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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第六章:『さまよえない軍師と、帝国の怒り』

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第81話:『剣聖の困惑と、空っぽの小屋』

 

 幾重にも重なる木々の葉が月光を遮り、闇が支配する森の奥。

 そこにその古びた小屋は、まるで世界から忘れ去られたかのように、ひっそりと佇んでいた。

 かつてハヤト、マリア、そしてグラン。三人の転生者が身を寄せ合った、始まりの場所。


 ――ドサッ。


 鈍い音と共に、ハヤトは小脇に抱えていた「獲物」を木の床へ乱暴に転がした。気を失っているフードの影。忌々しい『天翼の軍師』だ。


「……さて、と」

 勝ち誇った声が、埃っぽい空気を震わせる。ハヤトの唇の端が、嘲るように吊り上がった。

「どんな醜い化け物がその下に隠れてるのか、拝んでやろうじゃねぇか……」

 ためらいなく伸ばされた指がフードに絡みつき、次の瞬間、乱暴に引き剥がされた。


 そして、ハヤトは息を呑み、その場に凍りついた。


 天窓から差し込む、糸のように細い月光が、床に横たわる獲物の素顔を照らし出す。

 そこにあったのは、彼が想像した老獪な軍師の顔でも、異形の化け物の顔でもない。

 ただ、あどけない寝息を立てる、一人の少女の顔だった。

 長い睫毛が落ちる影、ほんのりと色のついた唇、そして頬に残る幼い丸み。歳は、十にも満たないだろう。


「…………は?」


 間の抜けた声が、自分の口から漏れた。

 ハヤトは目をこすり、もう一度見つめる。だが何度見ても、そこにいるのはただの子供だ。


 混乱した頭で、必死に記憶を手繰り寄せる。

 あの国王と対等に渡り合った威厳に満ちた声。自分を完膚なきまでに打ち破った悪魔的な知謀。それと、この無防備な寝顔が、どうしても結びつかない。


「……お、おい」

 思わず、その小さな肩をつつく。指先に伝わる感触は、あまりにもか細い。

「おい、起きろ。起きろって」


「……ん……」

 うっすらと瞼が開かれ、少女――リナは、目の前のハヤトの顔を認めた瞬間、はっと息をのんだ。

 蛇に睨まれた蛙のように、その体がガタガタと震えだす。床を擦って後ずさる姿は、怯えきった小動物そのものだ。

「……あ……! け、剣聖……ッ!」

 必死で虚勢を張ろうとしているのだろう。だが、その瞳は恐怖に濡れ、小さな体は正直に震えている。


 その、あまりに無力でか弱い姿を目にした瞬間。

 ハヤトの心で燃え盛っていた復讐の炎が、冷水を浴びせられたかのように、すぅっと音を立てて消えていく。


(……なんだよ、これ……)

(俺は、こんなガキ相手に本気でキレて、追いかけ回してたのかよ……)


 一気に全身の力が抜けていく。

 何もかもが、馬鹿馬鹿しくなった。


「……はぁ……」

 深いため息が、小屋の静寂に溶ける。ハヤトはゆっくりと立ち上がった。

「……いいか。ここは森のど真ん中だ。大人しくしてりゃ痛い目には遭わさん。……だから、大人しくしてろよ!」

 そう言い捨てると、まるでその場から逃げるように、彼は軋む扉に手をかけた。


「……マリアは最近、王都の寺院にいたな……。とりあえず、あいつに相談すっか……」

 苦々しい呟きを残し、ハヤトは夜の森へと姿を消した。


 ◇◆◇


 ハヤトが去った後の静寂が、キーンという耳鳴りとなって私の思考を麻痺させる。

 しばらくの間、私は圧倒的な暴力の記憶に縛られ、身動き一つ取れなかった。

 冷たい、木の床の、感触が、背中に、じっとりと、張り付いている。死の匂いがまだ鼻の奥に残っている。足がガクガクと震え、力が入らない。


(……しっかりしろ。しっかりしろ、私……!)

 強く頬をつねると、じわりと滲む痛みが麻痺した思考を叩き起こした。軍師としての冷静さが、恐怖という名の獣に食らいついていく。

(……考えろ。考えるんだ、リナ)


 このままでは状況は好転しない。私はただの子供ではない。『天翼の軍師』として、利用価値は計り知れない。

 まずは脱出。そして仲間との合流。


 震える足を叱咤し、冷たい床から、体を、起こした。その瞬間、ずきりと頭の奥が痛んだ。体が熱い。倉庫で襲われた際にどこか打ったのだろう。

 私は無意識に、あの岩に刻まれていた言葉を口ずさんでいた。


「<<我が身を苛む全ての傷よ、癒えよ>>」


 ふわり、と体が温かい光に包まれる。

 壁に叩きつけられた際にできた腕の擦り傷や、打撲の痛みが霧散していくのが分かった。

 だが――体の内側から湧き上がる熱っぽさと倦怠感は、全く消えない。


(……ダメか……)

 この力は外傷には効くが、疲労や病のような体調不良には作用しないらしい。まだ法則性が掴めない。今は、この不調と付き合いながら動くしかない。


 ハヤトの帰還に怯えながら、小屋の中を慎重に見て回る。

 幸い、ここは彼らのかつての隠れ家。棚の奥に干からびた肉と水の入った古い水筒を見つけた。そして壁には、おそらくグランが使っていたのだろう、護身用の小太刀が掛かっている。


 それらを急いで身につけ、小屋の裏口からそっと外へ抜け出した。

 ひやりとした夜の空気が肌を刺す。見渡す限り、どこまでも続く緑の迷宮。遠くで夜鳥の鳴き声が聞こえる。

(川は危険だ。獣も人も水辺に集まる。……視界の開ける尾根を目指す)

 前世の乏しいサバイバル知識を総動員し、私はただひたすらに歩き始めた。


 熱っぽい体。鉛のように重い足。

 だが、それ以上に辛いのは孤独だった。

 グレイグの不器用な優しさ。セラの温かい手。ヴォルフラムの石頭だが真っ直ぐな忠誠心。帝国の仲間たちの顔が、脳裏に浮かんでは消える。

(……みんな……)

 唇を強く噛み締め、溢れそうになる涙をこらえる。

 一歩、また一歩と、月明かりが頼りの暗い森の中へ。


 私の人生で、最も長く孤独な夜が始まっていた。



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― 新着の感想 ―
リナ、異世界系で良くある『あの』症状か…?
えぇーこれはないわ なんでここでヘタれるの
>グランが使っていたのだろう、護身用の小太刀が掛かっている。 小太刀はグランというよりはハヤトのものかな? それにしてもフラフラなのに一人で森を歩いて大丈夫かな?(´;ω;`)
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