第273話:『湖上のティールーム』
翌朝、私は鳥のさえずりと窓から差し込む柔らかな陽光で目を覚ました。
昨日までの疲労が嘘のように体が軽い。窓を開けるとひんやりと澄んだ空気が流れ込み、肺を満たしていく。湖面は朝靄のヴェールを纏い、その向こうの森が静かに息づいていた。
食堂に降りていくと、そこには昨日とは違う穏やかな空気が流れていた。
ユリウス皇子たちが少しぎこちないながらも湯気の立つカップを手に談笑している。私の姿を認めると三人は一斉に立ち上がり、どこか照れくさそうなしかし温かい眼差しを向けてきた。
だがよく見ると彼らの様子は少しおかしかった。
ユリウス皇子はカップを持つ指先に小さな絆創膏を巻いている。
レオン様は完璧に結ばれていたはずの髪が一筋だけぴょんと跳ねており、スープをすくう腕の動きが心なしかぎこちない。
そして何よりゼイド様は背筋こそ伸びているものの、その顔には隠しきれない疲労の色が浮かび、椅子の背もたれに体重を預けているようにも見えた。
「おはよう、リナ殿」
ユリウス皇子の声は昨日までの硬さが取れ、自然な響きを持っていた。
「よく眠れたようだね」
レオン様も皮肉ではなく純粋な気遣いの言葉をかけてくれる。
ゼイド様はまだ少し気まずそうに視線を逸らしたが、その耳はかすかに赤らんでいた。
焼きたてのパンと温かいスープ。昨日と同じメニューのはずなのに今日の食卓は驚くほど和やかで、心が温まる味がした。
◇◆◇
日が昇り気温が十度を過ぎる頃。湖面を渡る風が心地よくなってきたのを見計らい、セラさんが私の手を引いた。
「リナ様。少し湖畔を散策しませんか」
彼女に導かれるままにロッジの外へ出ると私は目の前の光景に息を呑んだ。
昨日までただの芝生だったはずの湖畔に帝都で見たような洒落たカフェテラスが出現していたのだ。白いパラソルが立てられ、テーブルには純白のクロス。そしてその上に並べられているのは――。
「……うそ……」
陽光を浴びて艶めくチョコレートケーキ、瑞々しい果物が宝石のように飾られたタルト、ふんわりとしたクリームが層をなすミルフィーユ。帝都でしかお目にかかれないはずの芸術品のようなケーキの数々が、まるで夢のようにそこに並んでいた。
その傍らには完璧な礼装に身を包んだパティシエが深々と頭を下げている。
「……セラさん、これは……?」
震える声で尋ねる私にセラさんは悪戯っぽく微笑んだ。
「皇妃陛下からのささやかな贈り物ですわ。『頑張っている私の可愛い軍師様へ』、と」
私がこの砦に来ることを知った皇妃陛下が帝都で最高のパティシエを密かにこちらへ派遣してくれていたのだという。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
私はその場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえ、ただ目の前の光景を見つめていた。
私のためにこれほどまでの心を尽くしてくれる人たちがいる。
その事実が何よりも甘く温かく、私の心をいっぱいに満たしていった。
「……うん」
私は涙で潤む目を隠すように一番大きなチョコレートケーキの前に立った。
「私、もっと頑張れる!」
その声はもう震えていなかった。




