【ver.改訂前】第277話:『書記官の越権、将軍の苦悩』
アイゼンハルトが、居なかった世界線です。
正規ルートは、下の第277話までスキップください。
(取り敢えず残す事にしました。)
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湖畔の休息から数日が過ぎた北壁の砦。作戦室の空気は再び硝煙の匂いと鉄の味を取り戻していた。壁の地図には新たな情報が赤いインクで書き加えられ、ヘルマンが持ち込む紙の束が刻一刻と変わる盤面の動きを告げている。
「――以上がバラク部族からもたらされた最初の情報です」
ヘルマンの淡々とした報告が静まり返った室内に落ちる。
衛生管理と『星影草』の効果は絶大で、部族を蝕んでいた病は沈静化しつつある。だが同時に帝王クルガンからの圧力が日増に強まり、バラクたちの焦燥が限界に近づいていることも伝えられた。
報告を聞く私は表情を変えずに地図の一点――バラクたちの野営地――をじっと見つめていた。その瞳には盤面を読み解く軍師の冷たい光が宿っている。皇子たちは報告される厳しい現実と、それを冷静に受け止める私の姿に息を呑んでいた。
ヘルマンが退室し重い静寂が落ちる。それを破ったのは私の静かな声だった。
「……シュタイナー中将。そして通信で参加されているグレイグ中将」
テーブルに置かれた『囁きの小箱』が起動し、グレイグの「……おう、聞いているぞ」という声が響く。私は皆の視線が自分に集まるのを確認すると、二つの、とんでもない提案を同時に突きつけた。
「――まず、先日陛下より下賜された活動資金の一部を使用して、『星影草』の追加購入に充てることをご許可いただきたい。北方諸族全土に行き渡る量を、可能な限り早急に」
その、常軌を逸した規模の「投資」案に、シュタイナー中将が訝しげに眉をひそめた。だが、私が次の言葉を紡ぐ前に、小箱から雷鳴のような怒声が炸裂した。
『待て! 貴様、正気か! 薬草だと!? しかも敵に与えるためにか!』
グレイグの怒声に、私は動じない。
「はい。そして、その薬草を届けるため、私自身がバラクの部族を訪ねます。書記官リナとして、帝国からの親善使節団の一員という名目で」
『馬鹿を言うなッ!』
二つ目の爆弾に、グレイグはもはや怒りを通り越して呆れているようだった。「貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか! 敵地の真っ只中に自ら出向くだと!? 『狼の巣』での一件を忘れたか! これは命令だ、絶対に許可できん!」
そのあまりの剣幕にユリウスたちは息を呑み、セラとヴォルフラムは私と小箱の間で板挟みになり青い顔をしていた。シュタイナーだけが腕を組んだまま黙って成り行きを見守っている。
だが私はグレイグの怒声の嵐を静かに、しかし決して揺るがぬ瞳で受け止めていた。
「……分かっています。ですが行かねばなりません」
私は論理的に、そして感情に訴えかけるように反論を始める。
「『天翼の軍師』としてではなく、ただの少女リナとして赴くことに意味があるのです。彼らに帝国が力だけでなく対話と慈悲をも持つ国だと示すために」
「私が直接『星影草』を届けることでしか、彼らの心にある根深い不信と恐怖は拭えません」
「そして、何よりこの目で直接でなければ分からないこと、伝えられないことがあります。彼らの暮らし、文化、そしてクルガンという帝王が彼らに落とした影の濃さを。それを知らずして真の和平など築けません」
その正論で覚悟の定まった言葉に、グレイグは通信機の向こうでぐっと言葉に詰まった。




