第27話:『驚天動地の親書と帝都の深謀』
帝都ガレリア。
皇帝ゼノン・ガレリアの執務室は、珍しく、重苦しい沈黙に包まれていた。
玉座に座る皇帝と、その傍らに立つ宰相アルバート公爵。二人の視線は、机の上に広げられた一枚の羊皮紙に注がれている。それは、東部戦線のグレイグ将軍から、最速の伝令馬によって届けられた、緊急の親書だった。
差出人はグレイグだが、その文面は、明らかに、あの『謎の軍師』の言葉で綴られていた。
宰相が、信じられないといった様子で、もう一度その内容を読み上げる。
「……『敵将ライナー・ミルザ、部下数十名と共に我が軍に投降。その才、千の兵にも勝る至宝なり。彼らによる、軍師直属の遊撃部隊の編成を具申す。この件に関する全ての責任は、軍師、我が身一つで負うものとす』……」
宰相は、はぁ、と深いため息をつき、こめかみを押さえた。
「陛下……これは、一体……」
皇帝は、腕を組んだまま、何も答えない。ただ、その口元には、困惑と、呆れと、そして、抑えきれない面白さが入り混じった、複雑な笑みが浮かんでいた。
「……あの小娘、面白い事をするだろうとは思っておったが……」
やがて、皇帝は、独り言のように呟いた。
「敵の有能な将を、丸ごと召し抱えろ、だと? それも、『責任は私が取るから、ちょうだい』と言わんばかりの文面で。……ハッ! 全く、肝の据わり方が常人ではないわ!」
宰相は、冷静に分析を進める。
「ライナー・ミルザ……確かに、その名は私も聞き及んでおります。王国軍にあっては、不遇をかこっていた悲運の秀才。その才能は、本物でしょう。もし、彼が心から帝国に忠誠を誓うのであれば、これほど強力な駒はありません。王国軍の内部事情にも、精通しているはずです」
「うむ」
「ですが……」
と、宰相は懸念を口にした。
「あまりに危険な賭けでもあります。偽りの亡命であった場合、我々は虎を懐に入れることになる。それに、『軍師』個人に、これほど強力な私兵とも言える部隊を持たせるのは、いかがなものかと。彼女の権力が、あまりに強大になりすぎる恐れが……」
その言葉に、皇帝は、初めて宰相の方を向いた。
「アルバートよ。そなたは、あの小娘が、権力に興味を持つと見えるか?」
「……それは……」
宰相は、言葉に詰まった。
彼は、あの秘密の謁見の日のことを思い出していた。フードを脱いだ瞬間現れた、あどけない少女の姿。爵位や報奨金の話をされた時も、彼女の瞳は輝くどころか、どこか面倒くさそうに揺れていた。
彼女が興味を示したのは、ただ一つ。皇妃陛下が出した、甘いケーキだけだった。
「……見えませぬな」
宰相は、正直に答えた。
「であろう?」
皇帝は、愉快そうに笑った。
「あの小娘は、権力なぞ、鼻紙ほどの価値も感じておらん。彼女が欲しいのは、自分の計略を、寸分違わず、完璧に実行できる、手足となる『駒』だけよ。そして、その駒を使って、帝国を勝利に導き、早く戦争を終わらせて、静かな場所で美味い菓子でも食っておれれば、それで満足なのだ。……違うか?」
その、あまりに的確な人物評に、宰相はもはや頷くしかなかった。
「全く、恐ろしい小娘よ。人の心を読むことにかけては、あるいは、敵国の『聖女』よりも上かもしれんな」
皇帝は、そう言うと、椅子から立ち上がり、窓の外に広がる帝都の街並みを見下ろした。
「……アルバート。この件、許可する」
「陛下!?」
「『謎の軍師』の具申を、全面的に承認する、と返書を送れ。亡命者たちの身柄は、全て彼女に預ける。部隊の編成、運営も、彼女の裁量に一任すると」
「し、しかし、陛下! それでは、本当に……」
宰相が慌てて制止しようとするのを、皇帝は手で遮った。
「良いのだ。……考えてもみよ。あの小娘は、我々が与えた『軍師』という役を、完璧に演じきっている。ならば、我々も、彼女を信じる『王』と『宰相』を演じねば、物語はつまらなくなろう?」
そして、皇帝は、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「それに、だ。……もし、あのライナーという男が、本当に軍師殿の忠実な手駒となるのなら……」
皇帝の声が、少し低くなる。
「あの小娘を守る、最強の『番犬』にもなる。帝都に渦巻く、嫉妬深い貴族どもや、敵の間者から、彼女を守るための、な」
それは、リナの安全までをも考慮した、皇帝なりの深謀遠慮だった。
リナが、ただ駒が欲しいだけなら、その駒に、主人を守る役目も与えてやろう、と。
「……陛下の、お考えの深さ。恐れ入りました」
宰相は、深く、深く頭を下げた。
「ふん。あの小娘に振り回されるのも、存外、悪くはない」
皇帝は、満足げに鼻を鳴らした。
「さて、アルバートよ。東部戦線から、また面白い芝居の知らせが届くのを、楽しみに待つとしようではないか」
帝都の権力の中枢で下された、一つの決断。
それは、リナの全く意図しないところで、彼女に最強の「駒」と、そして、最強の「盾」を与えることになる。
東部戦線では、新たな伝説の部隊が、産声を上げようとしていた。




