭い?! こ、この臭いはにんにく!? あ、貴女という人は! なぜこのような時に、よりにもよってにんにく料理を!!」
「はぁー! ふぅー! はぁー!」
嫌がるヴァゾルにマリンが近付き、ここぞとばかりに息を吹きかける。
「ぐ、苦し、い…… い、息が……」
戦闘中にふざけ合う二人へ、二体のゴブリンが連携攻撃を仕掛けた。
だが、その攻撃は、突如現れた蜥蜴人と人狼によって防がれ、不発に終わる。
「…ふざけているなら、次は助けないぞ」
「ガゥッルァッ! 殺せ殺せぇー! 皆殺しダァ!!」
蜥蜴人が短剣でゴブリンの剣を器用に弾くと、すかさず人狼が手に持った二本の斧を振り回し、ゴブリンに致命打を与えていく。
「テナーズ、ガウル、助かりました。私はマリンのせいで深手を負う所でした」
蜥蜴人のテナーズも、人狼のガウルも、マリン同様、闇の手の簒奪者だ。
皆が同じ漆黒のローブに身を包んでいる。
すると、暗闇に潜んでいたゴブリンが、隙を見せたマリンへと再び襲いかかった。
「ぎゃ!? クソが! アタシに近付くんじゃねぇー! キモいんだよ!!」
ゴブリンの攻撃を短剣で弾くも、実力は拮抗しているようで、互いに傷を増やしていく。
だが、ゴブリンがマリンから離れた僅かな隙をつき、マリンの後方から飛来した土の弾丸がゴブリンを穿った。
「グギャッ!?」
ゴブリンが悲鳴をあげて吹き飛ぶと、土の弾丸が飛んできた方角から、目の下に大きな隈をつくった、顔色の悪い男が姿を現した。
「ゴホッ、ゴホッ…… 四人とも先行し過ぎだ。これじゃあ援護しきれない」
そう話すのは、魔法使いのカジートだ。
彼は将来を有望視された魔法使いの青年だったが、同期の貴族からその才能を妬まれ、その貴族が雇った闇の手から暗殺されかけた過去をもつ。
命からがらではあったが、襲いかかってきた簒奪者を返り討ちにしたことで、闇の手からスカウトされ、紆余曲折あって簒奪者となった一人だ。
属性の得意不得意なく満遍なく扱え、更には近接戦の心得も多少あるオールラウンダーでもある。
そんな彼だが、暗殺されかけた時のトラウマからか、不眠症が治らず、更には咳も治らずに長年苦しんでいる。
そのカジートへ、ヴァゾルが話しかけた。
「後続はまだですか?」
「ゴホッ…… もうすぐ来ますよ」
カジートが咳き込みながら、気怠そうに話す。
すると、突然マリンが唾を吐き、悪態をつき始めた。
「なんでゴブリンがこんなに強い訳!? 本当にゴブリン!? あり得ないっしょ! クソクソクソが! あーイライラする! 私以外全員死ねばいいのに! いっそのことここで全員殺す? 殺しちゃう?」
マリンの言葉に、ヴァゾルが両手を上げてやれやれと肩を竦め、テナーズは半目で溜息をついた。
カジートはフードを目下まで引き下げると、マリンと目を合わせないようにしながら、そのまま来た道を戻っていく。
どうやら彼女の悪態は毎度のことのようだ。
ガウルについては、マリンの事が眼中にないのか、はたまた目の前の殺し合いに夢中なのか、対峙するゴブリンと一対多の戦いを現在進行形で繰り広げていた。
ヒステリックになっていたマリンは、肩から下げていた鞄から緑色に輝く小瓶を取り出すと、それを振り上げ――
振り下ろそうとした瞬間――
闇からぬっと出てきた手に掴まれたことで強制的に止められていた。
その手は氷のように冷たく、白く、細かった。
その瞬間、マリンの身体を死の恐怖が駆け巡り、まるで身体が凍りついたかのように硬直。
ピクリとも動かなくなる。
そして、マリンの顔から血の気が引き、みるみるうちに肌の色が青色へと変わった。
「少しは頭が冷えたかい? マリン」
そう耳元で囁く口元は、血のように赤かった。
「は、はぃー……」
マリンがか細い声で返事を返す。
「宜しい。次は罰として両手の爪を一枚ずつ剥ぐからね」
脅しともとれるその言葉に、マリンがゴクリと唾を飲み込みながら、頭を小刻みに上下させる。
すると、そのやり取りを見ていたヴァゾルがすかさず抗議を入れた。
