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ようこそ、最前線の地獄(職場)へ。 私、リナ8歳です ~軍師は囁き、世界は躍りだす~  作者: 輝夜
第八章:『黄金の港、嵐の前の凪』

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第135話:『黄金の港に灯る、禁忌の輝き』

 

 丘の上のカフェから流れてくる陽気な音楽が、まるで別世界のもののように遠ざかっていく。

 私たちの目の前に横たわるのは、ただひたすらに残酷な現実だった。


 坂道を下った先で、巨大な荷馬車が横転している。積み荷だったのだろう、砕けた木箱の破片と錆びた鉄屑が、石畳の上に無様に中身をぶちまけていた。遠巻きに集まった人々のざわめきが、潮風に乗って不気味に耳に届く。まだ、こちらの惨状には誰も気づいていない。


「――リナ! だめ、こっちに来て!」


 カリンさんの悲鳴が鼓膜を突き破った。

 その切羽詰まった声を振り切り、私は土を蹴る。もつれる足を叱咤し、石畳に倒れ伏す人影――レオ兄ちゃんの元へ駆け寄った。


 砕けた額から流れるおびただしい血が、兄ちゃんの金色の髪を赤黒く染め上げている。肩で繰り返される呼吸は恐ろしく浅く、か細い。その温もりが、指の間から砂がこぼれるように失われていくのがわかった。


(どうしよう……このままじゃ、兄ちゃんが……!)


 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 あの力を使えば、助けられるかもしれない。

 でも、こんな場所で?


 軍師としての私が囁くのだ。危険すぎると。正体が露見すれば、全てが破綻すると。


 だが――。


 目の前で消えかけている命は、大切な「お兄ちゃん」なのだ。

 その命の灯火を前にして、打算も、計算も、未来への危惧も、すべてが消し飛んだ。


 助けたい。


 ただその一心だけが、凍りついた思考を溶かしていく。


(大丈夫……ここにいるのは孤児院の皆だけ。きっと、秘密にしてくれる……!)


 震える自分にそう言い聞かせ、覚悟を決める。

 子供たちが息をのむ気配を感じながら、私はゆっくりと膝をついた。


 血で濡れるのも構わず、震える指先をレオ兄ちゃんの額にかざす。ひんやりとした肌の感触に、胸が締め付けられた。

 私はそっと目を閉じ、あの日、宝物庫の片隅で見つけた失われた古代の言葉を、静かに紡ぎ始める。

 凛とした、けれど祈るような囁きが、しんと静まり返った場に響いた。


「――《水の御霊よ。どうか、この尊き命の灯火が消えぬよう。その大なる癒やしの力で、お救いください》」


 ふわり、と。

 私の小さな手のひらから、温かく優しい青白い光が溢れ出す。

 夏の夜の蛍火のように儚く、しかし力強い生命の輝き。光は無数の粒子となってレオの体を柔らかく包み込んでいく。

 息をのむ気配。トムも、アンナも、そしてカリンさんも、信じられないものを見る目で私を見つめていた。


 光に照らされ、血の流れがぴたりと止まる。ぱっくりと開いていた深い傷が、まるで見えない糸で縫い合わされるかのように、ゆっくりと塞がっていく。

 浅く苦しげだった呼吸は次第に穏やかさを取り戻し、やがて深く、安らかな寝息に変わった。

 そして、その瞼がゆっくりと持ち上がる。


 ◇◆◇


 その信じがたい光景を、デニウス・ラウルは言葉もなく見つめていた。

 宿泊するホテルの三階。磨き上げられた窓ガラス越しに、彼はすべての顛末を目撃していたのだ。常に余裕の笑みをたたえていたその顔から、表情というものが抜け落ちている。

 暴走した馬車。その混乱の中で起きた、小さな、しかしありえない「奇跡」。

 目の前の少女が、王国の『聖女』と同質、あるいはそれ以上の力を持つ――その揺るぎない事実が、彼の魂を根底から揺さぶった。


(……この少女……この力さえ、あれば……!)


 彼の脳裏に、故国で病に伏せる少女の姿が浮かぶ。日に日に衰弱していく、儚い微笑み。

(この少女なら、きっと……イリアーヌを救える……!)

