北の風聞 IV:『狼煙の行方』 276.7
昼下がりの穏やかな陽光を切り裂き、複数の馬蹄の音が乾いた大地を叩いた。
野営地に再びクルガンの使者が現れた。今度は屈強な騎馬隊を伴い、その態度は前回とは比較にならないほど傲岸不遜だった。
「今後1か月の内に再び帝国へ侵攻せよ。従わねば、部族ごと根絶やしにする」
使者が吐き捨てた言葉が、族長のゲルの中に氷のように響き渡る。
ゲルの中は重い沈黙に包まれた。クルガンに従えば帝国の刃が、逆らえばクルガンの牙が待っている。進むも退くも地獄。長老たちの顔に、深い絶望の色が浮かんだ。
その夜、再び長老たちが集うゲルの中は、揺れる焚火の炎だけが頼りだった。
バラクは、集まった者たちを前に、初めて全てを打ち明けた。軍師との密約、交易の約束、そしてクルガンを打倒し、北方諸族に真の平和を取り戻すという壮大な計画を。
長老たちは驚愕し、激論が交わされる。「帝国の力を借りるなど、先祖への裏切りだ!」「しかし、このままでは我らは滅びる!」ゲルの中は怒号と嘆きで揺れた。
その喧騒の中、バラクは静かに、しかし力強く語った。
「我らが守るべきは過去の誇りか、それとも今を生きる民の命か。俺は、後者を選ぶ」
夜明け前、バラクの決断は、一夜にして部族の総意となっていた。長老たちも腹をくくり、一枚岩となって族長を支えることを誓う。野営地の空気が、絶望から覚悟へと変わっていた。
バラクはクルガンへの遅延工作を継続しつつ、水面下で動き出す。彼はまず、信頼できる側近のアランを呼び、極秘の任務を与えた。
「アラン、お前は腕利きの者を数名連れ、東の『赤土の民』と西の『黒森の民』の元へ向かえ」
バラクは二つの革袋をアランに手渡す。一つには『星影草』、もう一つには帝国から得たばかりの良質な塩と鉄塊が入っていた。
「これを彼らの族長に渡せ。ただし、決して帝国からもたらされたものとは明かすな。『これは我ら“風読む民”が、南の新たな交易路で見出したものだ』とだけ告げるのだ」
アランは、その意図を悟り息を呑んだ。
「そして、見返りを求めよ。彼らが最も得意とする馬と、冬を越すための毛皮をな。これは施しではない。対等な『取引』だ」
それは、天翼の軍師がバラクに持ちかけたのと同じ手法。バラクは軍師の知略を自らの武器として、今まさに使おうとしていた。これにより彼は、知らず知らずのうちに他の二部族を帝国の経済圏に組み込み、自らがその連合の中心となる布石を打ったのだ。