「オーチェ、貴女はなぜこのような娘を簒奪者にし続けるのか。強敵と対峙する際に、背中まで守らなければいけない状況になれば、さすがの私達でも敗北しかねませんよ?」
「ククク。ヴァゾルは心配し過ぎだ。そんなに心配せずとも、それほどの強敵が現れれば、マリンもふざけたりはしない。マリンがふざけるのは、まだ余裕がある証拠だろう」
そう告げ、ケラケラと笑いながら歩いて来た人物こそ、この簒奪者達のまとめ役であり、闇の手、ローズヘイム支部の長である死人のオーチェだ。
彼女自身、闇の手の中でも伝達者に昇格できる実力と実績を兼ね備えていたが、本人の強い意志で簒奪者のまとめ役という微妙な立ち位置に留まり続ける変わり者でもある。
オーチェの発言が本意かどうかは、その場にいたヴァゾルとテナーズには理解できなかった。
だが、毎度の事だと溜息をついて諦める。
余裕があるときのオーチェの悪戯は、それは度を越した非常識なものが多いが、緊急時の判断は的確だという信頼があるからだ。
丁度そこへ、ゴブリンを片付け終わったガウルが引き返してきた。
「手応えのあるゴブリンだった。だが、まだまだ殺し足りねぇ」
「ガウルは仕事熱心ですね。良いことです。で、オーチェ、逃げたゴブリンは追いますか?」
「ゴブリンと遊びたいのであれば引留めはしない。私は任務を優先するとしよう」
オーチェがそう告げると、遅れてぞろぞろと漆黒のローブに身を包んだ者達が闇から現れた。
その全員が、闇の手――ローズヘイム支部所属の簒奪者達だ。
ヴァゾルが尚も問う。
「任務とは、レイアを勧誘することですか?」
「何か問題か?」
「なぜ今更になって、それも “元” ローズヘイム支部の者全員で行くのですか? ローズヘイム支部は既に無くなったはずでは?」
「ククク、それは拠点をローズヘイムへ戻し、支部を復活させるからだ」
「それは…… 初耳ですが……」
「今言ったからな」
「貴女はそういうと思っていましたよ。また予想が当たって嬉しい限りです。仕方ありません。王都に新しくこしらえた棺は、王都に来た時の楽しみにとっておくとします」
「ああ、そうしろ。だが、ローズヘイムに帰る前にお客さんのようだ」
オーチェが告げ、簒奪者達が一斉に武器を構える。
その視線の先には、黒いローブに身を包んだ者達が、反対側の闇から続々と姿を現したところだった。
◇◇◇
「どちら様かな?」
オーチェの問いに、先頭の一人が応じる。
「後家蜘蛛の黒崖だ」
「ほほぅ、後家蜘蛛の頭領がこんなカビ臭い地下へ何しに?」
だが、黒崖はオーチェの問いかけを無視して質問で返した。
「私は名乗ったが?」
「おおっと、これは失礼。私は闇の手のオーチェだ。で、ここへは何しに?」
「答えてやる義理はない」
黒崖の挑発的な物言いに、オーチェは無言で笑って返した。
「どうやら、後家蜘蛛さんは闇の手との戦争をご所望のようだ」
オーチェがそう告げると、一瞬でその場に濃い殺気が充満し始める。
「勘違いするな。先に戦争を吹っかけてきたのはそっちだ」
「……何?」
「お前達が虐殺したゴブリンは、後家蜘蛛の構成員だ」
「ク、ククク…… 聞き間違いだろうか? ゴブリンが構成員だと聞こえたのだが」
「そう言った」
「そうか、それはそれは。いや、私は良いと思うぞ? 闇の手も実力があれば種族問わず採用する」
「私の言葉を理解できる程度の頭は持っているようで助かった。説明の手間が省ける。で、この戦争の落とし前はどうつけるつもりだ?」
「ほほぅ。ゴブリンを殺した落とし前とは。興味本位で聞くが、ゴブリン一匹でどのくらい要求するつもりだ?」
「お前達が殺したゴブリン一匹につき、白金貨20枚」
黒崖の要求に、その場の空気が凍りつく。
暫しの沈黙を経て、オーチェの笑い声が場に響いた。
「ククク…… ククククク…… それはいくら何でも――」
オーチェの漆黒の瞳が、まん丸と見開かれる。
見る者に恐怖を植え付ける漆黒の瞳が、明確な殺意を放ちながら、目の前の黒崖を見据えた。
「我 々 を 舐 め す ぎ だ ろ う」
それが合図となり、簒奪者達が一斉に黒崖へと襲いかかった――