 その瞳に、もはや打算ではない、狂信にも似た熱い光が宿った。


 ◇◆◇


 騒ぎを聞きつけた街の衛兵たちが、坂を上がってくるのが見えた。

 ゲッコーさんが「行くぞ」と鋭い視線で合図を送る。

 私はまだ呆然としている皆に、小声で囁いた。

「お願い、今のことは絶対に内緒にしてね!」

 私たちは人目を避け、その場を素早く立ち去った。


 宿屋に戻るなり、質問の嵐に包まれる。

「リナ! 今のは一体、何なの!?」

「リナ姉ちゃん、魔法使いだったのか!?」

「うーん、昔おじいちゃんに習ったおまじないが、たまたま効いちゃったみたい」

 私は曖昧に笑って誤魔化すと、真剣な顔で改めて皆に釘を刺した。

「でも、このことが知られたら、悪い人たちに攫われちゃうかもしれない。だから、絶対に、絶対に、誰にも言わないでね」

 私の必死の訴えに、子供たちはこくこくと力強く頷いた。


 ◇◆◇


 その夜。

 ポルト・アウレオの港に隣接する、一軒の寂れた倉庫。

 潮の香りが染みついた二階の一室で、三つの影が蝋燭の揺れる灯りの下に向き合っていた。

 一人は、この計画の主導者デニウス・ラウル。

 もう一人は、巨躯の狂戦士バルドル。

 そして最後の一人は、街娘のような平凡な見た目に、蛇のように冷たい瞳を宿した女、リゼット。


「――見たぞ」

 デニウスの声は、抑えきれない興奮に震えていた。

「本物だ。あのリナという少女は、間違いなく『本物』の癒やし手だ。王国の聖女なぞ、足元にも及ばん」


 その熱を帯びた報告に、リゼットは興味なさそうに爪を磨きながら尋ねる。

「へぇ。それ、本当に見たの? 見間違いじゃなくて?」

 半信半疑の態度に、デニウスは苛立ちを隠さず言い返した。

「この目ではっきりと見たと言っている! 瀕死の男があっというまに癒える様をな!」


「ふーん。まあ、あなたがそう言うなら、そうなんでしょうね」

 リゼットは肩をすくめる。「それで? その『金の卵』をどうするの? 攫って故郷にお持ち帰りでもするわけ?」


「その通りだ」

 デニウスはきっぱりと告げた。

「明日、我々はあの少女を確保する。そして船でこの国を発つ。バルドル、部下を集めいつでも動けるように準備しておけ。リゼット、明日の朝までにあの少女の周辺と護衛の実態を洗い直せ。油断はするな」


 冷徹な指示に、バルドルは獰猛な笑みを浮かべる。

「おう。まぁ、孤児たちが相手じゃな。文字通り赤子の手をひねるようなもんだろ」


 リゼットは立ち上がると、ふぁ、と大きなあくびをした。

「はいはい、了解。まあ、本当にそんなお宝が転がってるなら面白そうだしね。きっちり調べておいてあげるわよ」

 そう言い残すと、彼女は猫のようにしなやかに闇の中へと消えていった。


 デニウスは窓の外、暗い海を見つめる。

 その向こうにある故郷と、そこで待つ病床の少女を思い浮かべながら。

(待っていろ、イリアーヌ……。必ず、お前の元へ希望を届けてみせる……!)


 黄金の港に、今、非情な罠が張り巡らされようとしていた。

 だが、彼らはまだ知らない。

 自分たちが狩ろうとしている獲物が、ただの金の卵ではなく、帝国という巨大な獅子が守る、大切な雛であることを。


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― 新着の感想 ―
多分前話あたりからのデニウスの描写をもうっちょい深く描ければ 心の内側に柔らかい物があって、強い目的意識で心の外側を硬くしている人 目的に関係ない何気ないシーンでは表側に柔らかい物がにじみ出てくる そ…
楽しく読んでます。 内容に口出しは一切したくないのですが、 自分たちが狩ろうとしている獲物が、ただの金の卵ではなく、帝国という巨大な獅子が守る、大切な雛であることを。 のところはちょっと格好が悪い…
アスファル・・・ト?石畳では? 風雲急を告げる!って感じですね、続き早よ!とは思えども、お体、御自愛くだされ〜
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